07/12/31 安
部譲二「日本怪死人列伝」
1949(昭和24)年7月に
発生した、下山事件についてインターネットで調べていたときに、安部譲二さんが著作で「下山総裁と三高・東大で
同期だった父が『下山が自分の仕事場で、自殺なんかするものか』と叫んでいた。」と書かれ
てい
るとの紹介がありました。
その著書「日本怪死人列伝」を読ん
でみました。
次の12の事件について、安部さんが考察されています。
▽朝日新聞阪神支局襲撃事件
▽新井将敬代議士自殺事件
▽下山事件
▽豊田商事会長刺殺事件
▽尾崎豊変死事件
▽田宮二郎自殺事件
▽力道山刺殺事件
▽オウム真
理教村井秀夫刺殺事件
▽帝銀事件
▽元大鳴門親方変死事件
▽田中角栄・運転手自殺事件
▽日航ジャンボ機墜落事故
いくつかの事件を紹介します。
◆下山事件
◇事件の概要
1949年(昭和24)年7月5日、公用車で出勤途上に行方不明となっていた国鉄総裁・下山貞則の遺体が、翌6日午前0時25分頃、足立区五反野の国鉄
常磐線の線路上に轢死
体で発見された。
◇安部さんの推理
前述のように、安部さんの父と下山総裁とは、三高・東大で同級の親友だったそうです。
その父が自殺説を聞いて「馬鹿な、そんなことを下山がするもんか」「下山が自分の仕事場で、自殺なんかするもんか」「下山は、あんな旅館(注.自殺と見
せるために替え玉が休んだ連込み旅館)で休んだりするものか」と目を潤ませながら、叫び、吠えられていたそうです。
「日本を共産勢力の防波堤」にと企むアメリカ占領軍は、左翼分子の押さえ込みを狙い国鉄職員10万人の首切りを迫っていました。下山総裁自身も「クビ切
り役人だ」と自認していました。
10名程度のアメリカ占領軍第2部(G2:諜報・保安・検閲を任務)と日本人と韓国人の協力者が、拉致、失血死させ、死体を轢断現場に運んだとの推理で
す。
◇謀略と冤罪
下山事件に続いて、国鉄を舞台とする三鷹事件(7月15日)と松川事件(8月17日)が
発生しています。
ふたつの事件では、国鉄労働組合員や共産党員などが逮捕され、下山事件も含めて首切りに対する左翼分子の犯罪との印象を国民に与えました。後に冤罪事件
であることが明るみになりましたが、「共産党など=怖いもの」との刷り込みを与えた成果は大でした。
自殺の印象を与えるための替え玉の存在と行動は、犯行を左翼分子に押し付けられなかった場合の予備線だったのかもしれません。
安部さんのマスコミと日本人への批判部分を引用します。
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教育程度の高い日本人は、なぜか自分では考えず判断しようとしない。
なぜか・・・・と、私は書いたが、原因はとっくに分かっている。
勇気があると国際的に思われている日本人は、実はとても卑怯な民族なのだ。
自分で判断すれば、責任を問われることもある。それを恐れるから、無意識に日本人は判断を他人に委ねるのだ。
偉い人、権力者やその代弁者、手先といった人たちの判断に迎合してしまう。
この下山事件の経緯を改めて調べた私は、この明白な他殺事件が、権力者と支配者、それにマスコミの手によって真実とは逆の、自殺とされたことを知って、
慄然とする。
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◆朝日新聞阪神支局襲撃事件
◇事件の概要
1987(昭和62)年5月3日20時頃、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に目出し帽を被った男が侵入し、支局員2名に散弾銃を発砲し二人を殺傷し
た。
事件後、赤報隊と称する団体から「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言い渡す」などとの犯行声明が出された。
◇安部さんの推理
この事件は「赤報隊事件」と称されることもあるが、安部さんは右翼或いは民族団体の犯行ではないと推理されています。
日本の民族主義者は、人の手を借りたりしない。
散弾銃を肩に構えず腰だめで撃つようなことは軍事訓練を受けたもので
ないとできない。
2連発銃を2発とも撃っているのは、複数の犯罪で退路を確保する人間がいた。(複数犯)
犯行現場付近での目撃証言がないのは、日本人を含む東洋人である。
実行犯を雇うには、少なくとも3,000万円は必要である。
◇この事件も既に時効が成立しています。
東京本社、阪神支局、名古屋本社社員寮、静岡支局への銃撃事件が連続して発生しており、夫々「日本民族独立義勇軍 別動
赤報隊」と名乗るものからの犯行声明が出ていて、右翼民族主義団体の犯罪だと思っておりましたが、もっと大きな組織が裏にいたのかもしれません。
◆新井将敬代議士自殺事件
◇事件の概要
1998(平成10)年2月19日13時頃、日興證券に対する利益要求疑惑で逮捕許諾請求が議決され、逮捕目前となっていた衆議院議員新井将敬の死体が
ホテルの一室で発見された。
空調噴出し孔に浴衣の紐をかけて縊死していたとされています。
◇安部さんの推理
新井将敬とも付き合いのあった安部さんの推理は説得力があり、真実ではないかと思われます。
疑惑の日興證券への利益要求は、有罪となっても執行猶予がつく程度の罪であり、しぶとい新井将敬が自殺するはずはないこと。
