05/10/23 大山崎山荘美術館
土曜日に、奈良方面にサイクリングの予定をしておりましたが、小雨のために中止し近所のアサヒビール「大山崎山荘美術館」
に出かけました。
大阪の実業家・加賀正太郎が昭和初期に建てた山荘を保存するためにアサヒビールが買い取り、修復と新たに安藤忠雄さんの設計による新館(地中の宝石箱)
の
建築をし、アサヒビール創業者の山本為三郎のコレクションを中心に美術館として公開されています。
JR山崎駅から徒歩15分ほど、天王山山麓の高台に赤い屋根が遠くからも良く見える「山荘」らしい建物です。
右のトンネルをくぐると、木々の茂った庭園が広がっています。この庭園部は入場無料ですから、ぶらりと散策するには良い場所です。
本館前には、着物姿の女性が大勢います、
普段は開いていない茶室も開けられています。お茶会が催されているようです。華やかな催し物です。
企画展は12月11日まで「益子 濱田窯
三代 庄司・晋作・友緒」展が開催されています。
濱田庄司は、河井寛次郎やバーナード・リーチ等とともに民藝運動の担い手です。
親子孫三代展ですが、伝統というのでしょうか作風は何処となく似通っています。
素人でよく分かりませんが、庄司は枯れて凛とした趣き、晋作は円熟の味、友緒は荒々しさを感じました。
新館は「地中の宝石箱」といわれるように本館からコンクリート打ちっぱなしの階段を下りた地下に円筒形に作られています。
新館はモネの睡蓮が常時展示されています。
今日はジュルジュ・ルオーのサーカスのピエロの絵が良い雰囲気でした。
お茶会の人混みを抜けて2階のカフェでコーヒーをいただきます。外のテラスは小糠雨と寒気で人気はありません。
庭園を散策したあと、坂道を下っていくとJRの踏み切り手前に「山崎宗鑑冷泉庵跡」の歌碑があります。
大山崎町文化協会の説明書きには以下のように書かれています。
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宗鑑は本名を範重(のりしげ)といい、寛正6年(1456)滋賀県栗太郡常盤村志那*で生まれた。彼の家は志那地区を支配した志
那氏で足利将軍義尚に
一族で仕えていた。しかし将軍義尚が佐々木高頼との合戦に敗れたため世の無常を感じて剃髪し、入道となり生地を離れて大山崎に隠棲(いんせい)したのであ
る。ここに山崎宗鑑が誕生する。
彼は八幡宮社頭で月例会として開かれていた連歌会の指導や、冷泉庵での講を主催する一方、世に知られた『犬筑波集』を生み出した。また書も宗鑑流として
多くの人々から珍重された。碑文の
うつききて
ねぶとに鳴や郭公(ほととぎす)
は掛詞(かけことば)を巧みに使い、その手法は後の俳諧の基礎となった。
*.引用者注:現在の滋賀県草津市志那町
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芭蕉も宗鑑を訪ねてこんな句を読んでいます。
有難き姿拝まんかきつばた
その後、大阪に出て本屋やサイクルショップを覗いて、おでん屋で身体を温めて帰宅しました。
「芸術の秋」「食欲の秋」でした。
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