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09/01/04 こがらしや子ぶたのはなもかわきけり
 1947(昭和22)年、小学4年生の教科書に載っていた掲句<こがらしや子ぶたのはなもかわきけり>の作者を探した 顛末を俳人の土肥あき子さんがこ ぶた探訪記 」と題して書かれています。作者探しのミステリーとともに敗戦直後の日本の状況なども垣間見えて興味のある文章でした。

 物語の発端は、詩人の清水哲男さんが毎日ひとつの俳句を解説付で連載されている
清水哲男『新・殖する俳句歳時 記』 」(増俳)にあった掲示板(今はありません)に「こがらしや子ぶたのはなもかわきけり。これは小学校の教科書にのっていて、今でも覚えている俳句です。どなたか作者をご存知の方は いらっしゃいませんか?」という書き込みがあったことです。
 増俳の掲示板に集う読者の人たちを中心に「こぶた」の作者探しが始まりました。

◆教科書探し
 まずは「子ぶた」が掲載されていたという教科書を探さねばなりません。
 1947(昭和22)年当時の日本は連合国(実質的にはアメリカ軍)の占領下にありました。この年の3月31日には、教育基本法および学校教育法が施行 (1947年3月31日)され、6・3・3制などの学制改革が実施された年でした。日本国憲法が施行されたのもこの年(5月3日)でした。

 敗戦直後には戦時の教科書の軍国主義的な部分を黒く塗りつぶしたものが使われていたそうですが、1049年から始まる教科書検定制度の前段として 1947年から新しい教科書を使う必要がありました。
 教育基本法、学校教育法、学習指導要領が定まっていない時期にその内容を想定しながら編纂された教科書でした。


 依頼者の学んでいた(「子ぶた」の句のの載った)教科書は、東京都江東区の教科書図書館に保存されていました。
 表紙はカラー印刷で「新しい日本の未来をになうべく生まれた教科書であった」そうです。

 「子ぶた」の句は、小学4年生の下巻に「夕やけ」という表題で掲載されていた24句の中にありました。
◇かあさんがぼんやりみえるかやの中
◇上ばきを自分でつくるわらしごと
◇子もりするしずかなる月なの上に
◇麦ふむやみだれし麦の夕日かげ
◇こがらしや子ぶたのはなもかわきけり
◇月の夜をわが家のありしあたりまで
◇すみきったボールの音や秋の風
◇秋風にプールの水がゆれている
◇草原に一本あかしはじもみじ
◇二重にじ青田の上にうすれゆく
◇朝つゆの中に自轉車のりいれぬ
◇親のまたくぐる子うしや草の花
◇ほし草にかげおとしとぶとんぼかな
◇持ちかえしせんこう花火のゆれている
◇大空にのびかたむける冬木かな
◇かい道をきちきちととぶばったかな
◇下雲へ下雲へ夕やけうつりさる
◇うらがれにおろされ立てる子どもかな
◇かやごしの電燈のたまみておりぬ
◇さるすべりラジオのほかに声もなし
◇くれていく巣をはるくものあお向きに
◇まえ向けるすずめは白し朝ぐもり
◇ひたいそぐいぬにあいけり木のめ道
◇歩みくる胸のへにちょうとびわかれ

 私の小学4年生は1957年頃のはずですが、小学生で習った俳句といえば芭蕉の<古池や蛙飛び込む水の音>など数句だったように覚えています。

◆作者探し
 前記の24句には作者名が書かれていません。
教科書に載っていなければ教師が使う虎の巻(学習指導要領)に載っていないか調査は「学習指導要領」探しに移ります。
 教師が使う「学習指導要領」はアメリカで使われているコース・オブ・スタディーを参考して作成するようにGHQ内の民間情報教育局の指導があったそうで す。
 「学習指導要領国語科編(試案)」が教育情報ナショナルセンター(NICER)のWebサイトに「過去の学習指導要領 」として登録されていました。