仮に、自殺するとしても強烈なダンディズムを持っていた新井将敬が、失禁し汚物をたら流して死ぬような無様な死に方はしない。
死体発見から凡そ2時間後に、ホテルに駆けつけた亀井静香と平沼赳夫は、遺体はベッドに安置されていた、特段の匂いはしなかったと言っている。
縊死現場は、糞尿が垂れ流されており汚物の臭いがしていたはずであり、この状態の遺体を洗い清める必要がある。遺体を発見した夫人と運転手の二人ででき
るものではないこと。
新井将敬のしぶとさを見くびり、大蔵省収賄汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ接待など)のスケープゴートとして差し出そうとした連中が、逮捕後に何をしゃ
べられるか分からず、彼らに殺害を目論んだと断じられています。
◇さもありなんと思う事件の真相?です。
慶応大学医学部合格するも翌年に東大に入学し、新日鉄から大蔵省、代議士秘書を経て衆議院議員に当選、自民党、自由党、新進党、無所属、21世紀の会と
渡り歩いたのちに自民党に復党しています。
また、1983年の総選挙で同じ選挙区から出馬した石原慎太郎陣営から、在日朝鮮人であることを誹謗される事件もあった。 このように、経歴を見るだけ
でも彼のしぶとさが伺われます。
◆帝銀事件
◇事件の概要
帝銀事件は、私の生まれた1948(昭和23)年1月に発生した事件です。
1月26日15時過ぎ、帝国銀行椎名町支店に厚生省技官と称する男が現れ、近所で集団赤痢が発生したから予防薬を飲せ16人の行員らのうち13名を殺害
し、現金と小切手が奪われた。
◇安部さんの推理
松本清張などの推理では、実行犯は薬物の取り扱いに慣れた旧日本軍の731部隊の出身者であり、逮捕され死刑判決を受けた平沢貞通(1987年獄死)は
冤罪であるとされています。
平沢貞通が、自らのアリバイや金の出所を明らかにしなかったのは、著名な画家であったにも拘わらず春画を描いて金を得ていたことを恥じていたからとされ
ています。
安部推理は、直接の実行犯は薬物の取り扱いになれた旧日本軍の出身者だとし、平沢は犯行グループの一人で、現場近くで奪った金と小切手を受け取り姿をく
らまし、後に小切手を換金する役割を持っていたとされています。
◇この推理はすっきりしません。
平沢が共犯だとの推理がしっくりときません。
反抗の内容を知らされていなかったとしても、見張り或いは、金の受け渡し役をする必然が良く分かりません。
◆日航ジャンボ機墜落事故
◇事故の概要
1985(昭和60)年8月12日、定刻18時羽田発大阪行きの日本航空123便が離陸後12分後に「後部ドアが破損し、客室の気圧が下がっている。緊
急降下する」との交信を最後に消息を絶ち、後に群馬・長野の県境で墜落した機体が発見され乗客乗員524名中520人の命が奪われた。
◇安部さんの推理
安部さんは日本航空の客室乗務員をされていた経歴もあり、機体破損後の操縦手法や、世論をミスリードして墜落現場を翌日まで国民に知らせなかったなど、
中々面白い推理です。
事故調査委員会が発表した「機体後部の圧力隔壁が破損したため」の墜落ではなく、自衛隊がミサイル発射訓練の標的機としていた「ファイアビー」が衝突
し、垂直尾翼を破壊したとの作家の吉原公三郎さんの推論を推されています。
日本航空、自衛隊、或いは日本政府は、国民の目から隠さなけらばならない事実があるために、墜落現場の特定を遅らせ、その間に不都合な事実を隠したので
しょう。
写真家の柴田三雄さんは、救援隊の到着間もない上空からの取材で、日航の整備服を着た人
間たちが遭難者のいない尾翼付近で調査らしきものをしていたと書かれてい。また、吉原公三郎さんは、同時刻に日航機の機体とは明らかに違うオレンジ色の金
属片が写ったビデオを持っていると書かれています。
※オレンジ色をしたファイアビーの写真がこちらのサイトにあります。
◇真実を追求しないマスコミ。
夜間、或いは民間機とはいえ、全長70mもある航空機が半日以上も領空内で行方不明になるとは考えられません。
墜落現場写真に、不明な人間が写されたいたことは、1952(昭和27)年に日本航空の羽田発福岡行きマーチン機が伊豆大島・三原山に墜落したもく星号
事件(事故ではなく事件)の現場写真にアメリカ人が写っていたことを思い出しました。
もく星号は、アメリカ軍により撃墜されたのだといわれています。
国が、日本航空が一刻も早く墜落現場を公表し、救助にあたっていればもっと多くの国民の命が救えたかも知れません。二重の犯罪を犯したのです。
日本のマスコミは、権力のリークした情報を垂れ流すだけで、真実を追求しないとその不甲斐なさを厳しく批判しておられます。
再度、安部さんのマスコミ批判の言葉を引用しておきます。
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毎年8月12日になると、新聞もテレビも、老いた遺族が御巣鷹山の現場に登って、亡くなった方を追悼するシーンを、ただセンチメンタルに報じる。
この事件の真実を追求するマスコミは、日本にはない。
なぜないのか。
それが残念ながら、日本の民度なのだ。
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