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05/01/30 種田 山頭火「其中日記」

 先日、山頭火所縁の山口県小郡町、防府市などに旅してきました。旅の記録などはこちらをご覧ください。

 種田山頭火は漂泊・放浪の俳人でした。放浪生活も齢を重ねるにつれて心身ともに辛くなり、定住した生活を望んでいましたが、保証人がいないなど諸処の事 情により実現しませんでした。俳友の紹介により小郡町の郊外にある古家を借りて初めて庵を結んだのは32年(昭和7年)9月、51歳のことでした。38年 (昭和13年)11月、老朽化して住めなくなったこと、また定住・安住に耐えられなくなって、俳友にも相談なく逃げるように湯田温泉街に新たな居(風来 居)を構えるまでの6年間の日記です。
 春陽堂の「山頭火の本」全14巻に収録されています。

 「其中(ごちゅう)庵」の名は、経文の中の「其中一人作是提言(ごちゅういちにんさくぜしょうげん)」、災難にあったときにその中の一人がお経 を唱えることによって皆が救われる言う意味から、山頭火はその中の一人(其中一人)を自分に置き換えていたようです。

 山頭火には強く惹かれるのですが、中々好きにはなれません。

 其中庵時代の山頭火は、種を蒔いて収穫を何ヶ月も待つような野菜を作るなど、漂泊の生活からは考えられない落ち着いた生活をし、落ち着いた句も多いと言 われている時期です。

 しかし、息子からの送金、句集の売り上げ、俳友からのカンパ等、金が入れば小郡の街まで下りて、酒を飲んで泥酔し駅舎で寝たりして朝帰り、悔恨に浸り自 分を痛めつけていきます。こんな山頭火のだらしなさが、私のだらしない生活と重なってしまいます。

 其中庵には句友が訪ねてきます。また、俳友を訪ねて遠方への旅もニ度ほどしています。米が酒がなくなれば、近燐への行乞にも出かけています。ある時期に は、俳友に誘われて魚釣りにでかけたりもしています。もちろん釣果は酒の肴になっています。

 山頭火の句をいくつか、浅く独善的な読みですが。

◇灯ればしたしく隣があった
 庵住してまもなくの句です。
 旅の宿から見る隣家とは違うあたたかな灯火が見えたのでしょう。安住する喜びが見えます。

◇ぬいてもぬいても草の執着をぬく
 畑の草との格闘です。草が執念を持つように思われます。草むしりも自分の家だからこその楽しみでしょうか?

◇風の中のおのれを責めつつ歩く
 お金もなく、米もなく致し方なく行乞に出たのでしょうか?或いは少しばかりの金が入り、小郡か湯田温泉でへべれけに泥酔して朝帰りでしょうか?
 身につまされる一句です。

◇どうしようもないわたしがあるいている
 深い悲しみの淵にあるのでしょうか?逃れようのない悲しみや苦しみが襲ってきます。逃げるすべは死だけでしょうか。睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こしてい ます。
 山頭火の句はストレートに「死」をうたっています。
 ”死を前に涼しい風”
 ”おもひおくことはないゆふべの芋の葉ひらひら”

◇けふは凩のはがき一枚
 其中庵には俳友が、酒と肴とまた幾ばくかの金員を持って訪ねてきます。定住したことで俳友との通信も活発になります。米も酒も金も無い日は不貞寝をし て、残る楽しみの郵便物を待っています。
 待っていたのは、長男健氏からの送金かもしれません。しかし、木枯らしと一緒に届いたのははがき一枚でした。

◇けふもいちにちだれも来なかったほうたる
 金も、酒も、肴も、米も到着しなかった。すきっ腹を抱えてぼんやりと蛍の灯をみて空腹を凌いでいたのでしょうか。

◇けさは逢へるひの障子あけはなつ
 楽しみにしている俳友が訪ねてくる、早く起きて障子を開け放ち、掃除をし畑の野菜で酒の肴でも作って待っているのでしょうか?
 山頭火は、人の訪ねてくることを本当に楽しみにしていたようです。約束の人が来なかった時はこんな風に日記に書いています。
 ”白船老はとうとうきてくれなかった、「かも知れん」程度しか待たないつもりだつたけれど(あまりに当にして当が外れると失望が大きい)、それでもやっ ぱり待ってゐたので、失望した、そして淋しかった、といつても仕方はないが。”

