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09/03/03 朝日俳壇、歌壇より
 関西では、奈良・東大寺の二月堂のお水取り(修二会・しゅにえ)の時期は寒さがぶり返すという言い伝えどおりに寒さ厳しい日となっ ています。

 3月2日付け朝日新聞の俳壇、歌壇から気になる句や歌を紹介します。

◆朝日俳壇
◇三月十日七十回忌まで生きん(東京都・木島茶筅子:金子兜太、長谷川櫂選)
 もうすぐ65回目の東京大空襲の日が巡ってきます。8月6日、8月9日と同じように3月10日は忘れられない、忘れてはならない日です。
 東京、長崎、広島だけでなく全国の主要な年が、アメリカ軍による市民を殺戮するための無差別に攻撃されました。

◇自らの心を踏みし踏絵かな(東京都・望月将地:長谷川櫂選)
 選者は「踏絵にはイエスやマリアの像が彫られているが、それは自分の心を踏むこと。ずばっと踏絵のまことをつかんでいる。」と評していますが、踏絵を踏 ませた権力の非人道的な仕打ちへの批判も大事だと思います。
 03年の鹿児島県志布志の「踏字事件」も忘れてはなりません。

◇春きたり三十過ぎの少年に(東京都・無京水彦:金子兜太選)
 時々、何度読んでもわからない句があります。
 私は写真に俳句を付ける写真俳句を楽しんでいます。句についた写真が前書きと同様の働きをしています。
 この句も前書きがあったのでしょうが、紙面では句だけが掲載されますので背景を知りえない読み手には辛いですね。

◆朝日歌壇

◇春来れど生産ラインの止まりたる車の街は鎮まりおりぬ(町田市・富山俊朗:馬場あき子選)
 三菱自動車の企業城下町である岡山県総社市は「殿様」を助けるために、三菱自動車を購入した市民に10万円の「助成」するそうです。(「三菱新車購入に10万円助成、1日で97件の申請 岡山」朝日新聞 09/03/02)
 企業城下町は「冬の時代」です。

◇魚屋の慎治は威勢の良き声で中学時代のまま鰤を売る(松山市・吉岡健児:馬場あき子選)
 慎治さんに会いたくなります。
 やんちゃ坊主で、粋な人なのでしょうね。

◇着ぶくれて切符の在り処また探す集札口に妻を待たせて(神戸市・内藤三男:佐佐木幸綱選)
 ほんわかとした映像が浮かぶ歌です。
 出札口、改札口、集札口も死語になりつつあるような気がします。出札口は切符売り場、改札口は切符に鋏を入れるところ、集札は使用済み切符を回収すると ころです。
 ほとんどの出札は自動券売機になり、改札口、集札口は統合されて自動ゲートとなってしまいました。

◇母娘の歌
 <日だまりの犬ふぐりのよう空色のシャツ試着してはにかむ娘>(赤穂市・内波志保:高野公彦選)
 <ありがとう」笑顔であなたを見上げたら「いいよ」の笑顔で体温上昇>(赤穂市・内波可奈:高野公彦選)
 この種の歌の良さがあまりわかりませんが、赤穂市の母娘の歌だそうで何度も同時入選されています。

◇郷隼人さんの歌
 朝日俳壇では、アメリカで獄中にある郷隼人さんもホームレス歌人・公田耕一さんと同じように有名人です。今週も2首入選していました。

 <不景気の世に獄中の囚徒らが羨ましきと言う人のあり>(永田和宏選)
 選者は「本人の気持ちを斟酌しない無責任な物言いは相手を強く傷つけるものだ」と評していますが、日本でも刑務所に入るために犯罪を犯す人たちがいると 聞きます。彼らから見れば獄中の人は「羨ましい」のかもしれません。

 <深刻な不況の世には獄中が一番平和な場所にありなむ>(馬場あき子選)
 派遣切り、雇い止め、解雇で職と食を失った人が街にあふれて犯罪が増加しを生みだし、やがて刑務所も犯罪者が溢れて「平和な場所」ではなくなることで しょう。

公田耕一さん
 2日付け朝日新聞の「天声人語」はホームレス歌人・公田耕一さんについて書かれていました。
 入選しなかった歌に<美しき星空の下眠りゆくグレコの唄(うた)を聴くは幻>というのがあり、これはジュリエット・グレコの「美しき星の下」というシャ ンソンのことだそうです。
 身元について「50年代に青春を送った70歳前後のフランス通か」とか「若くして欧州の文化を愛したであろう方」など識者の言葉を紹介しています。
 身元を詮索することもないと思います。「ホームレス・公田耕一」が作品の一部、俳句の前書きみたいなものではないでしょうか?
 天声人語は下記のように締めています。
 「その『住所』は作歌の背景にして源泉、それで十分だ。知りたくもあり、知りたくもなし。」

◆公共性と短歌
 「短歌現代」という雑誌の3月号に小高賢さんの「公共性と短歌」という時評が掲載されていたとの記事がありました。
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 短歌とは、私性の文学である。だが歌人は社会人として同時代を生きる存在でではないか。と短歌における時事性社会性の希薄化を問う小高さんの文は示唆に 富む。まことに公共性と断絶した時、歌は果たして自分以外の他者と響きあえるか。
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 社会との関わりをどう歌うのかは難しいことです。
 表現をすることは社会と関わること、社会の矛盾や、怒りを表現していきたいと思います。

 橋本夢道は句集「無禮なる妻」のあとがきに下記のように書いています。
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 俳句は民族の正統なる詩でなければならない。民主的な人々によっておこなわれている俳壇の屈指の作家も鑑賞の玩具にひとしい仕事しかやっていないのでは ないか。私たちのやっていることは、玩具ではなくて、民族が生きるための文学でなければならない。
 悲しみの玩具ではなく、目的をもった要求の文学でなければならない。農民が生産しながら歌っている稗搗歌、米搗歌、俚謡、俗曲らのように共同に生きつら ぬく文学でありたい。それを俳句の形式をとおして自由に歌いたい。いまもなお抵抗しなければならない。かゝる民族の文学までに発展してきたことは、たのも しいことであるが、それを、されにつみかさねたのが、私の夢道俳句であると思っている。
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