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00/02/04 マニュアルなき時代のマニュアル人間
 私は情報処理関連の企業で働い ています。
三十数年前には、コンピューターを利用した情報処理技術は大学や研究所を中心とした利用が主としたものであり、企業などの業務がコンピュータにより処理が される等と言うことはまだまだ近未来的状況でした。

 当然、情報処理システムを開発する労働者も希少な存在でありました。しかし、情報処理を業として成立させるためには多くの情報処理労働者が必要となった のです。
社内から、いくらかは情報処理に向いているであろう労働者を集め教育をし、即戦力として使う必要がありました。私もその一人でした。

 この立ち上がり時期には全体の技術レベルにばらつきがあるため、水準線がある程度低くても一定のレベルを保つためには、手取り足取りのマニュアルが必要 でした。
ちょうど、アルバイトを多用するファーストフード店のマニュアルにも似ていると思います。バラツキを一定のレベルに調整するために手取り足取りのマニュア ルは必須でした。

 このマニュアルは、大変便利でした。
 労働者はマニュアルに書いてあるとおりに可もなく不可もなく作業をすればよく、間違いがあればそれはマニュアルの所為でした。

 このような時代には、個々の労働者が創意や工夫を凝らして、作業効率を向上させることはタブーでした。ある労働者が、マニュアルに書いてある手法より効 率的な手法を発見しても認められませんでした。引かれた水準線を中心とした許容の範囲内にあることが必要であってそれを超えることは”悪”でした。
低いレベルに照準をあて、それを水準線まで持ち上げることが目的であったのです。

 これは、情報処理技術の向上に一定の貢献しました。しかし、また誰かが意図したか否かは分かりませんが、企業や労働組合等に物を言わない労働者を大量に 作り出すという、経営者や労働組合幹部にとって好都合な結果を生みました。

 社会や顧客のニーズが多様化し、環境の変化が日常化した今、職場には昔のような手取り足取りのマニュアルはありません。例えマニュアルを作ってもこの変 化についていけないからです。
 労働者は、自分の創意と工夫で作業目標を達成しなさいと指導されています。
しかし、物を考えなくてよい(考えさせられなかった)環境に長くおかれ、物を考える努力をしてこなかった労働者にとっては、天地の逆転するほどの負担と なっているように思われます。

 企業はこれらの労働者に”社内失業者”の烙印を押し、事済ませようとしています。
 飼い慣らされ、安住していた労働者にも大きな責任があると思います。
 
 私も、物事を自分の視点で観、自分の視点で考える力を養いたいと思います。また、周りの物を考えない労働者を先輩に持つ 若い人に、自分の視点を持つよ うに訴えていきたいと思います。
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