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05/01/26 水谷修「夜回り先生」

 私の母は、1918(大正7)年生れの86歳になり、兄夫婦と滋賀県の農村に暮らしております。人並 みの親孝行もしましたが、その何倍も親不孝をしてきました。罪滅ぼしにはなりませんが、出来る限り月に1度は顔を見に(或いは見せに)帰省しております。

 先日、雪の残る寒い日に帰省した折りのことです。
 「テレビで、夜中に子供の補導に回っている先生のことをやっていた。その人が書いた本を送って」と言われました。それは、横浜の夜回り先生・水谷修さん のことです。探して送りましょうと約束をして帰りました。
 それまでも、私の読んだもので母も読めそうなものを送りつけることが何度かありました。

 大型書店の書棚で「夜回り先生」と「夜回り先生の卒業証書」の2冊を買い、すぐに宅配便にかけようと思ったのですが、今度母と会った時の話の話題 に読んでおいたほうが良いだろうと、読んでから送ることにしました。

 水谷さんは56年生れで、私とは一世代お若い方ですが、山形の祖父母の元で過ごした子供の頃の経験は私と良く似たものでした。貧しかったお弁当のおか ず、運動会の思い出など。。
 その後、横浜でお母さんと一緒に住むことになるのですが、高校にも大学にもあまり出席せず除籍になるような時に尊敬すべき教師に出会い、自分には敵だと 思っていた教師になります。

 初任は養護学校で子供たちの排泄の世話、次は進学校で吹奏楽部の顧問もされて意気揚々とされていたそうです。その頃、夜間高校の教師をしている友人に 「能力もなく、学ぶ気もない生徒に何を教育するのだ。教師には限界がある。お前はエリートだから分からない」と言われ「教育は生徒を選ばない」と反論し、 結局は自分が夜間高校の教壇に立つことになるのです。そして、水谷さんは「夜回り先生」となられたのです。

 内容は、水谷さんが出会った子供たちとの関係をショートストーリ風にまとめられた読みやすいものです。

 貧しい田舎から出てきた母親は暴力団員と知り合い少年を産みます。少年が3歳のとき父親は暴力団の抗争に巻き込まれて死亡します。母親は暴力団関係者か ら離れ、働きながら少年を育てますが、過労のため寝たきりとなります。コンビニの廃棄処分の弁当を貰ったり、給食の残りを犬の餌にと偽って貰って帰ったり して飢えを凌いでいました。そんな少年はいじめの対象となりました。いじめられっ子の彼に優しくしてくれたのは暴走族の少年でした。

 それからはお決まりの薬物(シンナー)中毒となっていきました。そして薬物中毒の少年は水谷学級の生徒となります。薬物依存治療の病院に連れてってくれ と言われ、来週と約束したその夜、少年は幻覚からダンプカーに飛び込んで死んでしまいます。
 少年の遺骨は、シンナー中毒のために箸でつまめない状態だったそうです。

 1週間後に、この少年が連れて行ってくれと言った病院を訪ねて、医師から
 「この少年を殺したのは水谷さんですよ。薬物依存が愛で直ると思われたのですか?熱のある子を抱きしめて熱が下がりますか?熱が出るのは根性がないから だと殴って熱が下がりますか?愛でも罰でも直せないのです。これは医療の領域なんですよ。一緒に取り組んで行きましょう」と言われたそうです。

 ドラッグ、シンナー、暴力、虐待、売春、暴走、リストカット、、、子供に起こるすべての問題は、「大人」の責任だ言われています。
 子供が事件を起こすと「今の子供たちは・・」と子供を非難するが、その背景を見ていない。大人が作った社会、彼らをキチンと育てられなかった社会、そこ にいたる前に何らかの手を差し伸べることも出来なかった大人たちこそが加害者ではないか。
 大人自身が、大人の作った社会が変わらないで、子供や若者に変わることを求めることは、許し難い責任転嫁だとまで言われています。

