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06/04/21 種田山頭火「其中日記」

 今日 は山頭火の日記「其中日記」の4巻(ぐうたら日記)を紹介します。
 山頭火は昭和7年(1932)、6年あまりの漂泊の生活から俳友の世話で山口県小郡に其中庵(ごちゅうあん)という庵を結び定住することになります。
 「其中日記」4巻は庵住3年目の昭和10年(1935)、山頭火54歳の年のものです。

 山頭火は生活のために金を稼ぐ(働く)ことができない人でした。

 息子や俳友の援助により独居、定住の生活を送っていることに耐えられなくなりつつある時期だったのでしょうか。
 8月には自殺をはかります。そして12月には再び放浪の旅にでてしまうことになります。

 4月21日の日記です。

四月二十一日 晴、 そとをあるけば初夏を感じる。

昨日は朝寝、今朝は早起、それもよし、あれもよし、私の境涯では「物みなよろし」でなければならないから(なかなか実際はそうでもないけれど)。
常に死を前に − 否、いつも死が前にゐる! この一ヶ年の間に私はたしかに十年ほど老いた、それは必ずしも白髪が多くなり歯が抜けた事実ばかりではない。
しづかなるかな、あたゝかなるかな。
午後、歩いて山口へ行つた、帰途は湯田で一浴してバス、バスは嫌だが温泉は本当にうれしい、あふれこぼれる熱い湯にひたつてゐると、生きてゐるよろこびを 感じる。
晩酌一本、うまいうまい、明日の米はないのに。
私はまさしく転換した、転換したといふよりも常態に復したといふべきであらう、正身心を持して不動の生活に入ることができたのである。
  ・ふるつくふうふうわたしはなぐさまない
  ・ふるつくふうふうお月さんがのぼつた
  ・ふるつくふうふとないてゐる
    (ふるつくはその鳴声をあらはすふくろうの方言)
  ・照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき
  ・てふてふもつれつつ草から空へ
「山頭火の本7:ぐうたら日記(其中日記四)」より

 昨日(20日)は大阪市内のビルにも強い日差しが差し込んで初夏のような陽気でした。
 初夏のような陽気の中を10Km余り歩いて山口に出かけ、湯田温泉で一風呂浴び帰宅。

 「常に死を前に −否、いつも死が前にゐる!」と書かれています。
 山頭火の前にはいつも死があります。8月の自殺未遂を予感させるような日記です。

 4月25日の日記に後援者であった俳人・木村緑平氏に宛てて次のような書き込みがあります。

緑平老に−
  ・・・・澄太君といつしょにお訪ねすることができないのを悲しみます、無理に出かければ出か  けられないこともありませんけれど、それは決してあな た方を快くしないばかりでなく、必ず私  を苦しめます、どうぞお許しください。
  ・・・・何故、私は小鳥たちのやうにうたへないのか、蝶や蜂のやうにとべないのか、蟻のやう  にうごけないのか、・・・・私は今、自己革命に面して います、一関一関、ぶちぬきぶちぬかな  ければならない時機に立つてゐます。
  ・・・・自己克服、いひかへれば過去一年間の、あまりに安易な、放恣な、無慚な身心を立て  直さなければなりません、・・・・アルコールでさへ制御 し得なかつたか。・・・・
「山頭火の本7:ぐうたら日記(其中日記四)」より

 米もない、酒もない、まして金もない、、、
 息子からの送金を待ち、後援者から借金をしたり、米を貰ったりしながらの生活、でも酒を飲まずにはいられない。
 そんな越し方への慙愧と、自己改革をしなければならないという思いが山頭火を孤立させていくようです。

 程度の差こそあれ私も同様の生活です。
 酒に対する依存、安易な生活態度、、、このような姿では義理ある人の前には出られぬという思い。
 自らを律し立て直さなければなりません。

 そして、8月9日自殺をはかります。

 [八月六日− 九日]
晴 れてよろし、降つてよろし、何もかもみなよろし。
「山頭火の本7:ぐうたら日記(其中日記四)」より

 未遂に終わった後の日記。

 [八月十日] 第 二誕生日、回向遍照。
生死一如、自然と自我との融合。
・・・・私はとうとう卒倒した、幸か不幸か、雨がふつてゐたので雨にうたれて、自然的に意識を回復したが、縁から転がり落ちて雑草の中へうつ伏せになつて ゐた、顔も手も足も擦り剥いだ、さすが不死身に近い私も数日間動けなかつた、水ばかり飲んで、自業自得を痛感しつつ生死の境を彷徨した。・・・・
これは知友に与へた報告書の一節である。
  正しくいへば、卒倒でなくして自殺未遂であつた。
  私はSへの手紙、Kへの手紙の中にウソを書いた、許してくれ、なんぼ私でも自殺する前に、  不義理な借金の一部分だけなりとも私自身で清算したいか ら、よろしく送金を頼む、とは書き  えなかつたのである。
  とにかくも生も死もなくなつた、多量過ぎたカルモチンに酔つぱらつて、私は無意識裡にあば  れつつ、それを吐きだしたのである。
断崖に衝きあたつた私だつた、そして手を撤して絶後に蘇つた私だつた。
  [死に直面して]
      「死をうたふ」と題して前書きを附し、第二日曜へ寄稿。
 ・死んでしまへば、雑草雨ふる
 ・死ねる薬を掌に、かゞやく青葉
 ・死がせまつてくる炎天
 ・死をまへにして涼しい風
 ・風鈴の鳴るさへ死はしのびよる
 ・ふと死の誘惑が星がまたたく
 ・死のすがたのまざまざ見えて天の川
 ・傷(キズ)が癒えてゆく秋めいた風となつて吹く
 ・草によこたはる胸ふかく何か巣くうて鳴くやうな
 ・雨にうたれてよみがへつたか人も草も
「山頭火の本7:ぐうたら日記(其中日記四)」より

 「死をまへにして涼しい風」
 死を決意した身に、風の涼しさや、風鈴の音が聞こえてくるのでしょうか?

 「草によこたはる胸ふかく何か巣くうて鳴くような」
 山頭火の胸の中には何が巣食っていたのでしょう。私の胸にも正体の分からぬものが巣食うているような気がします。

 山頭火は心身ともに元気な時に読むべきものですね。
 疲れていたり、自己嫌悪に陥っている時には読まないようにしましょう。
 今日は山頭火の「死と向き合う」姿に、少し共感してしまいました。

 山頭火は死ねなかった。
 「雨にうたれてよみがへつたか人も草も」

◆ 検索サイトGoogleの特別ロゴは インターネット利用の楽しみの一つです。
 昨日(4月20日)はJoan Miroと題した左のようなロゴでした。

 4月20日は20世紀スペインの画家ジョアン・ミロの誕生日でした。
 ジョアン・ミロは1893年4月20日スペインのバルセロナ生まれ。
 シュルレアリスムの画家であるが、「画家」という狭い世界に閉じこもることを嫌い陶器や彫刻の制作もした。
 1970年には大阪万博のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日しています。1983年死去。
 インターネット百科事典「ウィキペディア」より
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