 巻末の「原作者および原典一覧表」には下記のように記述されていました。
----------------
 夕やけ
   児童作
   中村草田男
   窪田
致格
  西山泊雲
  高浜虚子
  村上鬼城

----------------

 これでは、どの句が誰の句かわかりません。
 子どもから「作者はだれですか?」と聞かれた場合、教師はどう答えていたのか疑問がわきます。

 この「学習指導要領」とは別に小学校国語学習指導の手引き」というものが見つかりました。
 「小学校国語学習指導の手びき 第4学年用」には「この課の作品の作者は、『学習指導要領国語科編』の参考に児童作、中村草田男、窪田致格、西山泊雲、 高浜虚子、村上鬼城と列挙されています。」

 そして「しかしどの作品がだれのであるかは考えないでよいように思われます。作家によってはくがつけられるべきではなく、作品本位で考えていくべきであ ります。」
 作品は誰が作ったかで判断するのではなく作品を味わうべきだと言うことでしょうか?
 でも、他の作品(どんぐりと山ねこ)には作者(宮沢賢治)が明記されています。


◆第二芸術論
 筆者の土肥あき子さんは、フランス文学者の桑原武夫さんが唱えた「第二芸術論」が俳句の作者名を伏せてことに影響しているのではないかと推論されていま す。

 「第二芸術論」を詳細に語るほどの教養もありませんので大雑把な紹介に留めます。
 桑原さんは著名な俳人の句10句と素人の5句を並べ、作品の優劣の順をつけ作者を推測するという実験をしています。
 ◇芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
 ◇初蝶の吾を廻りていずこにか
 ◇咳くとポクリッとべートヴエンひゞく朝
 ◇粥腹のおぼつかなしや花の山
 ◇夕浪の刻みそめたる夕涼し
 ◇鯛敷やうねりの上の淡路島
 ◇爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り
 ◇麦踏むやつめたき風の日のつゞく
 ◇終戦の夜のあけしらむ天の川
 ◇椅子に在り冬日は燃えて近づき来
 ◇腰立てし焦土の麦に南風荒き
 ◇囀や風少しある峠道
 ◇防風のこゝ迄砂に埋もれしと
 ◇大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
 ◇柿干して今日の独り居雲もなし

 著名な俳人の句を読んでいつも感じることですが、どこが良いのか、何を言っているのかわからない句があります。物知り顔でわかったような気になっている ことが多いです。

 前 記の句でも理解困難な句が何句かあります。
 俳 句結社は華道、茶道の「家元」的な様相で中々近寄れません。

 ま た、
「日本の明治 以来の小説がつまらない理由の一つは、作家の思想的社会的無自覚にあって、そうした安易な創作態度の有力なモデルとして俳諧があるだろうことは、すでに書 き、また話した」と書かれ「家元俳句」が社会的悪影響を指摘し、俳句は世間話と同様の「第二芸術」だと批判しています。

 桑原さんの「第二芸術論」は雑誌「世界」(岩波書店)1946年11月号に「
第二芸術ー現代俳句についてー」と題して発表されています。
 こ の「第二芸術論」に教科書編集委員が影響されたことはあり得ることでした。

◆児 童句は公募?
  「学習指導要領」の原作者として「児童」と書かれていましたが、その児童の句はどのようにして選ばれたのでしょう?
  1946年4月に文部省が国語教材を公募していたという事実が分かりました。

 
公 募の周知は4月9日付けの新聞各紙で発表されたそうです。
 ち なみに朝日新聞では
「教材を一般募集/国定教科書の国語」と報じら れています。

 入選者の発表は10月22日、
朝 日新聞には1225点の応募があり、内12点の入選が決まったと報じられています。
 静岡県の児童は自由律俳句誌「層雲」に投句していたくらい の自由律に親しんでいました。
 健在だった本人に確認が取られ、教科書に載っていた句はこの児童の作ではないことが判明しました。
 益々、なぞは深まるばかりです。

