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08/10/11 山頭火忌
 今日は山頭火忌で す。

 種田山頭火は1940(昭 和15)年10月11日未明、松山の一草庵で人知れずその生涯を閉じています。
 10日夜には、一草庵で句会が催されましたが山頭火は脳溢血に倒れ寝ていたが、句会の参加者は病状に気づかぬまま散会し翌朝息きれた姿で発見されていま す。
 山頭火は「十日の句会を終ってから翌日にはいよいよ旅に出よう。土佐から浜づたいに宇和島に出て十一月の終りに帰って来よう」と予定していました。叶わ ぬ旅となりました。

 44歳で行乞漂泊の生活をはじめた山頭火は、小郡に其中庵、湯田温泉に風来居とつごう6年ほど定住できる庵を持っていましたが、その間も関西、東京、信 州、北陸、中国、四国、九州と漂泊の旅を繰り返しています。

 1939(昭和14)年12月、一草庵に入庵したころには体力の衰えを自覚していて「おちついて死ねそうな草かるる」と詠んでいます。この句には「死ぬ ることは生まれることよりむつかしいと、老来しみじみ感じないではゐられない。」と自注をつけています。
 死ぬことは、老いていく自分、死に至る自分を見続けなけらばなりませんから難しいことです。

 山頭火の絶筆となった10月8日の日記には次のような記述があります。
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 拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。
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 和歌山の地域紙「紀伊民報」に10日付けで
山頭火忌と題する社説が掲載されています。
 部分引用させてもらいます。

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 ▼17文字の形式にとらわれない自由律の俳句で、ほんのちょっとした言葉なのに不思議な味わいがある。出家して托鉢(たくはつ)生活をしながら、酒を愛 し、孤独な旅を続けた。

 ▼《すべってころんで山がひっそり》この時山頭火は九州地方をあちらこちらと流浪していた。山に分け入って、滑ったり、転んだりしたが、山は知らぬ顔。 山頭火を抱きながら山頭火を突き放している。

 ▼《分け入っても分け入っても青い山》という句は、彼自身が非常に好んだという。これには「大正十五年四月、解くすべもない惑いを背負うて、行乞流転の 旅に出た」という前書きがある。山頭火の「解くすべもない惑い」を「青い山」はかたくなに拒否したのである。

 ▼《笠にとんぼをとまらせてあるく》トンボが惑いか、惑いがトンボか。弘法大師ではなくトンボとともに「同行二人」の旅である。《まっすぐな道でさみし い》人生は寂しいもの。好きな酒を好きなだけ飲む。《ほろほろ酔うて木の葉ふる》。
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 酒と旅に明け暮れた半生、自分を責め続け自殺未遂を繰り返して死ねなかった半生、最期は望んだとおりの「コロリ往生」でした。
 逝くときには、周りの人に迷惑を掛けずにコロリと逝きたいものです。




水 うまし酒なおうまし山頭火
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