05/12/10 バッタリと清滝峠
◆出発
 相変わらず11時と遅い出発です。
 寒さはありましたが、お天気が良いので門真市まで「バッタリ」を見に行くことにします。
 「バッタリ」については「残日録」(05/12/10) に少し書いております。
 R171から高槻市の住宅街を抜けて、R170にでます。

◆西風
 R170を南に走り、枚方大橋を渡り淀川左岸の土手上を走りかけますが、強い西風で土手下の道を走ることにしました。
 土手下でも西風(向かい風)が強く吹いています。

◆弁天池公園
 寝屋川市内で少々道に迷いながらも、弁天池公園に到着します。
 公園の南側に「バッタリ」があるとのことで行ってみましたが、復元されたもので今一でした。

◆「バッタリ」
 
バッタリ・上流部の樋門下流の樋から見る閘室弁天池公園から少し走り、バッタリと出会うことができました。
 道路沿いの畑の中にポツリとありました。

 思ったよりも随分小さい物で、通行できるのはせいぜ い人は一人くらいしか乗れない田舟用のようです。

 
左の写真は、上流部の樋門です。
 右の写真は下流の樋門辺りから見た閘室です。
 樋門の扉(木製)は最近作ったもののようです。

 このバッタリの所在地は、[
門真市南野口町22]だそうです。フェンスに住居表示がつけ られていました。
 下のような門真市教育委員会の案内板がありました。
  この付近より南は千石沼と呼ばれた広大な低湿地で、車の通れる農道はほとんどなく、交通の手段は川舟が利用されました。しかし水路は落差があるために船越 場のところでその都度荷物を積み替えなければなりませんでした。
 バッタリは、パナマ運河と同じ方法で、落差のある水路を、二つの水門を操作して舟を通す閘門です。
このバッタリは、上流部の閘門と、下流部の閘門との二つの装置からなっています。
門真市教育委員会
 
 閘門の一覧に「バッタリ」を書き加えましょう。
名 前 史 跡指定 築 年 所 在地 利 用可否 記 事
バッタ リ
門 真市史跡
不 詳
大阪府門 真市南野口町22


◆清滝峠
清滝峠  R163に出て、未だ走ったことのない清滝峠に向かいます。
 途中、回転寿司で昼食を摂り、大阪府と奈良県の府県境の清滝峠への登りに掛かります。お昼を食べ過ぎたお腹にはきつい上りです。

 清滝トンネルがあり、ほとんどの車はトンネルを通行していて、旧道は静かなものと勝手に思って上っていきますが、大型ダンプなど交通量が多く危ない道で す。

 道路端には、
 [土・日・休日の前日23〜5時まで通行止め]

 [
バイク通行禁止]
 [
暴走でなくすな青春]の立て看板があります。
 暴走族やローリング族が暴れるのでしょうか?民家もあり暴走されてはたまりません。

 清滝峠は標高245mのようです。

 また走りたいと思うような峠ではありませんでした。

◆磐船街道
 峠から少し下って、磐船街道(R168)にでます。
 R168は、淀川にそそぐ天野川沿いにドンドン下っていきます。

 この道は一度逆に登ったことがありました。
 何時も思うのですが、下っていると「こんな道を登る人もいるのだなあ」とよく思います。
 自分の上った坂を下るのは感慨のあるものです。

 この道中には大阪府民の森などがあり、雰囲気の良いコースです。

 道なりに走ると枚方市内に出て、枚方大橋から帰宅することになります。
 別のルートで帰ろうと、樟葉方面に道に迷いながら走ります。

津稱鹿さん
 渋滞している府道交野久御山線(r736)を走って いると、あるお宅の表札に変わった苗字を見つけました。
 津稱鹿さんというのでしょうか?達 筆なので二文字目が読めませんでした。
 

◆日置今池街道
 
r736からR1を横切って細い道に入っていく と日置今池街道という案内板があります。
 興味を持って細い道を走ってみました。
 途中に日置天神社という社がありました。

 がらんとした境内ですが、周りには神輿蔵のような建物が8棟ぐるりと境内を囲んでいます。
 縁起書きかと案内板を見てみると日置山遺跡と天神社の謂れがかかれていました。
日置山遺跡
 日置山遺跡は、日置天神社境内とその周辺を指し、かってはタニシ貝塚として知られていたが、昭和五十七年の発掘 調査により中 世の貝層をはじめ溝・土杭などが確認された。また、日置郷の開発のために破壊された古墳(方形墳)と考えられる遺稿を検出した。
 このように、日置山遺跡は古墳時代から中世まで複合遺跡で、周辺には日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われる。

日置天神社
 日置天神社には、惟喬親王(844〜897)が交野ヶ原で遊猟したとき、愛鷹の姿が見えなく立ったので、日没を 惜しんで「日 を止めて置かせ給え」と天神に祈願したという伝承がある。
 中世におけるこの付近は、東高野街道に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が甍をきそっていたという。しかし、南北朝期の動乱に際したびたび戦禍 に見舞われ、14世紀中頃には民家・堂塔ともに灰燼に帰したと伝えられる。その後16世紀中頃、真宗8世蓮如の六男蓮淳を招いて当地を寺内村(招提寺内 村)として再開発したおり、当社を寺内鎮守として再建したと伝えられる。
1995年枚方市教育委員会
 ▽タニシ塚というのがあるのですね。田螺のやわらか い貝殻も長い間残るのですね。

 ▽日置郷というのは、千軒も民家があったとは大きな集落だったのですね。

 ▽私は滋賀県の東部の出身で、鈴鹿山脈の山の中には木の器を作る木地師の里がありますが、あの地に轆轤を使う木の木工品を作ることを教えたのは、都を追 われた惟喬親王と言われています。
 惟喬親王のゆかりの場所に出会いました。

天王山◆ 夕日京滋バイパスの橋桁から見る夕日
 樟葉から淀川左岸の土手の上で、京阪電車沿いのr13(旧R1)は上下線とも何 故かすいています。

 左は淀川の葦原越しに見る天王山です。

 
御幸橋から京滋バイパス下の道を走っていると天 王山大橋の橋桁越しに、綺麗な夕日が見えました。

 日が陰ってくると、急に気温が下がってきます。指の先のない手袋の先が冷たくなってきます。
 桂川を越え、R171を横断し、西国街道から帰宅しました。


◆グレーチング
  左の写真のような、金属製の溝の蓋をグレーチングと言います。
 一般的には、進行方向に長い目が平行になるような形 (写真のように)で設置されています。
 この構造物は、自転車にとっては大変厄介なものです。

 写真のように、路側帯のペインティング近くにありま す。
 自転車は路側帯のを走る必要がありますから、この上を 走らなければなりません。

 リム(金属の車輪の輪)が、隙間にとられることがあり ます。また、雨の日はスリップすることがあります。

 せめて、この蓋の形状を縦横反対のものに替えてもらえ ないのでしょうか?

◆本日の走行距離:67Km
◆本日の最高標高:245m(清滝峠)


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