瀬戸内寂聴さんも鶴見俊輔さんも1922(大正11)年生まれの83歳、京都にお住まいのお二人
です。瀬戸内
寂聴さんは「女性九条の会」の呼びかけ人、鶴見俊輔さんは「九条の会」の呼びかけ人です。
博学のお二人の対談集です。
瀬戸内寂聴さんの「あとがき」(一部)から、お二人の憲法(9条)への思いを紹介します。
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現憲法は国民が主権である。そして何より輝かしいのは、九条の戦争放棄の宣言こそ、あの戦争で犠牲になって命を落とした敵味方なく、すべての戦死者たち
の
魂への懺悔と誓いであった。そこには深い祈りがこめられている。
それなのに今やこの憲法が改制されそうで、九条の立脚が危くなっている。今の若い人たちは、戦争を知らないし、空襲も、あの頃の若者の出征も、特攻隊も
知らない。話に聞くだけである。その若者に、戦争の恐ろしさ悲惨さを伝えることは、本来至難の技である。
それでも、私たち戦争の生き残りの老人たちは、嫌われてもののしられても、戦争反対を、九条改制反対を言いつづけなければならない。
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三島由紀夫との交流、職人のこと、日米安保条約のこと等々、幅広い話題です。
◆徳島ラジオ商殺し事件
1953(昭和28)年、徳島市でラジオ店の主人が殺され、当時内縁の妻が物的証拠がないまま、住み込み店員の証言だけで犯人として逮捕された冤罪事件
です。
瀬戸内さんは、この事件の犯人とされた富士茂子さんの再審運動に尽力されていました。
茂子さんの死後、1985(昭和60)年、無罪判決が確定しました。
冤罪を証明する為には、一生の時間を掛けても足らないほどの時間が必要なのです。
◆独立記念日
瀬戸内さんの親戚の高校生はアメリカの高校生と文通をしているのですが、文通相手からの手紙に、
「アメリカではもうすぐ独立記念日でこんなお祝いをするけれど、日本ではその日どういうお祝いをするの」
と書いてきたそうです。
ブッシュと小泉を見ていると、日本はアメリカの51番目の州くらいにしか見えないのでしょうね。
◆「育児の百科」
我が家の子供たちが生まれた時に、育児書の基本として使っていたのが松田道雄さんの「育児の百科」という本でした。
鶴見俊輔さんは京都市内で小児科診療所を開業されていた松田道雄さんに、お子さんの保育園を紹介してもらうようなお付き合いもあられたそうです。
久し振りに目にしたお名前でした。
◆少年の夢
瀬戸内さんが今年の5月まで住職をされていた天台寺で、法話をされている時に、中学3年生という少年が、
「このままでは憲法が改正され、九条がなくなりそうです。すると、ぼくは戦争に征かなければならないのでしょうか。ぼくにはやりたいことがいっぱいある
んです」
と訴えかけてきたそうです。
瀬戸内さんは、
「あなたが戦争に征きたくないと思うんなら、いやだとはっきり言いなさい。まだ日本の憲法は生きています。でも、あなたの不安は正しいの。憲法が変えら
れないよう、一緒に頑張ろうね」
と答えられたそうです。
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