京都
南部の井手町、和束町の山を走ってきました。
◆西風
遅めに起きてカーテンを開けると暖かそうな日差し、遠くに見える工場の煙突の煙もまっすぐのびている。ゆっくりしようと思っていたが、早速支度をして
10時30分出発。
目的は、先週いけなかった京都南部の山間部。木津川左岸の土手を西風を背に受けて快走する。
◆パンク
上津屋の流れ橋は解体して工事中です。先日、小火騒ぎがあったようですがその影響でしょうか?5月末まで工事中とのことです。
山城大橋の手前で久しぶりにパンクをしました。原因は、タイヤの中でチューブがよじれて入っていたために傷が付いて穴が空いていました。チューブ交換も
慎重にやらないとだめですね。このチューブは確か昨年北陸豪雨の時に武生の町で雨の中で交換したものでした。慌てた作業はだめですね。予備のチューブと取
り替えて出発。すでに日差しは無し。
◆山登り
山城大橋の形状は少し変わっています。上り下り車線の真ん中にアーチが一本あるだけです。アーチが道路の両側にあるのはよく見るのですが。橋上の温度表
示は4℃。
その山城大橋を渡って、しばらく土手上のR24を走る。[←和束町]の誘導看板に従ってr321に入る。JR奈良線を跨ぐといきなりの登り、登り切った
ところのT字路を左折して玉川沿いに登りは続く。
途中、採石場がありましたが今日は休日だからでしょうかダンプは通っていません。
◆案内板
r321には地元の人が作ったみたいな「駒岩」とか「名所・岩壺甌穴」とか手書きで素朴な味のある案内板があちこちにある。駒岩は河原に大きな岩がどし
んと鎮座、岩壺甌穴は川の流れが穿ったのでしょう
か大きな穴が空いています。
雪がずっと舞っています。スエット地の手袋を通して冷たさがしみ込んでくる。
「中神琴渓の墓」は、田村新田集落の山裾にあっ
た。中神琴渓は江戸時代の医者で末裔の方が滋賀県草津市におられるようで
すが、後ほど調べてレポートします。
◆大正池
田村新田集落からすぐに大きな堰堤を持つ大正池がある。車で上る道もあるようですが、階段を上って池畔にあがる。コテージ風の建物が建設中で井手町の野
外活動センターとのこと。オフシーズンで人は誰もおらず。
◆道の駅
大正池からも上りは5%〜10%程度と結構走りごたえある。九十九折りを登っていくと路面に「後1Km」とか「山岳賞!」とかの落書きあり。ロードバイ
クでトレーニングしているのでしょうか。
苦しい上りを登り切ると、茶畑いっぱいの和束の街まで300mほどを一気に下ります。15%
を越すところもあります。
評判のよくない道の駅「茶処和束」でお昼をとろうと空きっ腹を我慢して到着。でも、道の駅の看板無し。コンビニのお姉さんに聞くと1年ほど前に閉めたと
のことです。
道の駅は一般の商店と違って、一部公的な使命を持っていると思うのですが。簡単に命名権、設置を認めて簡単につぶれるでは困ったものです。ご飯抜き。
◆帰り道
帰り道をどうするか思案しました。
案1:南に木津川に下がり、木津から木津川沿いに帰宅。
案2:東に信楽に出て、栗東・草津方面に出て輪行で帰宅。
案3:北に犬打峠を越して宇治田原から宇治経由で帰宅。
案4:湯船まで東進し、北に殻池峠を越してR307にでて宇治田原・宇治経由で帰宅。
既に時刻は14時を回っています。中庸を大事にする日本人(笑)としては、一番中途半端な距離の案4で帰宅することとします。
◆殻池峠
和束川沿いのr5を北東に進む。5%くらいの上りは疲れた足には堪えます。湯船のバス停(この辺は奈良交通が走っています)を左折して、暗い杉木立の
r283に入る。
この道は、谷川から離れた後の尾根へのとりつきの上りが、思った以上にきつくて長くてヘロヘロで殻池峠に到着。昨年2月以
来です。
◆廃トンネル
今日の上りは殻池峠まで。後は下って下って帰宅するのみ。
寒さに凍えるようになりながらR307にでる。道路脇の気温表示では2℃、寒いはずです。R307には新しいトンネル(茶屋トンネル)ができていて快適
です。
道ばたに炭を焼くおじさんがいる。眺めながら走っていると炭焼き小屋の奥にトンネルがあります。おじさんに聞くと旧道のト
ンネルとのこと。入り口は煉瓦が積んであるが中は地層丸出しのレトロなものです。
トンネルの銘板だろうかと思ったものには「幽谷窈然」と書いてあるようです。幽谷窈然の意味もよく分かりません。(また
ゆっくり調べてみます)
途中、コンビニで熱い缶コーヒーで手先を暖めながら肉まんで随分遅いお昼。
◆宇治田原役場前から田原川を下り天ヶ瀬ダム・宵待橋にでて宇治の街へ。夕闇迫ってくるためにどこにもよらず、r15から京滋バイパスの側道を経由して帰
宅。
本日の走行距離:89Km、最高標高:477m(殻池峠)
スナップは整理して、オンラインアルバムにアップします。
◆スナップ写真
