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08/10/17 大 東仁「戦争は罪悪である」
 前回に続き竹中彰 元です。
 竹中彰元研究者である大東仁著が書かれた「戦争は罪悪である〜反戦僧侶・竹中彰元の叛骨」を紹介します。

 竹中彰元は世の中が戦争へ戦争へと一気に突き進んで行く時代に、「戦争は悪」「この戦争は侵略戦争だ」と言い切り、国から
罪に問われ、自らが属する真宗大谷派からも処分された僧侶です。

 彰元は1897(慶応3)年に岐阜県不破郡垂井町岩手の寺(明泉寺)の子として生まれます。
 父の早世により若くして住職となりますが、現東洋大学や現大谷大学などに学び、僧侶として順調に出世をして真宗大谷派の「布教使」として布教活動に従事 します。地元のお寺は妹夫婦に任せていたそうです。

 一方、真宗大谷派は日清戦争を契機として戦争への協力に邁進するのでした。
 仏教者が戦争に協力するために邪魔になる釈迦の教え「不殺生(殺さない)」を捻じ曲げて「一殺多生」という言葉を作り出します。多くを生かすために少し は殺してもよいという考えです。
 
1883(明治16)年4月1日発行の機関紙には「一殺多少ハ仏ノ遮スル所ニ非ズシテ愛国ノ公儀公徳ナリ」書かれていま す。
 一殺多生は仏さまが禁止することではなく、愛国のための正義であり徳であるという意味です。
 日清戦争開戦(1894年8月10日)直後の8月6日に 「帝国ノ臣民タルモノ此ノ時ニ際シ宜シク義勇君国ニ奉スヘキ」と法主名で門徒(真宗大谷派の信者)に呼びかけています。

 また、門徒の兵士には「速ヤカニ他力本願ヲ信シテ平生業生ノ安心ニ住シ身命ヲ国家ニ致シ毫モ恐ルヽ所ナク勇住奮進以テ国威ヲ海外ニ発揚シ同心一致海岳ノ 天恩ニ奉答スヘシ」と忠君愛国を説いたのです。
 「はやく他力本願の教えを信じ、生活の中で救われるという信仰を確立し、命を国に捧げ、少しも恐れることなく勇気を持って進み、日本の威光を海外に発展 させ、心をひとつにして深くて大きい天皇の恩に報いなさい」の意味だそうです。

 著者の大東仁さんは真宗大谷派の戦争協力が決して国家から「強制」されたものではないと指摘しています。
 「戦争に協力させられた」のではなく「戦争に協力した」のだと。
 なぜ、真宗大谷派は積極的に戦争に協力していったのでしょうか?この本では詳しく書かれていません。
 強制されずとも戦争に協力して行かざるを得ないような世論が作り出されていたのでしょうか?

 彰元は決して反戦僧侶ではありませんでした。
 真宗大谷派の中では順調に出世し要職に就いていた彰元は一般的な僧侶でしかありませんでした。

 日清戦争勃発から2ヶ月の1937(昭和12)年9月15日、村の若者の出征を見送る道すがら下記のように発言します。
 「戦争は罪悪であると同時に人類に対する敵であるからやめたがよい。北支の方も上海の方も今占領して居る部分だけで止めた方がよい。決して国家として戦 争は得なものではない。非常に損ばかりである。今度の予算を見給へ非常に膨大なもので二十億四千万円と言ふものは此の出征軍人が多数応召して銃後の産業に 打撃を被り、其の上に徒に人馬を殺傷する意味に於いて殺人的な予算だ。戦争は此の意味から言つても止めた方が国家として件名であると考へる」
 この発言に在郷軍人から痛罵難詰されたと書かれています。しかし、警察や役場への通告はなかったようです。

 それから1ヶ月足らずの10月10日、今度は近在の僧侶との席で「此の度の事変に就いて他人は如何に考へるか知らぬが自分は侵略の様に考へる、徒に彼我 の生命を奪ひ莫大な予算を費ひ人馬の生命を奪うことは大乗的立場から見ても宜しくない、戦争は最大な罪悪だ、保定や天津を取つてどれだけの利益があるか、 もう此処らで戦争は止めたがよかろう」と、さらに積極的な反戦の意思を明らかにします。
 この席にいた僧侶が11日、12日と相次いで岩手村役場に届け出ます。

 10月26日、
陸軍刑法99条(造言飛語罪)違反容疑で垂井警察署に逮捕されます。
 岐阜地裁で禁固4ヶ月の有罪判決、控訴した名古屋控訴院では禁固4ヶ月執行猶予3年の有罪が確定しました。

 なぜ、治安維持法違反ではなかったのでしょうか?
 当局は彰元に共産主義などの思想的背後もなく、反戦の言動をさほど「評価」していなかったというのが著者の見方ですが、腑に落ちない部分です。

 真宗大谷派は彰元の有罪判決確定を受けて彰元を弾圧していきます。
 1938(昭和13)年11月18日、「軽停班3年」という僧侶の階級の末端するという処分です。(所謂司法罰)
 また、布教使としての資格も剥奪しました。(行政罰)
 著者はここでも大谷派が国の命令で処分したのではなく大谷派の「独自性」を指摘しています。

 
この本の著者の大東さんら多くの平和団体や市民団体の努力によって、真宗大谷派が彰元の 処分を撤回したのは70年後の2007(平成19)年9月のことでした。


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