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05/03/24 井上 ひさし「不忠臣蔵」(その2)

 3 月19日付け「残日録」に続いて、井上ひ さしさんの「不忠臣蔵」を取り上げます。

浜奉行 代行・渡辺半右衛門
 ◇語り手:三河岡崎藩御小姓組・青山武助(間十次郎の介錯人)
      :渡辺半右衛門
 ◇相手:青山武助、渡辺半右衛門
 ◇場所:赤穂城外尾崎村新浜の塩田
 吉良邸に討ち入った間十次郎は切腹を待つ間に介錯人の青山武助に「籤(くじ)の引きようでは。。。」「知りたければ赤穂城外の渡辺半右衛門を訪ねよ」と 言い 残して死んでいきま す。

 武助は赤穂城外の塩田で元浜奉行代行職にありながら、今は浜男として力仕事をして働いている半右衛門を訪ね、ことの真相を尋ねます。
 半右衛門と十次郎は幼馴染の仲良しだったが、彼ら二人が他の人間と一緒にことを為すと、その中の誰かが死んだり怪我をしたりということが続き、これから は二人 一緒には何もしないと約束をしていた。

 吉良邸への討ち入りが決まった時、二人が揃って同盟に加わると討ち入りが失敗するのではと案じた二人は、籤でどちらが同盟に加わるかを決めることとし た。
 籤に負けた半右衛門は、討ち入りに参加しなかった。半右衛門が抜けたからかどうか赤穂浪士の討ち入りは成功した。

在々奉 行・渡部角兵衛
 ◇語り手:渡部角兵衛
      :元肥後鍋島家・山本神右衛門常朝(つねとも)
 ◇聞き手:鍋島家家士・田代又左衛門陣基(つらもと)
 ◇場所:肥後佐賀城下・黒土原(くろつちばる)の角兵衛の小屋
 浅野家断絶の後、備前、土佐、筑後、備前、備後等の諸藩が、大石内蔵助の内匠頭亡き後の仕事の手腕を買って仕官を誘ってきていた。内蔵助は諸藩に断りを するための使者とし て 渡部角兵衛を差し向けた。
 旅の途中、佐賀城下で内蔵助の才腕を低く見積もっている山本神右衛門常朝にであい議論することとなるが。

 常朝は「主君のために命を捨てるのは下下下の忠であり、上上吉の大忠節とは、主君の御心入れを直し、藩を固め申すこと」と説く。
 「内蔵助にはそれだけの知恵がなかった。あらかじめ主君が間違いを起こさぬよう気配りをなし、国家の安泰をはかるべきだった。それなのに平時は昼行灯 (ひるあんどん)とは・・・!」「船頭が自分のせいもあって船を転覆させ、乗合衆に大損をかけておき、その上で、糞力で船を元に復したようなもの、だがし かし溺死した乗合衆は二度と還ってはこない・・」「鍋島家はこのような愚か者を迎えるべきでないと言い歩いてきたのだ」

 この常朝の考え方に感激した角兵衛は吉良邸討ち入りが 決 まった時、同盟に加わらないことを決意し、主に殉じて出家していた常朝の庵のそばに住むこととしました。

 武士道の教科書と言われる「葉隠」は、常朝が口述し陣基が筆録したものだそうです。太平洋戦争中は戦意高揚のために利用されたことがあり ます。一度読んでみたいと思います。
 大石内蔵助は吉良を討つという陰謀を悟られないために、昼行灯を装っていたと思っていましたが、元来が平時には昼行灯風で事あればがんばるタイプの人 だったみたいですね。

◆武具奉行・灰方藤兵衛
 ◇語り手:灰方藤兵衛
      :常陸国牛久沼山口家浪人・村木隼人
 ◇聞き手:藤兵衛と隼人
 ◇場所:京都伏見御香宮門前の村木隼人宅
 藤兵衛は「余の目線をはずしたから閉門を命ず」「余を睨み付けたな、蟄居を命ず」とことあるごと内匠頭から苛められていた。内匠頭の使いで京都への途 中、 村木隼人 に助けられたことがきっかけで二人は恋におちいります。(男色?)

 内匠頭の苛めはその後も続き、藤兵衛はついには暇(いとま:解雇)を出されてしまいます。
 藤兵衛一家は下女の実家の村に引きこもり、貧しい生活を強いられます。そんな灰方家に手を差し伸べてくれる家中のものはありませんでした。母の病気、子 供の怪我、、遂には一家心中を決断します。
 そんな灰方家に隼人から、「灰方家の窮状を見るに見かねて、脅しをはたらいた金だが是非使ってくれ、これから奉行所に自首して罪をつぐなう」と30両が もたらされます。

 帰参(再雇用)が叶った藤兵衛は大石内蔵助に「命を捨て申す斗(ばか)りが志にてはこれ無き儀と存じ候 また末は見え申さず候 その上拙者存じ寄りとは 相違仕り候様(よう)に存じ候間(かん) 此の度列を退(の)き申し度く候・・・・」と義盟脱退の口上書を送り決別します。

 佐渡に島送りとなって13年、盲となった隼人を迎えた藤兵衛は伏見御香宮前で隼人と暮すこととなります。

◆馬廻・片山忠兵衛
 ◇語り手:片山忠兵衛
      :肥後熊本細川家用人・鎌田軍之助
 ◇聞き手:鎌田軍之助、片山忠兵衛
 ◇場所:芝白金・肥後熊本細川家下屋敷
 絵師・狩野常信の近くで育った忠兵衛は、子供の頃から絵が得意で浅野家に召抱えられることとなったが、お家の大変で浪人となってしまい、狩野常信の下で 絵筆をとって糊口 を凌いでいた。

 常信を通じて、細川綱利から亡き最愛の側室・花宴の絵を書いて欲しいという依頼があり、芝白金の下屋敷で花宴の絵を描くこととなった。綱利から口伝えに 花宴の印象を聞きイメージしていきます。綱利は薄物だけを 羽織った花宴を描くようにと言われ描き上げましたが、忠兵衛はその絵の内股に墨を落としてしまいました。
 この墨がなんとも自然に見えた忠兵衛はそのまま筆をおいた。

 ところが、綱利は「母親とわししか知らぬはずの花宴の内股の黒子(ほくろ)を何故絵師が知っているのか?」と大激怒。詮議のために細川家に軟禁されてい て討ち入りに参加することができませんでし た。


◆中々、紹介し応えのある本です。2回で終わらず、またまた次回に持ち越すこととなりました。

 ◆高木敏子原作「ガラスのうさぎ」
 東京大空襲で二人の妹と母を殺され、そして父までも機銃掃射で殺された高木敏子さんの自伝小説「ガラスのうさぎ」がアニメーション映画として製作されました。
 私の住む関西地方での上映予定は未定のようですが、皆さん(特に若い方に)、是非ご覧ください。
 映画「ガラスのうさぎ」Webサイト
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