帰宅
途中に大阪駅前
第4ビルB2の古書店街
(東南角に5〜6軒)を覗きましたら、1冊105円のコーナーにぎっしりとハードカバーの単行本が並んでいます。
本は文化の一つだと思っております。新刊で1000円を超えるものが、ミネラルウォーター1本も買えないような金額で売られていることに複雑な気持ちに
なります。
でも、古紙回収で溶解されるよりは、誰かの手に渡り新しい感動を与えていくのならすばらしいことです。
そんな一冊が、南木佳士さんの「落葉小僧」です。
南木佳士さんの作品では以前に「阿弥陀堂だより」を紹介しました。(「残
日録」:05/04/27)
南木さんは現役のお医者さんです。今回の「落葉小僧」も医療の現場にかかわる人たちの短編集です。
愛する人の死、孤独な老人の死、子供の死、色々な人のいろいろな形の死があります。
浅い読みでは中々紹介しきれませんが、もう少し毎日更新を続けていきたいと思います。
◆落葉小僧
長吉は大学の医局に勤めていましたが、急死した父の跡を継いで信州の田舎医者になります。
この村の出身で埼玉県でガソリンスタンドを経営していた善海さん、中国から町の病院に研修に来ている看護士の張さん、山の中腹に建てられた電波望遠鏡の
研究者・アメリカ人のサイモンたちとのアユ釣り。
上流にダムができてアユ釣りも今年限りとなりそうです。
周りから反対されながらも看護婦を娶り、左翼運動に関わり大学を追われて見ず知らずの無医村にきて、最愛の妻に先立たれた亡き父の「診療日記」がありま
す。
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昭和三十一年十月六日(晴)
秋になり、長吉は家の中に閉じこもることが多くなる。希世子に問うと、落葉の舞うのを怖がっているのだという。実際に木の下で泣いているのを見ると、ほ
んとうのようだ。希世子と二人で落葉小僧と名づける。落葉を怖がる感受性を小生は喜ぶものであるが、願わくば、この感受性が自他を殺す武器として増殖しな
いことを祈る。
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この本には琴の演奏が、何ヶ所か出てきます。
この編では宮城道雄さんの「水の変態」が出てきます。音楽にはまったく素養がありませんが、一度聞いてみたいですね。
◆フナを釣る
信州の村の病院の医療事務員となった拓三の退屈な田舎の生活に活気をもたらせてくれたのはアユ釣りだった。
職場の看護士の和代と結婚し和代の祖母と一緒に暮らすことになった。
拓三のアユ釣りの腕は、村のアユ釣り大会で上位入賞をするほどになっていた。
子供の誕生、祖母の発病、看護、そして死。
家に寄り付かなくなってしまった拓三に会うために、和代は子供を連れてアユ釣り大会の会場に出かけてきた。
◆ニジマスを釣る
東京近郊の団地に住む一家は、ゴールデンウィークに夫の両親が暮らす北関東の村に帰省する。
家族で、土砂崩れにあった先祖の墓を里山に移すためだ。
田舎の村には、数年前にゴルフ場ができ、その後スキー場ができ、若者がUターンして帰ってきて、小さな農家の傾いた屋根は新しくなっている。しかし、大
規模な開発は土砂崩れを誘発するなど自然破壊も進んでいます。
老いて生気のなくなった父はどこか悪いのかと少々若作りの母に聞くと。
「私もそう思って診療所に連れていったんだけどさあ、先生ったらこの村の男どもは年取るとみんなうつ病になるんだ、このおれもなってタバコふかしてた
よ。長い間崖と山ばっかり見続きてるとそうなるんだとさ。反対に、女たちは年取るほど化けて元気になるんだと。それ聞いて父さん久しぶりに笑ってたよ」
我が家の母も含めて、確かに老いた女は元気で丈夫なようです。
里山に入り、倒木を整理していると父からというニジマスが届けられる。下の硫黄沢に放して孫たちにつかみ取りをさせるのだという。
◆ハヤを釣る
戦場から九死に一生を得て帰ってきた秀太郎は、結核を患い片肺を切除している身体を労わりながら、信州の旧家に養子に入り半生を過ごしてきた。
旧家の家付き娘である嫁の志乃とは心許しあうことがなかったような生活だった。子供たちとも同様であった。
秀太郎が肺炎に罹り死地を彷徨っている時に、朦朧とした意識の中に琴の音が若かった頃の少々甘酸っぱい思い出を蘇らせます。
(ここでは「六段」が使われています。)
そんなぼんやりとした意識の中で、志乃と子供たちが秀太郎亡き後のことをあれこれと無遠慮に話していることを聞いてしまった。
◆ヤマメを釣る
製薬会社の営業社員の宗介は、顧客先の開業医から息子が受験勉強に身が入らないからと、息子の飼っているドジョウとフナを預かります。
開業医の息子が宗介のアパートにドジョウとフナを見に来ました。
水槽に入れた魚で最後に生き残ったのがこのドジョウとフナで、一番先に死んだのはヤマメだったという。
ドジョウやフナは下品で嫌いだ。父も母もそれぞれ、外に愛人を作っていながら平気で一緒に暮らしている。下品なやつは強いのですね。
ヤマメは上品だ。ぼくは上品に生きたいという。
中学校の同窓会に出席した宗介は、旧友が釣ったというヤマメの剥製を貰い受けて、開業医の少年に持っていってやろうとします。
◆金印
長吉は、田舎医者になってから、学会などに出てことがなかった。
村の病院に研修できていた中国人の張さんが福岡経由で帰国するとの連絡に、丁度福岡で開催される学会に出てみることにした。
学会の会場で大学病院の医局の同僚だった清子と再会し、張さんと3人で志賀島に金印を見に行くのだが、金印は東京の百貨店に展示されているとのこと。
清子との淡い恋などが絡んで長吉の幸せを予感させる最後の一編でした。
今日
は知り合いの方の近しい方が亡くなられたとお聞きしました。
人の生き死にのこと、死に行くもの残されたもののことを考えた一日でした。
「落葉小僧」ももっと深く読んで紹介したかったのですが、中途半端な紹介となりました。
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