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09/08/06 広島忌

 広島忌の今日、青 春18切符を利用して広島に行ってきました。
 始発電車で出発し往復およそ13時間、広島滞在4時間というハードな旅でした。


 12時広島駅着、空は曇り、昨年ほどの暑さは感じません。
 平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)の駅頭での案内ブースは片づけが始まっています。
 広島電鉄のきれいな車両で原爆ドームへ。原爆ドーム付近や平和公園内ではいろいろなグループが
語り、歌、写真展、折 鶴、、、と、いろいろなパフォーマンスをしています。午後から行われる慰霊の行事も準備されています。
 平和公園には、今年も中学生をはじめとする若い人たちと外国人がめだちます。

◆被爆者証言講和会
 平和記念資料館に入り、入場券を買おうとしていたら職員に1時半から被爆者の体験談が聞けると案内を受けました。
 1階、2階、新館、本館の展示をざっと見て回り、地下のメモリアルホールで被爆体験を聞きました。いつもは修学旅行生向けの催しだそうです。
 聴衆も今風バリバリの若い人が多いことにひとり感動してしまいます。

 被爆体験を語ってくださったのは78歳の女性お話でした。
 14歳の時に飛行機のプロペラを作る工場に学徒動員で働いておられた工場の建物が爆風で壊れて下敷きになり九死に一生を得て助かられたのですが、ご本人 の体 験だけに生々しく涙がこぼれてきました。
 下敷きになった友だちとお互いに傷つき動かぬ手や足を片手だけで抜け出し、二人が助かったら今度は他の生徒を担架で助け出すのです。その後は死体を集め て焼く作業をされたそうです。

 3日目になって郊外の自宅は助かっている模様なので帰路につきますが、道も川も死体だらけ、歩いている人は手の皮が垂れ下がりお化けのようだったそうで す。「水をください」と叫びながら歩く姿はお化けそのものだったそうです。

 「はだしのゲン」を読んだとき、手の皮をぶら下げて、顔面が解けたような絵を見たときずいぶん誇張されていると思いましたが、爆心地近くで被爆した従兄 を探し当てた叔父さんも我が子とわかっても怖かったといっていたそうです。

 被爆体験者は高齢の上に原爆症で亡くなれていき、語り継ぐ人がだんだん少なくなっています。
 平和な核のない世界を作るために、私はあなたは何ができるのでしょう。考えさえられました。

 続きは明日。
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