09/06/09
朝日俳壇、歌壇より
8日付けの朝日新聞の俳壇、歌壇より気になった句や歌を紹介します。
◆朝日俳壇
今週も難しい句が多く入選していて、教養のない私には中々理解ができません。俳句は作れなくても、せめて鑑賞したいものです。
◇数々の縁を生きて明易し(茅ヶ崎市・川村敏夫:大串章選)
眠れぬ夜、午前4時も近くなると白みかける朝、幾多の出会いを思い起こすことが多くなります。最近は良い縁ではなく、裏切られたり謀られたりしたことが
思い出されます。
作者の縁はどのようなものだったのでしょう。作者の
人生に思いが巡ります。こんな句が詠めたら良いですね。
◇オリーブの花や岬の分教場(宝塚市・塩出眞一:大串章選)
小豆島には、「二十四の瞳」の舞台の分教場が保存されています。私が訪れたときには海の見える谷に山藤が咲いていました。
◇中空に人知れず咲く桐の花(西海市・前田一草:大串章選)
大木の桐の樹、落ちた花を見つけて初めて桐の花が咲いていたことに気づきます。
山道を歩いていると、落ち花を見つけてどの木に咲く花だろうと改めて空を仰ぐことがあります。
◇美女の名にやや飽きもして薔薇巡る(吹田市・小井川和子:稲畑汀子選)
バラがあまり好きではありません。花姿も色も匂いも、強烈に自分を主張しているようで好きになれないのです。
庭に何種類ものバラを植えられているお家を見ると、息苦しささえ感じてしまいます。
◇おのれとふさみしきものへ畝起す(釧路市・榊田澄子:金子兜太選)
よく理解できないのに、なぜかわかったような気になる句です。
”己問う 寂しきものへ”でしょうか?
◇何をしに納屋へ来し吾蜘蛛の網(大和高田市・布谷充啓:金子兜太選)
何をするつもりだったのか思案することが年々多くなってきます。
何かを取りに納屋へ入ったのだが、蜘蛛の巣が顔にかかり一瞬にして何をしに来たかを忘れてしまう。
◆朝日歌壇
朝日歌壇の歌を毎週、数首紹介されているブログがあります。ブログのオーナーは若い女性のようですが、私とはまったく違う歌を紹介されていて感性の違い
を痛感しています。
◇本国への入籍いたく手間取りぬ祖国と言うはときに疎まし(大阪府・金忠亀:馬場あき子選)
◇エゴン・シーレの年譜を見れば妻の死もスペイン風邪とあるは哀しき(奈良市・森秀人:馬場あき子選)
◇歯科眼科耳鼻咽喉科泌尿器科。今日は暇にて畑仕事する(さいたま市・泉明:高野公彦選)
◇「いまがいちばんいい時だね」と言うから味噌汁ふいと咽せてしまえり(つくば市・橋本美知子:永田和宏選)
◇謝るにはもう遅過ぎて今朝君が作っていった味噌汁を飲む(京都市・敷田八千代:馬場あき子選、永田和宏選)
◇高々と白きシーツを干したのは障害のなかった五月晴の日(神戸市・田中きくこ:馬場あき子選、高野公彦選)
五月晴れの日に、庭の物干しの上の段に皺を延ばされた真白なシーツが翻っている。障害を持った今はもうできない。
健康なときには何気なくしていたことが、病後に後遺症が残った身体では出来ないことであったり、相当のエネルギーと時間をかけなければできないことがあ
ります。
私も後遺症というほどのものではありませんが、こうして文章を書くのにも以前の2倍ほどの時間が掛かってしまっています。病んで初めてわかる健康でしょ
うか。
◇吾が未知のハローワークへ子は行きぬ若きみどりに手を振りながら(岐阜市・後藤進:馬場あき子選)
父親は行くこともなかった「職安」に通う子への想い。職のない我が子の不憫さ、向ける先もわからない苛立ち。
◇食後必ずテーブル磨く老婆ありあと一年で一○○歳となる(三鷹市・稲垣元博:馬場あき子選)
老人施設でしょうか?
老いてなお今まで生きて来た習い性が身体を離れないのでしょう。
ドキュメンタリー映画「小三治」
で、小さん一門は自分の座っているテーブルを拭くのが癖だというシーンがありました。
◇孤独死と言わないで下さいひっそりと逝くを望んでいる我なれば(名古屋市・倉田しず子:高野公彦選)
一人静かに逝きたい、せめて死ぬときだけ私の勝手にさせてほしい。
どう逝くかは私に決めさせてほしい。生まれてきた時と死ぬ時は独りだから、看取る人なくても寂しくはない。
◇<病院へ出かけています>独り居の卓に置くメモ誰へともなし(川越市・橋本峯:永田和宏選)
メモを見る人もないのに、所在を書いて置く。
連れ合いがいた時のように。亡き連れ合いが帰って来るかも知れないと錯覚したように。
◆ハンスト
ガンジーの会が
呼びかけている「9の日、9条、ハンスト・イン」に参加しています。
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