09/10/28 映画「鶴彬〜こころの軌跡〜」
27日夜、自衛隊
の護衛艦「くらま」が関門海峡で韓国籍のコンテナ船と衝突しました。
08年2月のイージス艦「あたご」の漁船との衝突事故(犠牲者2名)は、88年7月の潜水艦「なだしお」と遊漁船の衝突事故(犠牲者30名)の教訓が生
か
されなかったと言われていましたが、今回も通行量の多い海域での事故でした。教訓が生かされているとはとても思えません。
しんぶん赤旗に元日本火災社長で経済同友会終身幹事の品川正治さんのインタビュー記事が掲載されています。「政治を前に」(しんぶん赤旗 09/10/28)
◆貧困・格差生む経営者に資格ない
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少なくとも結婚でき、子どもをつくれるという給料を出す。それだけの自覚を持っておれば、経営者も政策について発言できるけれどもね。結婚もできない、
子どもも産めないような給料しか出さない。それを賃金だと称して労働力を買ってもうけているような経営者には、ものをいう資格はないのではないか。
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是非、ご一読ください。
プロレタリア川柳作家・鶴彬(つる・あきら)の生涯を描いた映画「鶴彬〜こころの軌跡〜」を紹介します。
一叩人編の「鶴彬全集」(1977年たいまつ社刊)を先の入院中に読みました。全集は川柳作品、詩、評論、書簡から構成さ
れていて川柳作品は<手と足をもいだ丸太にしてかへし>など、色々の形で目にすることも多いものですが、評論は難解かつ攻撃的で魂の叫びといえるような激
しいものでした。
映画も鶴彬の幼少からわずか29年の生涯が舞台作品のように描かれていました。
幼い頃から利発な子どもは、十代で社会の矛盾に目覚め川柳の17音を武器に社会の革新に目覚めていく姿は、私など凡なる人間とは違いすぎます。
鶴彬全集から16歳の時の決意の文章を引用します。
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森の家氏の、五呂八氏の作品に、評論に目みえ私の心はおどった。はからざらし、私の意図が、二年前既に誕生していたと知って、私の革新意図は度を強め
た。
しかし私には、私の過去を振り返るとき、私の創作に一句も自分の感激に迫るものがないのを悲しむ。しかし今私は黎明を認めたのである。
深き詩境へ、前人未踏の詩境へ!
感傷詩人は没落した
抹消神経的遊戯詩人は正にほろびんとする
地を歩む詩人になれ
大地を踏破るネオ・ロマンティストなれ
こうした努力が私を、「沈黙」にさすのか、将亦よりよき生命詩を産み出すかは知り得ない。
只私はひたすらに前進する。前進する。
-------------------(革新の言葉 「影像」大正14年10月15日発行)
鶴彬がなぜプロレタリア文学、運動に傾倒していったかがもう少し描いてほしかったと思いました。
1928年(19歳)で全日本無産者芸術連盟(ナップ)高松支部結成に参加、30年
(21歳)、徴兵された軍隊では反戦活動が治安維持法違反となり懲役2年の刑に、37年(28歳)ふたたび治安維持法違反で再逮捕、東京野方署に留置さ
れ、翌年赤痢に感染、勾留を解かれないまま29歳で病院で亡くなります。小林多喜二らと同じように日本軍国主義の犠牲者です。
鶴彬役の池上リョヲマさんは初めて見る役者さんでしたが、幼顔で若い頃の鶴彬にはぴったりでしたが、二十代後半には少し若過ぎる感じがしました。
鶴彬を支援する井上剣花坊(高橋長英さん)の妻・井上信子役の樫
山文江さん、ナレーションの日色ともゑさんは久し振りでした。
鶴彬には恋の句(詩)がないように思っていますが、映画では井上剣花坊の末娘・鶴子(藤
島叶子)にほのかな恋心、柳名の由来かと思わせます。
神山征二郎監督の映画はしばらくぶりでしたが、さすがに安心して見られました。
是非、観ていただきたい映画です。地域毎の上映情報はこちらにあります。
夭折の自由律俳人・住宅顕信と鶴彬、二人とも才能に恵まれた人でした。二人の生きた時代も家庭の環境も違いますが、私は鶴彬の生き方に共感します。
日本ペンクラブの電子文藝館に反戦・反核の一人として鶴彬の略歴と作品が紹介されています。
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