私の母は1918(大正7)年生まれで、数え年では88歳になります。一昨年末に数週間入院をしまし
たが、その後は体調も安定し身の回りのことは自分で
する程度に過ごしております。
親不孝を重ねてきた私は、せめてもの罪滅ぼしにとなるべく一ヶ月に一度は顔を見せに帰郷しております。
この母は、耳は少し遠くなりましたが、目はしっかりとしており編物をしたり、新聞や本を読むのが日課になっています。
帰郷の折には、母も興味を持つであろう本を手土産代わりに持っていくことが多くなっております。
そんな手土産にと書店で見つけたのが田中美智子さんの「さよなら さよなら さようなら」です。
田中さんは、1922年生まれの愛知県選出の元衆議院議員です。
68歳で、5期15年の議員を引退されてからは、住まいを名古屋から奥秩父の山村に移して、ご本人曰く「フーテンの寅」のような国内外の旅と講演などに
出かける生活をされていたそうです。
その田中さんが03年9月11日(あの9・11の日)に、大腸ガンで6時間にわたる大手術をされるのですが、術後の余命は半年から1年との宣告を受けら
れます。
死の宣告を受けられてからの田中さんの生活と、国会議員生活を振り返ってのエピソード、旅の思い出などが、とても死の宣告を受けた方とは思えない、元気
でユーモラスな筆致で書かれています。
なんとも元気で、面白いおばさんのエッセーです。是非ご一読を。
死の宣告をされてからも、講演、歌舞伎と元気にお出かけです。特に歌舞伎の観劇がお気に入りのようです。
そして、6歳年下の「ガタガタとあわてる」タイプの旦那さんに心細やかに「遺言」を書き置かれます。
1.医者に死亡証明書を書いてもらう。
2.危篤になってから京都の甥に知らせること。後始末の手伝いは早々にして帰すこと。
3.しんぶん「赤旗」に死亡広告をだすこと。葬式はしない、香典は受けない、相模湾に散骨する。
4.危篤になっても入院をさせない。重篤な治療は不要。他人に死に顔は見せない。
5.恩給局に遺族年金の手続きをすること。
6.隣組には用意した回覧板をまわすこと。
7.「葬送の自由をすすめる会」に連絡して、10人で一艘の船で相模湾に散骨する。費用は簡易保険で。
8.棟方志功の版画は共産党に寄付する。必ず自分で持参すること。
9.死亡通知は自分で書いておく。パソコンの住所録から印刷して出すこと。
10.××の洋服は誰それに、、と形見分けの指示。
11.苦しくなったら、緩和ケア、終末ケア、モルヒネなど早めにして、苦しまさないで欲しい。延命措置は拒否して欲しい。
12.家土地は、遺産相続として早めに名義に変更をすること。
13.甥や姪には経済的な負担を一切かけないように、往復の新幹線などは貯金から払ってください。
大阪でミヤコ蝶々さんと対談の後、意気投合して蝶々さんのお誘いで一杯飲みに行くことに。店に入るとそこは少し異常な雰囲気。実はゲイバーだったと言う
話。
女子差別撤廃条約を批准するための国内法の整備が「男女平等法」
ではなく、「男女雇用機会均等法」になったいきさ
つなど、国会議員としての奮闘の模様。
旅先のローマの空港のストライキに遭遇し、チケット売りのおばさんとイタリア語と英語で喧嘩をし、ごり押しで搭乗してしまうと言うような大立ち回りまで
演じてしまいます。
南米のコスタリカという国には軍隊が無く、国家予算の30%が教育費、この国の立派な建物は学校だそうです。
遅くなってタクシーで帰宅しお金を払う時に「私は、あの家に住み着いている狐なの、明日になったらこのお金が木の葉になってるわよ」とお茶目に運転手と
話されるそうです。
山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」について、このように書かれています。
(前略)「人間の尊厳とはなにか?夫の命を救いたい妻の弱みに付け込み、不埒なことをし、さらに侮蔑的な言動をはく家老への激しい怒り。女性の尊厳への
復讐、底に秘めた男の友情に胸のすく思い、まさに女性問題の原点だ。そのとき初めて「鬼の爪」の意味がわかった。」
女性の地位と権利を守ってこられた方の視点です。
もう一度、そんな視点で見てみたいものです。
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