◇誰かきさうな雪がちらほら
  一人住まいの身には、ちらほらと舞う雪も、あの人この人を思い出させて淋しさが募ります。こんな日に懐かしい人が訪ねてくれれば、いやいや少々酒癖の悪い 俳友でも一本下げてくるのなら大歓迎です。淋しさを紛らせるものであれば。こんな日は深酒になりそうですね。

◇おとはしぐれか
 これも俳句かと思わせる句です。たった七音でイメージが広がります。
 あの其中庵の古畳の上で、読書をしていたのか木の葉を揺らす風の音が止んだと思ったら時雨になったのか。寒さがつのる一人暮らしの侘しさです。

◇春風の鉢の子一つ
 空腹に耐えかねて行乞にでては、今夜の米といくらかの喜捨を得て帰ります。
 定住した山頭火は、僧衣と鉢の子一つの身軽な格好で近くの町や村を托鉢に歩いています。

◇てふてふひらひらいらかをこえた
 優しい目が蝶々を追っています。蝶々も句の題材として多い対象です。旅先の永平寺での句です。
 ほかの時期にこんな蝶々の句があります。
 ”ぬれててふてふどこへいく”
 ”ひらひら蝶はうたへない”
 私は、この”ひらひら蝶はうたへない”がなぜか好きです。

◇柳ちるもとの乞食になって歩く
 其中庵を出て、湯田温泉に新たな居を構えましたが長くは続かず、四国遍路に旅立つ時の句です。
 やっと定住の地・死に場所を得たにも拘わらず漂泊の旅に出なければならなかった山頭火の心境です。

◆俳号・山頭火
 山頭火の俳号の所以はなんだろうと思っておりましたら、こちらのページに詳しい説明がありました。http://tb.sanseido.co.jp/kokugo/kokugo/j-kokugo/hotline/3rd/haiku.html
 納音五行(なっちんごぎょう)からの命名とのことです。

 納音五行とは、丙午(ひのえうま)等のように生年と十干(じゅっかん)と十二支から当てはめた物のようです。暦、時刻、方角等から占いなどで使われる物 のようです。生年からの十干十二支の対照表はこちらにありました。http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/dat/wareki2/wareki_007.htm
 また、十干十二支と納音の対照表はこちらにあります。http://www20.0038.net/~thkthk1/suimei-20.htm
 このページによると「山頭火」は、
 ”高くもりあがる火の星。乾といって、天文に火が燃え上がる勢いだという意味。活気がある事を言う。”だそうです。

 因みに私は1948年生れで十干十二支では戊子(つちのえね)、戊子は納音五行では「霹靂火(へきれきか)」というそうです。私も俳句を読むのなら、霹 靂火と命名しましょうか?画数が多くて書けませんが。

 「霹靂火」の意味は、
 ”電光のように波乱の多い星。轟わたる激しい雷の意味。響きわたる激しい雷をも恐れないというところからこの命の人を霹靂火という。この命運の人は人生 に波乱が多く、変化の多い運命をたどる人が多い”
 だそうです。苦労の元はこんなところにありましたか?(笑)

◆大阪市職員の時間外手当詐取事件
 大阪市職員が、日常的に時間外手当を詐取していた事件(マスコミは空残業と言っていますが)がありましたが、原因は議会与党と労働組合の癒着でないかと 思います。鼻薬で骨抜きにされた組合幹部により弱体化された労働組合の象徴的な事件でした。
 雪印や三菱自動車などの企業犯罪も、チェック機能を働かせられなかった労働組合に大きな責任があると思います。

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