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08/07/06 映画二題
 映画館のWebサイトのタイム テーブルを見間 違えて出かけてしまい、たまたま2本の映画を観ることになりました。

パークアンドラブホテル
 都会の片隅で潰れかかったラブホテルの屋上に僅かな遊具とベンチを置き、近所の老人や子どもたちに解放している女主人と周りの人たちの緩やかで柔らかな 物語です。

 再婚した父を理解することができずに家出?してきた少女、夫婦仲が微妙に冷えている若い女、ラブホテルの常連の女客、そして女主人自身も過去と向き合い ながら生きて います。

 一番は、女主人役のりりィさんのリアルな存在感でした。
 実年齢56歳のりりィさんが59歳の女を演じていました。衣装、所作、化粧など生活感のある作り物でない60歳を前にした生の「女」「人間」の姿でし た。

 家出少女は父のことが理解できるようになり、冷めた夫婦は元の鞘に収まり、、、とハッピーエンドの結末で安心して見ていられました。
 少々退屈かもしれませんが。

 いつも映画を観る前にはリーフレットのコピー程度の知識で観に行きます。そんなことで、全く知らなかったのですがりりィさんはシンガーソングライターの 先駆けのような方で現役 のミュージシャンだそうです。
 早速、iTunesで「私は泣いています」をダウンロードして聴いています。

 この映画の公式ホームページ(http://www.pia.co.jp/pff/park/) はIT弱者に冷たい作りです。
 Windows2000、800×600の画面でインターネットを利用している人もおりますので。。

花はどこへいった
 アメリカ軍は、ベトナム戦争(59年−75年)中の61年〜71年に枯葉剤などの化学物質(およそ8000万リットル)をベトナム中南部に散布しまし た。
 アメリカ軍の目的は解放勢力の隠れる密林の樹木を枯らし隠れ家を無く すことと、植物が育たなくして食糧の調達を困難にするためと言われています。

 この化学物質の中には不純物として発ガン性や催奇形性があるといわれ るダイオキシンが含まれていました。
 戦後30年を経たいまでも、ベトナムでは200万人とも言われる被害者がいます。内50万人は子どもで障害をもって生れています。

 さて、映画はベトナム戦争に参加したことのあるアメリカ人写真家が、入院僅か2週間で肝臓がんで死亡します。
 死因のガンを誘発したのは、ベトナムで浴びた枯葉剤の影響ではないかと示唆された妻が、夫への追憶と枯葉剤への疑問をもちベトナムで取材したドキュメン タリーです。
 
 ホーチミン市の病院には平和村と呼ばれる病棟には100人以上の障害を持った子どもたちが生活しています。
 この病院には日本でも馴染みのある結合双生児のベトさん、ドクさんも入院していたそうです。

 地方では手術を受ける費用もない、リハビリを受けさせる費用もない貧しい家庭で、重度の障害をもった子どもたちが暮らしています。
 子どもたちの障害は、始めて我が子を見た母親が気を失い3日間起きられなかったという証言があるほどにひどいものでした。
 しかし、ベトナムの人たちは逞しい。健気に親、子、兄弟が一緒になって生きていました。
 何十年も他国に侵略され続けてきた国民だからの強さでしょうか。

 映画の最後には、ベトナムの「枯れ葉剤被害者の会」が枯葉剤の製造メーカーであるモンサント社やダウケミカルなどを相手に損害賠償を求めていたが、 ニューヨーク連邦高裁は原告の訴えを却下したとテロップが流れていました。

 アメリカは、ダイオキシン汚染と人体被害との因果関係が証明され、米政府と枯葉剤製造企業が基金として1億8000万ドルを拠出しています。
 ベトナムに参戦していた韓国ではソウル高裁は、約7000人の韓国兵に一人当り600万ウォンから4600万ウォンの支払いを枯葉剤の製造 メーカーであるモンサント、ダウケミカルに命じています。
 同様に参戦していたニュージーランドでは、発病した旧兵士個人に4万ドル、発病した旧兵士の子どもの家族に3万ドル死亡した兵士の配偶者には2.5万ド ル支払われています。

 アメリカは自国の兵士には枯葉剤(ダイオキシン)と発病の因果関係を認め補償しているにも関わらず、ベトナムの被害者には「因果関係が証明されていな い」と補償を拒んでいます。
 アメリカは、ベトナム戦争の被害についてベトナム国民に謝罪していないのですから当然のことでしょう。

 枯葉剤散布の目的が食料調達の妨害と解放勢力の隠れ家の掃討といわれていますが、ダウやモンサントなど化学会社の大きな実験ではなかったかとも思ってい ます。日本への原爆の投下が彼らの実験であったように。

 その実験の「前」実験が沖縄でされていたようです。
 アメリカ軍が61年から62年にかけて沖縄県の
「米軍北部訓練場」でダイオキシンを含む枯葉剤を散布していたことが、ア メリカ退役軍人省の公文書で明らかになったとのこと。
 「沖縄北部で枯れ葉剤 61〜62年 平和委が全容解明要求」(しんぶん赤旗 07/07/11)

 この映画の初日・初回の上映だった場末の映画館には珍しく中学生と思 われる子どもたちが20人ばかり観にきていました。
 是非、多くの若い人に見て欲しい映画でした。



 ♪どこへ行った あの兵士たち
  どこへ行った 兵士たち
  どこへ行った あの墓の下に
  いつになったら わかるのだろう

 私たちは何時になったら、戦争の無残さや虚しさが分かるのでしょう。

 ※ベトナムの枯葉剤被害については写真家の中村梧郎さんの写真展などを各 地で開催されています。
 ※映画の挿入歌「What Have They Done to the Rain?(雨を汚したのは誰)」(ジョーン・バエズ)と、
  「Where Have All The Flowers Gone?(花はどこへ行った)」(ピーター、ポール&マリー)もダウンロードして聴いています。
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