Google
WWW を検索 残日録内 を検索
←Back  Haiku  Home Mail Archives Twitter  Next→

06/03/20 南木 佳士「急な青空」

 地下鉄の吊り広告を見て読んでみました。
 南木佳士さんのエッセー集「急な青空」です。 南木佳士さんの本はこれまでにも「阿弥陀堂だより」(「残 日録」05/04/27)「ダイヤモンドダスト」(「残 日録」05/10/24)「落葉小僧」(「残 日録」05/10/14)を紹介してきました。

 南木さんは人の死をたくさん見てこられたお医者さん、多くの死を忘れることができずにパニック発作を起こしうつ病を発病されたそうです。それからは病棟 勤務から負担の少ない外来診療をされているとのことです。

 病を得て「その日一日を死なずに生きることで精一杯だった」時期から、外来の患者から「先生、お大事に」と声を掛けられるような日を過ごし、山登り途中 に『急な青空』を見て「山登り依存症」に罹られるような南木さんの日常が綴られています。

 解説の李啓充さん(コラムニスト・医師)の文章に「ここで問題なのは、日本では、いまだに『医者は強くなければならない』とする偏見がはびこり、自分の 弱さを自覚するとしないにかかわらず、多くの医者が『強い医者』を演じつづけていることである。」とあります。
 南木さんもされていた終末期癌患者の治療は精神的にも肉体的にも大きなストレスを与えているのに、周囲は『強い医者』を求めている。しかし、強い人間な どそうそういるものではない、医者も例外ではなくほとんどの医者は『強い医者』を演じているだけだと書かれています。

 私は老い近くなってからサイクリングをはじめましたが、南木さんは山登りをはじめられたそうです。
 そんな南木さんが近くの人造湖に散歩にいかれ、大きな木の下の草の上に仰向けに寝転んで空を見上げたら「葉を落としかけてあらゆる方向に伸びている枝に 占領され、すき間から深い青色をした空が見えていた。こんな角度から木を眺めた経験はない。新鮮な風景に口を開けたまましばし見とれた。」

 この文章を読んで笑ってしまいました。南木さんのような秀才はこの角度から空を見たことはなかったのでしょうが、できの悪い高校生だった筆者は美術の課 題の写生が描けずに、グランド端の雑木林に寝転んで見上げた樹影を描こうとずぼらなことを考えたことがあります。
 才能のないものには描ききれない構図でした。

 死が確実である患者に、延命治療を止め自然に看取ろうと家族の同意を得て病室に戻ると、若い医師が延命の処置をしようとしている。止めようとすると若い 医師は「でも、苦しそうですから」という。

 その後10年、そのおばあさんは元気に外来通ってきています。南木さんとそのお婆さんの会話。
 「私はあのときなにもせずに頭を下げようとした医者です。だから、あなたを診る資格はないんです」と詫びる。
 「あたしが好きでこっちに来ているんだから、あんたはつべこべ言わなくていいんだよ」
 「それでも、私は一度あなたを見放した医者ですから・・・」
 「くどい!」と一喝し、このおばあさんは南木さんの外来に通っておられるそうです。

 病を得た「弱き医者」だからの会話でしょうか。

 このエッセイ集は南木さんの作品を読むのによい助けとなります。
 「阿弥陀堂だより」の妻のパニック症候は、南木さん本人だったのですね。
 「ダイヤモンドダスト」に出てくる水車を作る風景は、南木さんが実際に作られたそうですし、色々な釣りの風景が出てくる「落葉小僧」も、川釣り、清流釣 りが趣味の南木さんではの作品だと思います。

 このエッセイを読まれるには長野県、群馬県の地図を手元において読まれることをお勧めします。
 小説の舞台、南木さんの生活圏など楽しみが一つ増えます。

◆ブックカバー
 この本を京都駅ビル内の三省堂書店で購入しました。店でつけてくれるブックカバーにはJTのマナー広告が印刷されています。
 JTがお金を出して書店に提供しているのでしょうね。

 タバコはマナーの問題ではなく、吸うか、吸わないかの問題だと思います。
 最近みる日本の映画に喫煙シーンが目立つのは何故でしょう。「読書する日」も「博士が愛した数式」もよい映画だったのに喫煙シーンがありました。残念に 思います。

◆今週の二十日大根
 発芽から1週間、少しは大きくなったのでしょうか?近々間引きですね。貝割 れを 楽しみにしましょう。
inserted by FC2 system