スナップ写真はこちらにアップしました。今回の写真は携帯電話のカメラですので少し不鮮明ですが、是非ご覧ください。
(05/02/12)
◆幽谷窈然(ゆうこくようぜん)
宇治田原町の廃トンネルの銘板に書いてあった「幽谷窈然」の意味は奥深い静かな谷としか分かりませんでした。
場所は宇治田原町奥山田の奥山田小学校近くです。
幽谷:奥深い静かな谷。
窈然:奥深くかすかなさま。
三
省堂提供「大辞林 第二版」より
◆甌穴(おうけつ)
川底の岩盤や波食台に掘られた円筒形の穴。岩盤のくぼみに入った小石が流れで回転して岩石を削ってできる。埼玉県長瀞(ながとろ)、長野県寝覚(ねざ
め)の床(とこ)、神奈川県江ノ島の隆起海食台上のものが有名。かめあな。ポット-ホール。
三省堂提供「大辞林
第二版」より
(05/02/13)
◆幽谷窈然 (追記)
李白の山中問答(山中にて俗人に答え)という漢詩があります。
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山中答俗人
山中にて俗人に答え 李白
問余何意棲碧山 余に問う 何の意か 碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑って答えず 心 自(おのずか)ら閑なり
桃花流水窈然去 桃花 流水 窈然として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り
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出典により、窈の字は「窅」や「杳」となっています。
意味は
”私になぜ山の中に住むかと聞くが、
私は笑って答えられない、私はのどかに暮らしている
花びらを浮かべた流れはどこかに去っていく
人の世とは違う別天地がここにはある”
この漢詩からの引用で
しょうか?トンネルの建設に関わった人は中々の教養のあった人のようですね。
◆流れ橋(上津屋橋)の工事関連の記事
京都新聞に記事がありました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050209-00000039-kyt-l26
現場の看板には竣工は5月末と書いてありましたが、新聞報道によると京都府は何とか4月末までには工事を終えたいと言っているようです。
(05/02/14)
◆中神琴渓(なかがみきんけい)のこと
1744(寛保4)年〜1833(天ポ)年江戸中・後期の医者。
近江(現滋賀県草津市南山田町)の貧農に生まれた。30歳を過ぎてから医学を志す。
郷里(滋賀県草津市)でなくなったようですが、なぜ井手町の山の中に墓があるのかは分かりませんでした。
(05/02/17)
◆中神琴渓のこと
井手町役場に問い合わせをしておりましたら下記のような返事をいただきましたので紹介します。
<井手町からの回答>
1.中神琴渓の墓について
ご指摘のとおり、中神琴渓は草津市の生まれです。文化10年(1813)、光格天皇を診察したことによって、その功により禁裏御料地であった当地(田村
新田)の地を拝領し、5代目の庄屋を継いだと言われています。
彼は天保4年(1833)、この地で永眠したと伝わっています。近年においても、草津市にお住まいの末裔の方が何回か墓参りに来られているとのことで
す。墓は京都の光雲寺にもあると伺っています。
2.「甌穴」等の案内板について
案内板については、井手町観光ボランティアガイドのメンバーにより作成されたものです。
(05/02/28)
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スナップをこちらにアップしました。是非ご覧ください。
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山城大橋
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岩壺甌穴
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大正池
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井手町・和束町界(428m)
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府道283
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殻池峠(477m)
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R307旧道の廃トンネル
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