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05/01/23 映画 「掘るまいか−手掘り中山随道の記録−」

 大阪の十三(じゅうそう)という街をご存じでしょうか?淀川の十三蕃目の渡しがあった場所からの地名 だと言うことです。労働者の街で風俗系の店もたくさんあます。大阪でも梅田や難波などとは一味違った猥雑さを持つ庶民の街で私はこの街の雰囲気が好きで す。

 その十三の歓楽街の真中に第七藝術劇場http://www.nanagei.com/と いう俗にいう名画専門の映画館があります。第七藝術劇場の名前は、映画は七番目の芸術だと言うことからの命名のようです。

 今回の映画は、中越地震で壊滅的な被害を受けた新潟県山古志村のお話し(ドキュメンタリー映画)です。

 昭和初期の山古志村・小松倉集落は4mを越す積雪があり、隣の水沢集落までは中山峠を越えて行くしか方法がありません。病人はカンジキを履いた人の背に 負われて峠を越して医者に行くのです。まさに陸の孤島でした。

 ある年の冬、母の薬をもらいにいった息子が帰りに遭難すると言う事件がおこります。その母親は息子達に「村人の安全のために、小松倉と水沢の間に随道を 掘ってくれ」と言います。

 掘ろう、掘るべきだと言う推進派と、無謀だと言う反対派に村は二分されますが、総意を得られないまま工事に着工します。道具は鶴嘴(つるはし)だけで す。1000mを掘る計画ですが、一日に30Cmしか掘り進めません。
 陳情を繰り返しても新潟県や国からの補助金はでません。反対派との融和は相変わらずできません。

 紆余曲折の後、村民の総意を得て昭和24年5月トンネルが貫通します。
 震災により大きな被害を受けられましたが、人と人の繋がりや自治が都会のように希薄でないの精神的な復興は早いのかと思いました。
 仮設住宅にも、村で隣近所の人たちが固まって入居されているとのことでしたね。

 この中山随道は、新しく中山トンネルができたために、50年にわたる現役を退いたのですが村や保存会が資金を集めて保存しているそうです。この映画もそ の保存の一環として製作されたとのことです。
 また、今回の震災でも被害が無かったとのことです。

 中越地震の復興支援として、「掘るまいか」もあちこちで自主上映的に上映されております。機会があれば是非ご覧ください。

 「掘るまいか」と合わせて、山古志村を題材にした「鯉のいる村」が復興支援として上映されており、今日は2本立てとなりました。
 「鯉のいる村」は、神山征二郎監督のデビュー作で少し期待をしたのですが、71年製作と古い作品からでしょうか、技術的な問題でしょうか音声のボリュー ムが安定しなかったり、映像の色(きれいな緑の色を期待していたのですが)も今一つでした。

 錦鯉を養殖している村に東京から従姉妹が帰省してきます。実家の少年と従姉妹の淡い初恋?物語でした。

 帰りは十三名物の「やまもとのネギ焼」を食べました。
 ネギが多めのウス焼なのですが、醤油とレモンの味が美味しいものでしたが、粉物に920円は少々高めでした。女将さん風の女性のオーダーの記憶と客の捌 き方は一見の価値ありでした。

◆「掘るまいか」の撮影日記等のWebページ:http://www.siff.jp/seisakunews/hasimoto.htmlに 詳しい情報があります。是非、ご覧ください。
◆「鯉のいる村」の紹介ページ:http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19634/
◆ねぎ焼「やまもと」の紹介ページ:http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kinki/Osaka/guide/0107/WV-KANSA-4DABR001.html
(05/01/24追記)
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