 最後にこう書かれています。
 「この本を読んでくれた大人たちにお願いがある。どんな子供たちに対しても、まずは彼らの過去と今を認めた上で、しっかり褒めてあげてほしい。良くここ まで生きてきたね、と。
 生きてくれさえすれば、それでいいんだよ」

 あまり、大きな期待をせずに母親のお付き合いで読みましたが、この社会の私自身を含めた病巣の一つを見た気がしました。

◆ 水谷修さんの連載記事「水谷修先生の夜回り日記」http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/yomawari/を ご覧ください。
◆「水谷修の春不遠」http://www.koubunken.co.jp/mizutani/main.htmlというサイト でも、連載されています。

◆ 最近気になること
 寒さ厳しい折、寒さと関係する話題を2題

◆その1:梅田地下街の野宿生活者(ホームレス)
 朝の通勤時に通るJR大阪駅から地下鉄東梅田駅に通じる地下街(Whityうめだ)に最近、野宿者が増えてきました。寒さ厳しい折から地上で寝ていた人 が、少しでも寒さのましな地下街の床に寝ているのでしょう。

 今朝数えてみたら、阪神百貨店の前辺りだけで7人ほどいました。以前、この地下街ではガードマンが頻繁に巡回していて、寝転んでいる人に注意をしていた ように思うのですが、ガードマンはどこに行ったのでしょうか?

 ついでに調べてみましたら大阪の主要な地下街(Whity うめだ、ナンバなんなんタウン、なんばWALK、あべちか、京橋コムズガーデン、堂島地下センタ)は、大阪地下街株式会社http://www.osaka-chikagai.co.jp/と いう民間企業が管理運営しているそうです。(堂島地下センタは関連会社が運営)

 彼らの命の問題、生活の問題、生きる権利の問題と、景観の問題などと難しい問題ですが、取りあえずは意地の悪そうなガードマンにつまみ出されなくて良 かったと思っています。

 なお、ホームレスの呼称も「路上生活者」とか「野宿生活者」の方が正しい表現と思いますが。

◆その2:大阪駅前の難病救済募金
 大阪駅前で、「○○ちゃんが難病で、アメリカで手術をするためにお金が必要です。是非募金に協力してください」と訴えているオレンジ色のウエアを着た若 者たちが、最近の寒さからかいなくなりました。

 何事にも懐疑的な私は、彼らが善意の募金者だとは思えませんでした。彼らの言う「○○ちゃん」が本当に難病で高額なお金が必要なら、あのような手段(街 頭募金)だけでなく、もっと他の手段(マスコミを使うとか)をどうして使わないのでしょうか?マスコミで「○○ちゃん」を聞いたことがありません。(もう 少し、調べてみたと思っておりましたら最近見かけなくなりました)

 オヤジの邪推より、募金が集まり難病の子供が無事に手術を終えて元気にされていて、もう募金の必要がなくなって彼らの活動も不要になったのであれば幸い と祈っております。

◆訂正など
 毎日放送が昨年12月24日のVoiceという番組で彼ら募金集団を追跡取材した内容を放送していたそうです。NPOの名前を騙り、ボランティアを装い 金儲けとして「募金」をしていたそうです。現場で募金をしていた若者は時給1000円で雇われていたアルバイトとのことでした。詳細はこ ちらに。
 オレンジ色のウエアと書いておりまりましたが、前記毎日放送のWebサイトの映像では緑色でした。私の思い違いでした。

 難病の子供が助かったから、難病の子供がいなくなったから、或いは寒いから、募金をしなくなったのかと思っておりましたが、そうではなかったようです。
(05/02/03追記)

◆憲法9条
 先日(23日)のNHKスペシャル「憲法徹底討論」で評論家の加藤周一さんが、9条改正についてこんな風に発言されていました。
 「日米安保条約は軍事同盟であり、憲法9条と同時に存在するには矛盾がある。日米安保条約を解消するか、9条を変えるかどちらかをする必要がある。私は 日米安保条約を解消すべきだと考える」(記憶だけですが)

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