09/02/13
朝日俳壇、歌壇より
麻生首相のひん曲がった口から出てくる言葉は、郵政民営化担当の総務大臣をしていながら「(民営化には)賛成でなかった」、また先
の総選挙の争点の一つであった郵政民営化について「多くの国民の中で4分社化を知っていた方は、ほとんどおられない」と能天気なことこの上ありません。
郵政民営化は、アメリカの下僕である小泉首相や竹中大臣(いずれも当時)など売国奴たちの仕業です。
さて、金曜日になって日曜日の新聞の内容を紹介するような体たらくです。
8日付朝日新聞の俳壇、歌壇から気になった句や歌を紹介します。
◆朝日俳壇
咀嚼するに難しい句の多い週でした。
紹介する数句もなかなか難しい句でした。
◇死にたると風の便りや焼薯屋(東京都・加藤容子:長谷川櫂選)
どなたとも薄く浅い付き合いしかできない私には、知人の消息はまさに風の便りでしか知ることができません。
ましてや、居酒屋や商店の消息など知る由もありません。よく通っていた酒場は足を運んで見るしかありません。
選者の長谷川櫂さんは「「以前はよく買っていた焼薯屋を最近、見なくなった。「死にたると風の便りや」とは非情にして味がある」と評されています。
◇白菜洗ふ再々婚の友いかに(東京都・矢野美与子:長谷川櫂選)
不幸にして、あるいは幸いにして三度目の縁を結ばれた友人を気遣うやさしさでしょうか?激励の句でしょうか?
◇笑顔より生まれし妻か野水仙(上山市・清野桑苺子:長谷川櫂選)
難しい俳句です。浅学者には十分な理解ができません。
野水仙の明るい姿から美人の妻を連想したという句でしょうか?
◇電柱に雪の速さをはかりをり(可児市・金子嘉幸:大串章選)
横殴りに降る雪は垂直に立つ電柱が雪の降る速度をはかる基準になるのでしょう。雪国に住んだことのない私にはぼんやりとしかイメージできません。
しかし、水平に張られた電線は、月の動き、雲の動きを計る基準線になっています。
◆朝日歌壇
◇いまガザを攻めてる男らが<アウシュビッツ>の同胞なのか(松戸市・東 洋:永田和宏選)
この国が、また他国を侵略するようなことになれば<ヒロシマ・ナガサキの同胞が・・・>と詠まれるのでしょう。
◇父の死を詠んでしまえば現実を認めてしまい過去となり行く(筑紫野市・二宮正博:永田和宏選)
先日、知人の父上が亡くなられたと知りました。随分と落ち込まれていたようです。
「死」を俳句や短歌に詠んでしまえば「死」を受け入れたことになる。未だ受け入れたくないという心情なのでしょう。
逝く人と送る人の幸せな関係ですね。
◇現役時代と上下同じ酒の席譲り合いつつ自ずと決まりぬ(蓮田市・青木伸司:永田和宏選)
微笑ましいと見ることもできますが、私には馬鹿馬鹿しいことしか見えません。古い職場の付き合いを一切絶っているのは下座に座らねばならない馬鹿馬鹿し
さと、上座に座らされる馬鹿さが嫌なためです。
天下り、渡りを繰り返す人たちは死ぬまで「上座」に座り続けていることでしょう。
◇勇気出し名づけのいきさつ聞いてみるはり医で「つぼみ」と呼ばれる婦人に(飯田市・草田礼子:馬場あき子選)
はり医に通うあまり若くはない「つぼみさん」と呼ばれている女性に、名前の由来を聞くには少々勇気の要ることです。
きっと可愛い方なのでしょうね。
◇朝日受け雪の半島おだやかな稜線えがく原発抱き(福井県・大谷静子:佐佐木幸綱選)
敦賀半島には原電、関電、動燃の原子力発電所があります。半島の背には幾条もの送電線が張られています。
町の公共施設はみな立派な建物で、「原発立地」の看板があちこちに見られます。
多くの金が投資されていることが、原発が「危険」なものである証のように思います。
◇雪になり損ねた雨が揺らしゆく玉葱畑の青の清しさ(福山市・武 暁:高野公彦選)
雪に「なり損ねた雨」との表現が新鮮でした。霙交じりの雨は本当は雪になりたかったのだった。その雨が葱の青をいっそう深くしている様子。
京都郊外の畑では「九条葱」が栽培されています。朝露に濡れた畑は新鮮な色合いが印象的です。
◇職なきは食のなきなりこの国を案じつつくふことしの雑煮(藤沢市・坪井睦彦:高野公彦選)
「職なきは食なきこと」、まったく同感です。職を奪うことは人としての尊厳を奪われること、そして食までも奪われること。
心を痛めつけ、挙句に死ねということでしょうか。
◆花鳥諷詠
俳壇、歌壇のページに「うたをよむ」という囲み記事に深見けん二さんの「師・虚子との豊かな時間」という文章がありました。
虚子の生前に、鎌倉の虚子庵で虚子の俳句観「花鳥諷詠」「客観的写生」を虚子から伺えたのは幸運であったと書かれていました。
今、読んでいる橋本夢道の句集「無
禮なる妻―橋本夢道句集
」のあとがきで、夢道は下記のように書いています。
-------------------
俳句は、民族の正当なる詩でなければならない。民主的な人々によって行われている俳壇の、屈指の作家も干渉の玩具にひとしい仕事しかやっていないのでは
ないか。私たちのやっていることは、玩具ではなくて、民族が生きるための文学でなければならない。
悲しみの玩具ではなく、目的をもった要求の文学でなければならない。農民が生産しながら歌っている稗搗節、米搗節、俚謡、俗曲らのように共同に生きつら
ぬく文学でありたい。それを俳句の形式をとおして自由に歌いたい。いまもなお抵抗しなければならない。かゝる民族の文学までに発展してきたことは、たのも
しいことであるが、それを、さらにつみかさねたのが、私の夢道俳句であると思っている。
-------------------
花鳥諷詠をよしとするか、民族の働くものの詩(うた)を詠うかは難しいことです。
◆季語、歳時記データベース
携帯電話で季語五千語の検索ができるサイトが紹介されていました。
下記のQRコードを携帯で読んでください。
http://cgi.geocities.jp/jiki_09/ktai.html
パソコン用のサイトはhttp://cgi.geocities.jp/saijiki_09/index.htmlです。
|
|