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06/05/11 山藤 章二「まあ、そこへお坐り

 今回は似顔絵絵師・山藤章二さんの「まあ、そこへお坐り」を紹介します。
 「まえがき」にこんな風に書かれています。

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 まぁそこへお坐り。
 ちょっと話したいことがあって、来てもらったというわけだ。
 小言かって? いやそうじゃない。小言や説教なんてのはアタシの柄じゃない。
 それじゃ何ですか? まぁそう急(せ)くな。
 要(つまり)は“ちょっとした話”だな。
 テーマはいろいろだ。なんかのはずみで浮かんだ話が七十いくつか貯まった。これを誰かに話してみたかった。そしたらお前さんの顔を思い出した、というわ けだ。そうイヤな顔をしなさんな。(後略)
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 まあ、横丁のご隠居の小言集というところでしょうか。
 七十数編の小言から、私が同調するものをいくつか紹介します。

◆色々な顔
 似顔絵絵師・山藤章二さんですからまずは顔ネタから紹介します。

◇野球選手の顔
 山藤さんは熱烈なタイガースファンです。
 ある日のジャイアンツ戦で、甘いマスクの元木大介に決勝打を打たれて負けたのが面白くなかったそうです。

 野球選手の顔は優男の顔でなく「ブルドッグがセンブリを飲んだような顔」が良いとか書かれています。
 私も同感ですね。天は人に二物以上を与えてはいけません。

 顔には生まれつきの「顔立ち」と、当人の意志や生き方などの内面が加わった「顔つき」があるとのことです。
 これにも同感ですが、私など生まれつきの「顔立ち」が悪いうえにひねくれものでは「顔つき」に救いを求めることもできません。
[野球顔の話より]
◇政治家の顔
 03年3月まで中国の首相をしていた朱鎔基さんの顔をご存知ですか? イメージできない方はこちらを。
 まことにいかつい顔をした人です。
 この朱さんは一時期、右派とみなされ追放されるなど苦労の末に首相まで登られた方だそうです。
 なるほど、皺に苦労が染み込んだような味のある顔をされています。

 さて、日本の政治家の顔はいかがでしょうか?
 私の目にはボンボン顔と、卑しい品のない顔しか見えてきません。

 二世、三世議員が多くボンボン顔の政治家が多くなったのでしょうか。
 一時、世間を騒がせた民主党の永田議員などもボンボン顔です。民主党の候補者選びの基準の一つに、女性票を取り込もうと「ボンボン顔」の優男というのが あるでは? だとしたら、女性を舐めていますよね。
[ボンボン顔の話]
◇戦争と平和、そして顔
 9・11の報復としてアメリカが行ったアフガニスタンへの侵攻(01年10月)の模様をテレビで見ながら山藤さんはこう語っています。

 「私が唯一しっかりと観察したのは、仕事柄、『顔』である。中東の顔をたくさん見せてもらった。そして見るたびに、なんといい顔をしているのだろうと、 心の中でため息をつく。
 衣食住、すべてに最低水準の暮らしの中に居て、またいつ命を落とすとしても不思議でない状況にあって、顔の威厳をまったく失っていないのである。」

 私を含め現代の日本人はなんとふやけた顔をしているのでしょうね。
 明治維新の志士たち、さきの戦争で国に命を捧げた特攻隊員たちは「迷いのない凛(りん)とした風貌をして」いたが、戦後の日本では価値観が多様化し日本 人の顔も「一途さ」を失ったと書かれています。

 「毎日、中東の男の顔を見ながら、複雑な想いにかられる。男の顔を”いい面構え”に磨いてくれる状況というのは、国民にとっては決して幸せな状況ではな いということだ。
 中東の男たちの一途な顔が、幸せにゆるむ日は来るのだろうか。」
[面構えの話]
◆変な言葉使い
 前に取り上げました(残日録: 05/02/18)が、コンビに、ファースト フード店、コーヒーショップ、、、と若い人がレジにいるお店では300円の買い物に千円札を出すと下記のように言います。

 「千円からお預かりします!」
 
 何度聞いても不思議な言葉ですが、あちこちで同じように聞くということは、このような業種の接客マニュアルに書いてるのでしょうね。
 そして、出て行く背中に「ありがとうございます」と声をかけます。
 それは「ありがとうございました」だろう。
[レジの話]
◆ユニバーサルデザイン
 ユニバーサルデザインというデザインの考え方(手法)があります。
 「人間が言語の違い、左右の利き手の違い、障害の有無、老若男女といった差異を問わずに利用することができる設計・工業デザインをいう」(ウィキペディアより
 例えば、シャンプーとリンスのボトルを区別するためにボトルの横に凸凹の印をつけたり、案内所の場所を「?」をデザインした絵文字(ピクトグラム)で表 示したりするものです。

 さて、山藤さんは外出先で電話をしようと公衆電話を探したけれどなかなか見つからない。(公衆電話は大幅に減っています。災害時にはどうするのでしょ う。この件はまたの機会に)
 やっと見つけて先方の名刺をだして電話しようとするが電話番号が小さくて見えない。
 老人に優しくないと怒っておられます。

 私の名刺もご他聞に漏れず電話番号は裸眼では読み取り難いものです。
 最近はメールアドレスも印刷するようになりましたので余計に小さくなっています。
 どなたか優秀なデザイナーの方、目からうろこのような名刺のデザインをお考えいただけませんでしょうか。

 序のことですが、商品に書かれた文字も同様に小さくて読みづらいものです。
 袋菓子の開け口、原材料の表記、賞味期限、、、、
[読みにくい話]
◆馬鹿芸人
 最近のテレビに出てくる芸人(アナウンサーもタレントも役者も歌手も政治家も、、、)は、どうしてあのように下品なのでしょうか。

