05/03/21 鈴鹿・鞍掛越え

  好天続きの連休にもかかわらず三年寝太郎みたいな生活をしておりましたが、やっと重い腰を上げて自転車に跨りました。
 
 私は滋賀県の東部の生れです。故郷から東方を望むと鈴鹿山脈がどっしりと座っています。「あの山の向こうには何があるのだろう」とぼんやりと考えている 子供でした。長じて地元の高校では山岳部に入り、あの山の向こうを眺めることができましたが、峠を越えて三重県側に出ることはありませんでした。
 
 サイクリングをするようになって、やっと峠の向こうに行ってみることができました。
 滋賀県と三重県を結ぶ道は、北から鞍掛(くらがけ)峠(R306)、石榑(いしぐれ)峠(R421)、武平(ぶへい)峠(R477)、鈴鹿峠(R1)が あります。自動車の通れる道は、私の 高校生の頃には鈴鹿峠しかありませんでした。
 今回は最後に残った鞍掛峠(トンネル)を越えることにしました。
 
 久しぶりに輪行をしてJR彦根まで、10時30分出発。
 天気は快晴、JRと近江鉄道の跨線橋、R8交差点を越えてR306を進みます。緩やかなアップダウンとカーブを繰り返しながら多賀大社前に出る。コ ンビニでスポーツドリンクとカローリーメイトを調達して、南下するR307と分かれて本格的な山登りが始まります。
 
 小さな峠(梨ノ木峠、桜峠)を過ぎて佐目集落を過ぎると谷間はいよいよ狭くなってくる。佐目トンネル内は右側の歩道部分を走るが照明が暗くヒヤヒヤでし た。
 
 トンネルを出ると今度は長くてひんやりしたロックシェルターを通過、大君ケ畑(おじがはた)集落のバス停で小休止を取る。
 高校生の頃に大きなザック(キスリングと言っていました)を担いで来たこと思い出しましたが、面影はまったくありませんでした。

  大君ケ畑の集落を過ぎると「この先冬季通行止」の看板と半開きのゲートがある、自動車も通っているので私も通過する。この辺りから勾配も5%〜10%とき つくなってきます。
 
 犬上川北谷を上り詰める辺りから大きなS字型の九十九折となります。S字の途中に写真にあるような頑丈なゲートがあり「冬季通行止」とあります。さあど うしようかと思案しますが、ゲートの右側に丁度自転車一台分の隙間があります。天の啓示(?)と思い上ることとします。(「冬季」は12月1日から3月 31日を指すようです)

 車が通らないので、路面に落石が散乱してはいますが快適な上りです。道路端には残雪もあり春山の雰囲気あり。
 雑草の中に鮮やかな黄緑色の蕗の薹が芽をふいています。採取して帰宅後、蕗味噌にしていただきまし た。
 
 鞍掛トンネル口には、大きな吹き溜まりが残雪として残っていて、子供に返って雪を食べたり、寝転んだりして雪遊びをしてしまいました。
 
 トンネル内は、通行止め期間中ですから照明はありません。真っ暗な中を先に見える出口の明かりを頼りにペダルを漕ぎます。滋賀県側には雪が吹き込んでい て 路面に雪がたまっています。
 
 トンネルを抜けて、一気の下りと行きたいのですが、路肩には残雪があり落石が散乱しているのと、先日の落車からのビビリもあって、極く安全に下っていき ます。
 東林寺の白滝川原白滝棚田中里ダムに周ろうと迷路のような道を走っていたのですが、[蕎麦処→]の看板に誘われてr107を走って行け ば「生粉打ちそば饗 庵 (きょうあん)」と言う蕎麦屋に辿りついてしまいました。
 
 農家の一階の何部屋かが開け放たれてお店になっています。14時30分オーダストップとのこと、私は14時10分ぎりぎりの入店でした。メニューも見ず に 「ざる蕎麦」 を 注文、後でメニューを見るとおろし蕎麦がお勧めとのことでした。ほぼ満席で、皆さん1500円から2000円のてんぷら系メニューを食べておられます。
 私にはつゆが少し甘めでした。また麺が短くバラバラでした。840円は少し高めでしょうか?

