09/05/13 映画「沈黙を破る」
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メールマガジンのひとつに「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会」のメルマガがあります。
その5月9日号に映画「沈黙を破る」の監督・土井敏邦さんが「映
画『沈黙を破る』上映とイベントのお知らせ」という記事を書かれていました。
--------------(引用)
(5月2日から、東京のポレポレ東中野で封切され、初日
は満席だったのですが。。)
しかし、2日目(5月3日)は、半分ほど、最終回では3分の1ほどの観客に激減し、強い衝撃を受けました。
「ゴールデン・ウイークの中日だから、仕方がないですよ」と周囲からなぐされましたが、「観客が最も入りやすいゴールデン・ウィークに」ということで、
敢えてこの時期の封切を選んだのですから、私には慰めにもなりません。
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と、嘆かれたいました。
早速観てきました。いい映画でした。
パレスチナ問題の正義はパレスチナにあるのか、イスラエルにあるのかは私には分かりません。
しかし、人と人が殺しあうことだけはどうしても許せません。
映画は、02年4月に起こったバラータ難民キャンプとジェニン難民キャンプへのイスラエル軍の侵攻前後のルポルタージュと、イスラエル軍の元将兵たちが
占領地域での自ら行った加害行為を告発する「沈
黙を破る」というプロジェクトのメンバーのインタービューで構成されています。
500m四方の難民キャンプの周りをイスラエル軍の戦車
が包囲し、空にはミサイルを積んだヘリコプターが飛び、停電にさせられた緊迫した侵攻前の状況、子どもたちの遊びは映画「子供の情景」
と同じように兵隊ごっこです。自爆テロをした青年の写真を「英雄」として大事にして集めています。ある子どもはシャロン・
イスラエル首相の家の前で自爆攻撃をするのが夢だとはなしていました。
バラータ難民キャンプとジェニン難民キャンプでのイスラ
エル軍の殺戮はネットで検索していただければいくつも見られます。
映画では直接の戦闘、殺戮のシーンは写っていませんし、武装したパレスチナ人もほとんど写っていません。
殺戮のあとは、子どもを含む市民が鼻をつまんで見守る中
で穴に生き埋めにされた人が掘り出されているシーンが写されています。
「沈黙を破る」メンバーのインタービューは、映画「リダク
テッド 真実の価値」(残日録 08/12/21)の設定と同じように、占領地での検問などの任務に就いた時の加害の告白です。
普通の家庭の普通の息子や娘が、任務につくと狂気に変わるのです。
占領地では装甲車を運転してパレスチナ人の車を踏み潰していた青年は、休暇で帰ったイスラエルで信号を守った運転ができるはずがないと語っています。
「暴力や憎悪、恐怖心や、被害妄想」を抱えたまま生活しているのだと。
戦争は人が殺される、人の財産が奪われるといった直接的な被害だけでなく、加害者の心を蝕んでいきます。
「沈黙を破る」の顧問のラミ・エルハナンさんの発言がホームページに掲載されています。ラミ・エルハナンさんは娘を自爆テロで殺されています。発言を引
用します。
--------------------(引用)
「イスラエル国民が理解できないでいることは、占領地の350万人のパレスチナ人を制圧し、片隅に追いやり、どんどん押し込んでいけば、彼らは噛み返す
ということです。それは世界中のどの歴史にも共通する普遍的な事実です。そんな彼らを『テロリスト』と呼ぶ人もいれば、『自由の戦士』と呼ぶ人もいる。ど
んな名前で呼んでもいいのです。しかし、それが現実なのです。
彼らは『テロリスト』かもしれない。同感です、テロリストが私の娘を殺したのですから。ではそのテロリストにどう対応するのか。テロリストを完全に消滅
できたという実例があるのなら、一つでも見せてほしい。彼らの自由への願いを消滅できたというような、喜んで占領を受け入れているというような実例をで
す。ではそのテロリストとどう闘うのですか。どうすることが“賢い”闘い方なのでしょうか。すべての争いの解決には、結局、話し合うしかないのです。ハマ
スであろうと、PLOであろうと、敵と話し合いをするしかないのです」
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”他人の過ちから学べ。すべての過ちを犯す時間はないのだから”
ヘブライ語の諺だそうです。
自戒を込めて心に留め置きたいものです。
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