 「昔の笑いには、何かいい成分が入っていたように思えるのだ。それは、たとえば、『たしかな話芸』であり、『ウィットに富んだ言葉遊び』であり、『反骨 の心意気』といった類の、きわめて精錬された教養である。」

 馬鹿芸人どもに「反骨の心意気」など、無いもの欲しがりですね。
 同じ芸人をA町のX局から、B町のY局に、Z局にと同じような顔ぶれで同じような番組を作っている高学歴のテレビ局は何をしているのでしょうか。
[笑いの質の話]
◆天使と悪魔
 山藤さんの知人の辛口コラムニストの話。
 コラムニスト氏がホームページを開設してからコラムへの抗議の量と内容がどんどんエスカレートしてきたとのこと。
 そのコラムニスト氏が書店のサイン会に出たところサインを待つ客の中に、最も邪悪なメッセージを送ってくる男のメールネームがあったそうです。
 その男(一見好青年)は「あの、いつもどうも・・・」と会釈してきました。

 「その話を聞いているうちに、私のパソコン嫌いにますます磨きがかかった。そうなのだ。アレは、好青年をして邪悪で陰湿な人間に変えてしまう、悪魔の道 具なのだ!!
 人間は誰でも、ひとりの中にさまざまな生きものを飼っている。天使も悪魔も、利口も馬鹿も、モラリストも背徳者も同居している。
 で、昼間は利口やモラリストが立ち働く。
 然し、ひとたび自分だけの”闇の空間”に入り込むと、昼間眠っていた悪魔、愚か者、背徳者といったワルの連中どもが、のそりと起き上がってくる。誰にで もあることだ。」

 気をつけましょう。私などはネットの中で天使を、利口を、モラリストを演じているのかもしれません。
[パソコン嫌いの話]
◆喧しい!
 タイガースファンの山藤さんも最近は球場に行かれなくなったそうです。
 私はドラゴンズファンですが、最近は球場に出かけません。もっともテレビ観戦も殆どありません。

 球場は応援がとにかくうるさいのです。笛や太鼓は禁止して欲しいものです。
 そして、私設応援団と思しき連中に、応援の強制までさせられます。
 彼らは野球を見て楽しむために球場に行くのではなく、大声で騒ぎ、騒音の中にいることが楽しいのでしょう。

 飲食店、酒場、映画館、電車の中、テレビ、、音(音量)に無神経な人たちが多すぎます。
[耳の話]
◆自転車
 私が始めて自分のために、新しい自転車を買ったのは5年程間のことです。
 それまでは兄弟のお下がりや中古自転車でした。

 山藤さんの時代の子どもたちにとって自転車はハーモニカ、グローブの上に位置する子どもたちの憧れの「殿様」だったそうです。
 その憧れが今は1万円ほどで変えてしまうことを知った山藤さんはショックだったそうです。

 私の田舎には、自転車の荷台に修理道具一式を積んで「パンクしゅ〜り〜」とパンクの修理をしてくれる巡回(行商)のおじさんが来ていました。タイヤから 内臓を取り出すようにチューブを取り出し、バケツの中に入れてパンクの位置を見つけ、、、そんなおじさんの仕事をじっと見ている子どもでした。

 自転車のことを「チャリンコ」と呼ぶのは「『子供の掏摸(すり)』のことをいう警察用語である印象が強いので、品性に欠ける。」と書かれています。警察 用語に「チャリンコ」があるのは知りませんでしたが、私は自転車のことを小馬鹿にしているようで使いたくないことばです。
 私にとっても自転車は憧れの「殿様」でしたから。
[自転車の話]
◆空間鈍感症
 電車内は人混みで、ディパックを背負ったまま、ショルダバッグを肩にかけたまま、キャリーバッグを引きずって歩くなど自分と人の距離感が取れない人たち に何時もイライラしております。
 山藤さんは、狭い道を二人の男が行き違う時にどちらもが避けずにぶつかってしまうという光景を目撃されます。

 『他人の空間に対しての信じられない鈍感さ』がそうさせているのではと書かれています。
 その『空間鈍感症』は家庭の中に子供部屋ができて、兄弟でも身体を触れ合うことなく過ごせること。また、内湯ができたことで風呂場ででも「他人」と空間 を共有する必要が無くなった。

 だからといって「若いうちに軍隊に」等という勇ましい掛け声はご免ですが。
[空間の話]
◆自然を破壊するもの
 小沢昭一さんは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」など多才多芸な方です。
 その小沢昭一さんから山藤さんに1枚のCDが送られてきました。(夢は今もめぐりて〜小沢昭一がうたう童謡
 そのCDには『あめふり』『鞠と殿さま』『歌の町』等が、あの小沢昭一さんの寂(さび)のある声で歌われているそうです。

 山藤さんはある日テレビに、うっすらと涙を浮かべながら「シャボン玉とんだ」を歌う小沢昭一さんを見ます。

 「やがて歌い終わった小沢さんは、会場いっぱいのお客さんに”涙のわけ”をはなした。
 『皆さんはこうして童謡をお聴きになったとき、ただ懐かしいなぁと思われるだけでしょうか。
 私は最近、歌いながらだんだん”怒り”という感情がこみあげてくるんですよ。それはなにかというと、童謡とか唱歌の中にいっぱい出てくる、澄んだ空気、 清らかな小川、みどりの山、それにドンボや蝶々・・・。こういった、昔は身のまわりにいくらもあった自然が、いつのまにか、経済のために、便利な生活のた めに姿を消してしまった。そんな荒れ果てた日本に突き進んでしまった人間の愚かさに腹が立って・・・最近は童謡を歌うと、泣きながら同時に怒るんで、疲れ るんですよ』・・・」
[童謡の話]
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