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05/10/05 辰野 事件・佐 野洋「『小の虫』の怒り」A

 前回に続いて、佐野 洋さんの「『小の虫』の怒り」を紹介します。

 1952(昭和27)年4月28日、「サンフランシスコ平和条約」が発効し連合国(実質的にはアメリカ軍)の日本占領が終りました。

 翌29日夜(30日未明)、長野県伊那地方の辰野町と付近の町で警察署に爆発物が仕掛けられる等の事件が相次いで発生しました。これらの事件を総称して 「辰野事件」と呼ばれています。

 前日(28日)にサンフランシスコ平和条約が発効し「条約発効による恩赦で長野、松本刑務所から受刑者が釈放されるので犯罪の予防の為」という理由で、 国警辰野地区警察署と付近の警察者が非常警戒態勢をとっている時に事件は発生しています。

◇30日2時頃、辰野警察署の鑑識室の窓の鉄格子に取り付けられた火炎瓶が発火した。
◇30日1時頃、辰野駅前派出所付近の豚小屋からダイナマイトが発見された。
◇30日5時頃、東箕輪駐在所玄関でダイナマイトが爆発した。
◇30日1時頃、非持駐在所の縁の下の時限発火式ダイナマイトが爆発した。
◇30日0時頃、伊那税務署に近づいた男が税務署員に発見され逃亡した。

 警察は、これら5件の事件の容疑者として事件発生から1年余りの間に共産党員ら13人を逮捕・起訴しましたが、20年後の1972(昭和47)年12月 最高裁判決で全員の無罪が確定しています。

 本書では、これら5件が警察によるでっち上げであることが検証されています。

◆東箕輪駐在所事件に関わる部分を紹介します。

◇導火線の音
 事件の第一発見者の巡査は駐在所でダイナマイトの先につけられた導 火線がシューと音を立てて燃えているのを発見します。
 彼は裁判でも同様の証言しています。

 ところが導火線に火をつけても、「シュー」等と音がしないことが、弁護団の調査で明らかになると検察官の誘導により、徐々に証言の内容を変質させていき ます。
 裁判記録を引いて、細かく検証されています。

◇割れたガラスの枚数
 事件直後の「南信日日新聞」に掲載されて写真では、駐在所の玄関のガラス戸は8枚しか割れていないのに、裁判に提出された検証写真では9枚のガラスが割 れています。

 実際はダイナマイトは爆発しておらず、導火線を燃やし雷管を爆発させただけの「事件」だったので、被害を大きく見せるために警察が偽装したのです。

◇妻子は実家へ
 駐在所の巡査の妻子は事件当日実家に帰っていた。
 一般人の家が火事になり、その家族が当日実家に帰っていたら警察は保険金詐欺を真っ先に疑うはずだとも書かれています。

◆でっち上げの目的
 事件発生当時は深刻な不況で、主要企業の閉鎖や大量解雇が計画されていた。また、ダム建設反対運動も活発化していた。
 これらの運動を主導的に指導していたのが共産党の活動家でした。

 露骨な共産党弾圧の為に仕組まれたものだったのです。

 このような権力犯罪は、何年後かに真実が明らかになっても、市民に「共産党は怖いもの」との認識を植え付けるという彼らの目的は既に達成されています。
 また、明らかに偽証をしている警察官も罪に問われることはありません。

 佐野洋さんは辰野事件に積極的に関わられていて、裁判の傍聴、現地調査への参加、文筆活動での支援などをされておられます。
 今回紹介した部分も「辰野事件被告団発行『謎の4月30日』(1972年10月刊)」の再録です。

 この本は未だ未だ紹介したい部分がありますので、継続して紹介したいと思います。
 
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