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09/07/30 奈良県五條

 行ってみたい街、 住んでみたい街がいくつかあります。
 住んでみたい街は、そう簡単に実現できませんが、行ってみたい街にはボチボチと巡っていきたいと思います。
 今回は自転車で行きたいと思っていた奈良県五條に青春18切符を使って行ってきました。

 雨の遅めの朝、最寄り駅から大阪、大阪から大阪環状線、関西本線、和歌山線で王寺、高田まではスムースに移動できます。高田辺りまでは大阪の通勤圏とし て機能しているのでしょう。
 高田からは無人駅が多くなります。電車は1時間に1本ほど、ワンマンカーとなります。
 途中北宇智駅では07年3月までスイッチバックがあったそうです。スイッチバックの名残のホームなどが残っていました。


 自宅から2時間あまりで五条駅(何故か五条)に到着します。

 小さな駅舎に観光客らしいグループが2組ほどたむろしています。

◆十津川街道(西熊野街道)
 駅から南に下ります。鄙びた旅館や商店が数軒、どの町も駅前はさみしい限 りです。
 国道24号線に出るとファーストフード店や大型スーパーが出現します。国道をさらに南に下がると吉野川(紀ノ川)でます。水運でも栄えた町なのでしょう か。
 大川橋を渡ると静かな町並みがみえます。十津川街道です。

  知人のHさんは京都に住んでいたころ、実家のある新宮までこの道を自転車で帰ったそうです。私もいつかは吉野の山を越えて太平洋を見たいと思っています。

 そういえばMさんの旦那の実家の和菓子屋もこの十津川街道にあったはずです。
 懐かしい人を思い出してしまいました。

◆新町通り
 雨の中を駅の方に戻って、古い町並みが残されている新町通りに向かいます。
 江戸期からの建物が残されているそうです。
 重厚な古い建物と、外観はそれを模した新しい建物が混在します。

  歴史的景観を維持するのも、そこに住む住民の方の負担になっていることでしょう。維持する費用がなければその町に住め辛く なります。
 左のお宅のように壁が落ちても手が入れられぬこともあるでしょう。景観の維持に努力されていることも、維持できないこともよくわかります。

 近頃は町おこし、村おこしに歴史的景観を利用する自治体も多
いですが、高山や津和野のように人を呼び、金を落としてくれるような甘い話はないでしょ う。

◆餅商一ツ橋
 重厚な町並みに溶け込んだ、映画のセットのようなお店がありました。出入り口の左右にガラス張りのショーウィンドウがあり左手のショーケースには人形 が、右手には3種類の餅が十数個並べられています。

 店先には人も見えずシーンと静まっています。
 痩せた美人の女将でもでてくるような雰囲気です。
 帰ってからネットを見たら、この店の揚げ餅がおいしいとのことでした。

◆赤根屋半七宅跡
 新町通りは、直線的ではなく緩やかに左右にカーブしてい ます。
 西へ進むと
「赤根屋半七宅跡」と立て札があります。

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 赤根屋は新町通りに面した間口七間の染物屋を営んでいた。
 ここは、悲恋のすえ大阪難波千日寺
の墓地で遊女三勝(さんかつ)と心中して果てた赤根屋半七が住んでい た宅跡である。
 元禄8年(1695)12月9日、二人は互いの躰を紅絹裏(もみうら)の服紗縮緬(ふくさちりめん)で結び合わし、共に咽喉(
の ど)を掻き切って死んでい たという。
 二人の哀しいはかない恋は、すぐさま「三勝半七艶姿女舞衣(はですがたお んなまいぎぬ)」として歌舞伎の舞台にのぼり、現在も国立文楽劇場などでその物 語 が演じられている。
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 元禄時代は大坂もたいそう栄えていたようで、男女のスキャンダルが居 や文楽になって演じられていたのですね。今のワイドショーみたいですが、即時性がなかった分だけ時間が厳選していたのでしょうね。

 「赤根屋半七宅跡」の立て札の横の電柱に青いマークがあ り、「伊勢湾台風時の最高水位」と書かれています。私の身長と同じくらいの高さです。(上の写真で電柱の青い帯)
 1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風で吉野川が氾濫し五條でも大きな被害があったようです。

五 新線
 五條と奈良県新宮市を結ぶ鉄道(五新線)敷設の構想は戦前からあったようです。太平洋戦争で中断された工事は戦後1982年まで進められていたそうで す。
 今は、完成部分は路線バスの専用道として使われているそうです。

 左の写真は五条駅から国道24線を跨いで南に吉野川を渡る直前の行き先を失った橋です。
 計画段階で、建設段階で消えた鉄道や、国鉄民営化以降数多くの路線が切り捨てられました。
 国は自動車会社やアメリカの要請に応えて高速道路を作り続けてきました。車主体の道路は鉄道でいえば線路、自動車会社に無償でせっせと税金でレールを敷 いてきたのです。

 その金を本当の線路に使えば、もっと違った日本があったような気がします。

 都市部の路面電車を買収し路線バスに変えてまで車社会を作ってきたGM、「GMにとって良いことはアメリカにとっても良いことだ」と臆面もなく言ってき たGM、車社会は大きな変化の時代にあると思います。
 ビル・トッテンさんは下記のようにいっています。

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自動車会社の破綻は、安くて豊富なエネルギーに支えられた文明が限界にある ことのサインだと、オバマ大統領はじめアメリカのエリート層、そして日本の支配層は認めたくはないだろう。しかしGMの復活のように、アメリカの自動車社 会の復活がないことをみとめ、エネルギーの使い方を改め生活様式を変えなければ、その後の苦しみはますます大きくなるのである。
---------------(自動車社会の終わり Our World)


◆柿の葉寿し
 五条駅は小さな駅ですが、夏期講習でしょうか下校の高校生がホームにまであふれています。高校野球で有名になった智辯高校の最寄り駅です。
 KIOSKはありますが閉まっています。柿の葉寿しのお店で柿の葉寿しを買い缶ビールで遅い昼ご飯です。

 和歌山線で和歌山に出て帰ることにします。堺から和歌山、五條で折り返し堺までの200kmのロングライドの大会で走ったコースを電車でトレースです。
 電車は高校生でにぎやかです。単線のため対向待ちがあったりのんびりと紀ノ川沿いに下っていきます。

 和歌山からは快速の大阪(京橋)行きで直通で帰ることができます。大阪で下車しなじみのバーで世間話をして帰宅しました。

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