◆定型句と自由律
 この児童の入選は「層雲」主宰の萩原井泉水をして「
終戦後、全くあたらしく編輯し直されることとなった国民学校の教科書に自由律俳句の採りあげられたことは、当然とは云いながら、欣快 のことである。その句は一般の国民学校の生徒から生徒の作品を募集したもので、選者は文部省の図書編輯者である(後略)」(「層雲」1947年3月号)と喜ばせました。

 しかし、翌年の教科書には「俳句」ではなく「作文」の文章を削るという項目の例文として使われていました。
◇雨がふる風がふく櫻の木がぬれてゐる(原句)
 ↓
◇雨が降る。風がふく。さくらの木がぬれてゆれている。(教科書掲載)

 教科書を見た井泉水はひどく落胆したようです。同じく「層雲」誌(1948年1月2月合併号)に「
つまり、その内定が新聞で発表されたのを見て、定型の人たち はおどろいたのであろう、自分たちがつねづね自 由律俳句は「俳句にあらず」と云っている。それが「俳句」として、小学校の教科書に載ったのでは、大異変事だからである。世間的には、俳句は十七文字とい う通念が一般的であるものを、文部省ともあるものが、あだかも層雲派の主唱を受入れたかの如き俳句の扱いようをするのはケシカラヌ事だ、といきり立ったで あろうことも、想像されないでもない。」と書いています。

 山頭火や放哉などが今ほどには理解されていなかった時代に「5・7・5」以外は俳句ではない、そんなものが教科書に載って「俳句」だと思われては敵わな いとの横槍は当然あっただろうと思います。
 未だに、俳句ブログでも頑なに季語、切れ字、歴史的仮名遣いを押し付けるがごとき御仁がおられます。
 自作は下手な定型句ですが、山頭火や放哉に親しんだものには形よりも心を読み込む自由律にあこがれるものです。

  「子ぶた」などの掲載句が公募作品でないのなら、児童の俳句はどこから選ばれたのでしょう。
 少 年少女向け雑誌、綴り方投稿誌や新聞の投稿欄から選ばれたのではないかと推測されています。

◆未 だ分からぬ作者
  「子ぶた」探索隊の皆さんはいろいろとご苦労されたようですが、後半13句の作者が分かりましたが、他の11句の作者は分かりませんでした。土肥あき子さ んは児童の句だろうと推理されています。
 私 には前半の11句と作者の分かった後半の13句の優劣は中々つけられません。
◇かあさんがぼんやりみえるかやの中
上ばきを自分でつくるわらしごと
◇子もりするしずかなる月なの上に
◇麦ふむやみだれし麦の夕日かげ
◇こがらしや子ぶたのはなもかわきけり
◇月の夜をわが家のありしあたりまで
◇すみきったボールの音や秋の風
◇秋風にプールの水がゆれている
◇草原に一本あかしはじもみじ
◇二重にじ青田の上にうすれゆく
◇朝つゆの中に自轉車のりいれぬ
◇親のまたくぐる子うしや草の花(西山泊雲)
◇ほし草にかげおとしとぶとんぼかな(窪田致格)
◇持ちかえしせんこう花火のゆれている(高浜虚子)
◇大空にのびかたむける冬木かな(高浜虚子)
◇かい道をきちきちととぶばったかな(村上鬼城)
◇下雲へ下雲へ夕やけうつりさる(中村草田男)
◇うらがれにおろされ立てる子どもかな(中村草田男)
◇かやごしの電燈のたまみておりぬ(中村草田男)
◇さるすべりラジオのほかに声もなし(中村草田男)
◇くれていく巣をはるくものあお向きに(中村草田男)
◇まえ向けるすずめは白し朝ぐもり(中村草田男)
◇ひたいそぐいぬにあいけり木のめ道(中村草田男)
◇歩みくる胸のへにちょうとびわかれ(中村草田男)

 これからも「子ぶた」探しはされているそうです。情報があればこちらに ご連絡を。
 
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