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06/07/03 学を絶てば憂いなし
 ぼんやりとした頭で、世の中のことを見 たり考えたりしていると老子の言葉が思い出されました。
 「絶学無憂」(学を絶てば憂い無し)、加島祥造さんは「タオ 老子」の第20章で「頭を使いすぎるのを止めなさい。 そうすると心配や憂鬱が薄らいでいくよ」と詠われています。

 ゆったりと自然体で生きていたいものです。
 あるがままの姿で。

 老子「道徳経」20章を加島祥造訳で紹介します。

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 第20章 「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい

 世間の人は
 頭を使いすぎる。
 頭を使うことは止めて
 自分の内側のバランスをとってごらん。
 すると心配や憂鬱がどんどん薄らぐ。
 だいたい、世間が「よし」とか「だめ」とか言ったって
 それが君にとって何だというんだね?
 「善い」と褒(ほ)められたって
 「悪い」と貶(けな)されたって
 どれほどの違いがあるかね。
 みんながびくびくすることに自分も
 びくびくしていたら、それこそ
 切りがないんだよ−−果てしがないんだよ。

 そりゃあ、確かに
 世間と仲良くすれば
 一緒に陽気に楽しめるさ。
 宴会で飲み喰いして騒いだり、
 団体旅行で海外に出たりしてね。

 一方、私みたいな人間はひとりきりで
 うそうそしている。目立たない存在で
 ろくな笑い声も立てない。
 みんなは物をたっぷり持っているのに
 こっちは何も持たず、
 ひとり置き去りにされ
 馬鹿みたいに扱われて
 まごまごしている。
 他の連中は陽(ひ)のさす所にいて
 こっちは独り、陰にいる。
 他の連中は素早く動いて手も早いのに
 こっちはひとり、もぞもぞしている。
 海みたいに静まりかえってるし
 風に吹かれてあてどなくさまよう。

 世間の人たちは目的を持ち、忙しがってるが、
 こっちは石ころみたいに頑固で鈍い。
 確かに私はひとり
 他の人たちと違っているかもしれん。しかしね、
 自分はいま、
 あの大自然(タオ)の母親のおっぱいを
 好きなだけ吸ってるんだ。
 こう知ってるから
 平気なんだ、実際
 いま、こうして吸ってるんだからね。
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第20章 [異俗]
学無憂。唯之呵、 其相去幾何。美与悪、其相去何若。人之所畏、 亦不一 レ畏。荒兮其未央哉。衆人煕煕、如大 牢。如春登台。 我獨怕兮、其未兆、如孾 児之未咳、乗乗兮、若帰。 衆人皆有餘、而我獨若遺。 我愚人之心也。沌沌兮、俗人昭昭、我獨若昏。俗人察察、我獨悶悶。勿兮其若海、 飄兮若止。 衆人皆有以、我獨頑似鄙。 我獨異於人、而貴母。

 分不相応に悩むことが、新たな悩みを生み出しているのでしょうか?
 あるがままに、ゆったりと生きていきたいものです。
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