 結局、予定の見どころはすべて見ずにR365に合流して関ヶ原を目指します。関ヶ原手前からr229でショートカットしR21今須にでる。旧中仙道の街 並みとR21を出たり入ったりしながら醒井の宿に到着しました。

 道路脇を清流の流れる中々良い街並みでした。「醒井木彫美術館・森大造記念館」と言うのがあって覗いてみましたが、こちらも「冬季休業」だそうです。森大造 さんは地元出身の方のようです。
 清流の中には梅花藻が生えていますが、花の時期ではなかったようです。

  醒井からR21、R8を経て米原駅に17時30分到着、自転車を パッキングして早速Kioskの缶ビールで乾杯。

 本日の走行距離:88Km、最高標高:638m(鞍掛トンネル三重県側)

鞍掛トンネルの三重県側にあった案内板の内容
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鞍掛峠
 伊勢と近江を結んだ鞍 掛峠(791m)は、その昔「胸突八丁」といわれた難所で私達の先祖が京都本山への納 骨に参った道であり、お多賀参りに寿福を念じた 道である。一方近江の人々にとっては伊勢参宮に下向した街道で、両国の文化交流の道であった。今は国道306号鞍掛トンネル(長さ745m 標高 625m)の開通で、ただ昔をしのぶ歴史の道と化した。
 第52代嵯峨天皇の弘仁元年(810)薬子の乱で都を逃れた参議藤原仲成がこの峠を越えて当町西野尻に隠住したという伝説がある。また、峠の名は、第 55代文徳天皇の天安2年(858)第一皇子惟喬親王が右大臣藤原良房の追討を逃れ都落ちをせられた時、この峠で馬の鞍をはずして休息せられた故事にちな んで名付けられたもので、古くは竜華峠とも呼んでいた。天文13年(1544)10月には俳諧師宗牧が江戸に下る際にうたった「あとや雪しまきよこぎる笠 やどり」の句が残されている。こうした数々の歴史が秘められた道が鞍掛峠である。
      藤原町教育委員会

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◆谷宗牧(たに・そうぼ く)
 室町末期の人で「東国紀行」を著した人。上記の句は京 から石山寺、桑名、熱田などを経て、江戸までの旅(東国紀行を書いた旅)の途中に読まれたもののようです。
◆惟喬親王(これたか・しんのう)
 腹違いの弟・惟仁親王(後の清和天皇、母親は藤原良房の娘)に皇位を継がせようとした良房の刺客に追われて鈴鹿山脈の麓に隠れ住み、ロクロを考案し部下 の小椋実秀に椀などの加工技術を教えさせたそうです。
 私の同級生にも鈴鹿山脈の麓から通学していた小椋姓が何人かおりました。
 ◇参考
  木と語る匠 深山に故郷(永源寺町=滋賀)Yomiuri On-Line
  永源寺町Webサイト

 生粉打ち蕎麦「響庵(きょうあん)」:三重 県いなべ市藤原 町上相場2434 Tel.0594-46-4811 地図はここです。

 スナップをこちらにアップしました。ご覧ください。

 R306山間部の地図はこ ちらです。少し重いですが。

蕗 味噌
 蕗の泥やゴミを取り除き、濃いめの塩で茹 でたものを大雑把なみじん切り(?)にして、味噌、日本酒、砂糖でコトコトと煮ました。少し甘めになりました が、白いご飯の上にのせて食べると蕗の香りがして食欲をそそります。また、酒の肴になめ味噌としても良し。
ス ナップをこちらにアップしました。ご覧ください。

桜峠

R306通行止ゲート

残雪の鈴鹿山脈

蕗の薹

残雪

鞍掛トンネル

響庵の蕎麦

醒井の清流に映る木彫美術館

旧醒井郵便局


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