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06/10/23 土 門拳「筑豊のこどもたち
 下世話な話から。
 私の持っている土門拳さんの写真集「筑豊のこどもたち」は、1977年築地書館刊で「新装版」といわれているものです。初版2刷で奥付には定価 1800円とあります。
 日本の古本屋で1500円で購入しま した。
 現在の築地書館刊は2700円(税抜)です。

 私が本の値段に拘っているには少し訳があります。

 手持ちの本の前書き(新装版を出すにあたって)に土門拳さんはこのように書かれています。

----引用--------------------
 1959年の暮れ,「筑豊のこどもたち」の撮影後,ぼくは間もな く病気になった。それから翌年の秋に,その続編である「るみえちゃんはお父さんが死んだ」を撮った。思い出してみると,18年近くも前のことである。
 いま,古本屋ではこの2冊で1万8千円もする騒ぎになっているそうだし,神田・弘文堂の店頭に2冊を額に入れて飾ってあるという話も聞いた。余り高すぎ て,古書の値段としては馬鹿馬鹿しい話だ。
 こんど.築地書館の土井庄一郎さんの熱意によって,新装版をだすことになった。本書を手にした読者諸君がその強い渇きを癒(いや)すことをうるならば, ぼくもまた満足したことになる。いまの時代に合わせて,用紙,インキ,装幀など,いろいろ工夫をこらした。そして値段はできるかぎり低く押さえるように土 井さんにお願いしたのである。
 2人の姉妹は,本書の主人公のように見えるが,これは単なる偶然にすぎない。はじめは,すべてのこどもが,誰ということはなく本書の主人公であって,い わば,筑豊のこどもたち全体を主人公として撮影を始めたのである。
 いま,この筑豊のこどもたちは,大きく育って幸福な家庭生活を送っていることだろう。
 どうかいつまでも幸福であるように・・・・・・。
              1977年6月8日
----終り--------------------

 土門拳さんが「2冊で1万8千円も・・」といわれている1960年パトリア書店刊の「筑豊のこどもたち」の定価100円だったそうです。

 西日本新聞の「九州の100冊」というシリーズの中に「筑豊のこどもたち」の記事があります。

 「子どもたちの姿は、週刊誌(B5判)大で九六ページ、わら半紙を用いた定価百円の写真集に編まれた。土門は『丸めて手にもてる、そんな親しみを、見る 人々に伝えたかった』と記している。」

 1960(昭和35)年当時の週刊朝日の定価が30円、体裁も価格も週刊誌並みの写真集だったのですね。

◆酒田、土門拳
 佐高信さんの「ニセ札は何故通用しないのか?」に、NHKテレビの番組「課外授業・ようこそ先輩」での授業風景が所載されて います。
 佐高信さんは山形県酒田市の出身で、後輩の子供たちを連れて「土門拳記念館」を訪れます。

 子どもたちに「筑豊のこどもたち」の写真を見せながら、

 「石炭産業がさびれていく中で、この筑豊炭田の人々の生活がとても大変になっていった。その中で、子どもたちがどういう苦労をしていたか、土門さんは しっかりと見て、写真に撮っていった。一枚一枚の写真を、ものすごく丁寧に丁寧に撮っている。
 撮るほうが真剣勝負でやってるわけだから、見る方も真剣勝負で見なきゃなんねんだけど・・・」

 と、対象に迫る土門拳さんの迫力について語っています。

◆弁等を持ってこない子
 弁当を食べている子どものそばで雑誌を読んでいる子どもたちの写真をみせて、弁当が持ってこられない子どもたちは気を紛らわすために雑誌を読んでいる。 弁当を食べられないのはこの子たちの責任ではない。
 弁当を持って行かせられない親、持ってこられない子ども、そんな社会の弱者に焦点をあてて写真に撮っている土門拳という人は本物の写真家だったんだと説 明しています。

 土門拳が粗末なザラ紙に印刷してまでも安い値段で出版したのは写真が社会性をもつ物だと考えていたからだと教えます。

 「弁当をもってこない子」に添えられた土門拳さんの説明文に「弁当を持っている子どもたちが何かのひょうしでどっと笑っても,弁等を持ってこない子は絶 対にそちらを振り むかない、その子どもたちには,何も関係がないかのように振りむかないのだった。」とあります。

 私の幼い頃の思い出の中にも、そんな風に意固地に振り向かなかったことが思い出されます。

◆母のない姉妹
 くるりとした瞳で何かを見つめている姉、無邪気に笑う妹。

 母は父親の入院費用を作るために福岡市の方に出稼ぎに、退院した父は日当275円のニコヨン仕事に出ている。
 幼い姉妹は学校にも殆ど行かず留守番をしている。

 床板は腐り果て、畳は藁に戻り、うわべりの下の根太の上を要領よく伝って歩くような家。
 布団代わりのぼろきれ、父のために焼酎を買いに行く空き瓶、醤油の瓶、なべ二つ、大根おろし、欠けた茶碗が三つ、これがこの一家の全財産。

 土門拳さんは「写真をとるときに姉妹の顔があまり垢じみているので井戸端へ行って顔を洗っておいでとぼくはたのんだ。しかし顔を洗う金だらいもないの だった。」と書かれています。

 この姉妹のその後を取材されたのが「るみえちゃんはお父さんが死 んだ」です。
 「筑豊のこどもたち」の表紙の少女が姉のるみえちゃんだそうです。

 写真から受ける感動も強いものです。
 私と同じ世代の子どもたちがいます。


 最終章は「闘う炭鉱労働者」です。
 闘う労働者、組合潰し、、、合理化という名の首切り、、、

 映画「三池 終わらない炭鉱の物語」 を見るのが楽しみです。
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