Google
WWW を検索 残日録内 を検索
←Back  Haiku  Home Mail Archives Twitter  Next→

 今回は時実新子(ときざね・しんこ)さ んの川柳句集「有夫恋」を紹介します。
 軟弱に、だらしなく生きてきた男には、ガツンと脳天を殴られるような句が飛び込んできました。

男ののぞむ通りに生きて死に ますか
 「あなたは、あなたらしく」と口ではいっていてはも、どこかで「私色に染まって欲しい」と思っていたのでしょうね。
 本書の中で紹介文を書かれている田辺聖子さんは「珠玉にして匕首の句集」と評されています。
 だらしない男の胸元、そして女の胸元にもグイッと匕首を突きつけてくるような句です。

しあわせを話すと友の瞳 (め)が光る
 女のジェラシーですね。
 他人の不幸は蜜の味と言われますが。

夫を愛せない刑罰は何ですか
 目の前に匕首の二の手が迫ります。
 愛することも、愛さないことも、憎むことも、憎まずにいることも「私」の心のままです。
 誰も人の心を御することはできませんね。
  
永遠の愛誓わせて何になる
 「永遠の愛」が存在していると思っている人には申し訳ありません。

 「永遠の愛」などというのは、言葉遊びのような気がします。
 無いものだから、そうあってほしいと願う気持ちのあらわれでしょうか?

覚めている人を想うて覚めて いる
 寝ずに「私」のことを想っている人のことを想っているのでしょうか?
 「私」のことを覚めて見ている人のことを、私も覚めた目で見ているのでしょうか?

誰も知らぬこんな私がここに 居る
 人を激しく愛している「私」がここにいます。その激しさを秘めてここにいます。

指が告白しそうで握りしめ
 あなたに「好きだ」という告白でしょうか?
 もう、あなたが「好きでない」という告白でしょうか?
 白い肌に血管が浮いたぎゅっと握った手が浮かびます。

母の指妻の指わたしの指が見 つからぬ
 時実新子さんは17歳で嫁がれ2児を出産し、川柳の実作を始められたそうです。

 人は「自分探し」の人生を生きているのですね。
 耳順近くまで生きてきても、未だ未だ[自分探し中]です。

明日会える人の如くに別れた し
 短い逢瀬を過ごした後は、しばらく逢えない仲であっても「明日会える如く」に別れないと未練が残ります。
 ズンと胸にきます。

静けさが好きで嫌いで孤独 です
 雨の降る夜は、電車の音も湿った空気に消されるのでしょうか静かな夜です。
 酒でも傾けながら、来し方行く末をゆっくり考えるのに良い時間ですが、静けさは来し方の慙愧に耐えられなくなることがあります。

ふたたびの男女となりぬ春 の泥
ののしりの果ての身重ね 昼の闇
 どちらも好きな句です。
 身を許されて男は有頂天、そこに覚めた心の女がいるとは思わずに。

さくら咲く一人ころして一 人産む
 この句集には「ころす」という言葉がたくさん出てきます。
 誰を殺して、誰を産むのでしょうか?

波の宿 別れてあげること にする
 この宿で過ごす時間はどんなでしょう。
 男はズルズルと関係を続けようとずるい考えで出てきたのでしょうが、女は凛として「別れてあげる」と決意して来ているのですね。

男の嘘に敏感なふしあわせ
 馬鹿な男の嘘や言い訳など、女性はとっくにお見通しなのですね。
 男の嘘など他愛もなく化けの皮の剥がれることなのでしょうね。

 その嘘に騙される幸福もあるのでしょうか?
 でも、男は騙された振りをしている女に甘えていては駄目ですね。

男の家に赤い三輪車あった
 男性諸氏、ドキッとしませんか?
 誠実に生きていきましょう。

浮袋沈む男に投げはせぬ
 どんな男なのでしょうね、この「沈む男」は?見殺しにされる男は?
 調子の良いことを言い放し、歓心を引こうとしたのでしょうか?

ガム幾万吐き捨てられて沖 縄よ
 反戦句と読みました。
 ガムを吐き捨ててきたのは沖縄駐留のアメリカ兵です。
 日本の国も、沖縄をガムを吐き捨てるように捨ててきました。

二人共少しずつ老い時々逢 い
 「少しずつ老い、時々逢」う、なんと言うふんわりとした幸せでしょうか。
 私には、不幸にしてこんな関係の人はおりませんが、こういう風に老いてそして死んでいきたいですものです。

ぞんぶんに人を泣かしめ粥 (かゆ)うまし
 この句についての田辺聖子さんの評を引用します。

 「嬉しいなあ、こんな句。
 人生を生きるということは人を傷つけること、といってもいい、私たちは有形無形に人を泣かせているのかもしれない。それを知りつつ粥を舌鼓打って食ら う、これなど『元気の出る句』といってもいい、逞ましい力を吹き込まれる。」

 私は多くの人を傷つけて生きてきたと思っておりますが、実はその何倍も人を傷つけているのでしょうね。
 粥を美味そうに食らうくらいになりたいものです。

◆時実新子・略年譜
 ◇1929年、岡山県岡山市生まれ
 ◇1946年、姫路市に嫁ぐ
 ◇1947年、1951年、それぞれ長女、長男誕生
 ◇1954年、川柳を初投句
 ◇1963年、処女句集上梓
 ◇1987年、再婚
 (本書巻末の略年譜による)

 五十数歳で再婚されていますが、この一事を見るだけでも時実さんの情熱が伝わります。

◆川柳
 時実新子さんは情熱的な川柳作家である程度の知識しかありません。
 また、川柳というものは「役人の子はにぎにぎをよく覚え」のように、少し毒を含んだ滑稽な短詩だくらいなことしか分かっていなかったのですが、この本を 読んでみて認識が変わりました。

 時実さんは五七五の定型を尊重される方のようですから、俳句との違いが良く分からなくなります。

 「川 柳博物館」というWebサイトに川柳と俳句の違いを下記のように書かれています。
 ◇俳句には「季語」が必要。
 ◇俳句には「けり」「なり」と言う「切れ字」が必要。
 ◇俳句は主に自然を読み、川柳は人を読む。
 ◇俳句は「詠む」、川柳では「吐く」「ものす」。

 下記の二句のどちらが川柳で、どちらが俳句か私には良く分かりません。
 ◇ひん抜いた だいこで 道を教えられ
 ◇だいこ引き だいこで 道を教えけり
 下の句は小林一茶の句だそうです。上は古川柳だそうです。

 もう少し、読み込みまた紹介したいと思います。
 それにしても強烈な本でした。
inserted by FC2 system