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09/11/08 朝日俳壇、歌壇より

 「11・8沖 縄県民集会」は2万1千人の県民が参加して行わたそうです。

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 米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設計画など、県内移設に反対する県民大会が8日、同県宜野湾市の宜野湾海浜公園であった。主催者発表で約2 万1千人が参加。「米軍基地の整理・縮小・撤去は県民の願い」として、県内移設に反対する決議を採択。鳩山政権に対し「米側の圧力に屈せず、県民の声を堂 々と主張すべきだ」と訴えた。
--------------------普天間の県内移設「反対」、沖縄県民大会に2万1千人(朝日新聞 09/11/08)

 仲井真・沖縄県知事は「県内容認」の態度を示していますが、県民集会は「(鳩山政権は)アメリカの圧力に屈するな」と、「県内移転に反対」を決議してい ます。民主党はどちらの「民意」を尊重するのでしょう。


  8日付の朝日新聞の俳壇、歌壇より気になった句や歌を紹介します。

◆朝日俳壇
◇来年も生きる積もりで冬支度(川崎市・池田功:稲畑汀子選)
 山頭火の<朝焼け雨ふる大根まかう>という句が思い浮かびます。
 放浪の旅から、やっとの思いで山口小郡に其中庵と称する庵を結んだ山頭火は種を蒔いてから収穫まで数ヶ月も掛かる大根の種を蒔いたと詠んでいま す。
 <春までは生きるつもりの種を蒔く>駄句でした。

◇二日ほど看取り積まねば小鳥来る(東京都・岩崎玲子:金子兜太選)
 選者は「看取り積むの語が深い」と評されていますが、私には
「看取り積む」の意味がよくわかりません。

◇焼き芋は古新聞でくるむもの(芦屋市・正井健一:長谷川 櫂選)
 確かに焼き芋は古新聞に包むものと固定観念は私にもあります。芋の皮の焼けた匂いと新聞紙のインクの匂いが混ざって郷愁を誘います。
 最近、街中で見たモダンな焼き芋屋では赤い包み紙に包まれた焼き芋が並んでありました。

◇シャンソンに名曲のあり落葉掃く(新城市・山口明紀:大串章選)
 秋にはシャンソンが似合う。と私も想います。
 里山の散策にデジタルオーディオプレーヤにクミコの歌うシャンソンを何曲か入れて出かけます。

◇冷まじや麗筆にして頼みごと(藤沢市・安田明子:大串章選)
 「冷まじ」とは「すざまじ」と読み秋の季語だそうです。
 綺麗な字の手紙がきた、何事かと読んでみたら金の無心だったりしたのでしょうか?

◇山旅もいよいよ一人鰯雲(山形市・新野裕子:大串章選)
 人生の旅も終わりに近くなってきて、ぼんやりと空を仰ぐことも多くなりました。
 春は何か新しいことが始まる予感があるのに、秋はなぜに淋しい思いがするのでしょう。

◆朝日歌壇
◇九条の画鋲が揺らぎ留めなほす秋雨前線北上せしと(長野県・沓掛喜久男:永田和宏選)
 「明日から戦争を始めます」と言って戦争は始まらない。憲法九条も「明日から改悪します」とはならない。
 「戦争を始めます」「憲法を変えます」と言った時には、もう取り返しのつかない事態になっていることでしょう。
 画鋲はしっかりと打っておかねばなりません。

◇一括りに自死は年間三万人三万通りの個の闇のあるを(和泉市・長尾幹也:馬場あき子、佐佐木幸綱選)
 物事を一絡げにすることに違和感を感じます。
 「団塊の世代」なども自らは使いたくない言葉です。
 自殺者が年間3万人を何年も連続していることは異常なことですが、亡くなった人には3万人と一括りにして欲しくありません。
 自殺者数の統計は警察庁と厚生労働省の二つの役所から出されていますが、自殺者の実数はもっと多いと言われています。

◇日雇いの遺跡掘りして購いし古代史の本・地下足袋二足(富士吉田市・菱沼勝由:馬場あき子選)
 日雇いで働いて得る賃金は、会社勤めをしていた頃より有り難味があるような。
 一日の賃金で買えるものは知れたもの、遺跡の発掘調査の仕事に関連する本でも買われたでしょうか?

◇あの頃はガリ版だったパソコンの立ち上がる音聞きつつ想う(三重県・高山幸子:佐佐木幸綱選)
 作者は元教員の方でしょうか?企業でもガリ版を使っていたのでしょうか?私は若い頃、労働組合の非主流派の執行部にいました。終業後は明朝の門前で撒く 機関紙の編集とガリ版切りをしていました。
 今ではほとんどのことがパソコンででき、印刷もプリンターが手ごろになっています。今は昔の物語です。

◇バケタンは一鉢なれどゆたかなるみのりもたらし秋祝ふ子等は(東京都・桐村文子:高野公彦選)
 「バケタン」がわかりませんでした。バケツの田んぼを「バケタン」というらしいです。
 バケツに稲苗を植えておくと稲が育ち米を収穫することができるそうです。私の子どもの頃には学校田がありみんなで泥田に入り苗を植え収穫をしたことを覚 えています。
 バケタンならレンコンなども栽培できるかも知れません。

◇ものかけぬは胸のふさがるここちしてキンモクセイのかおりをあびぬ(加古川市・田中喜久子:高野公彦選)
 「ものかけぬ」がどのような事情によるものか、歌を読んだだけではわかりませんでしたが、選者は「リハビリ中で手の自由がきかない悲しみ」と評されてい ます。
 私と同じような病気でてが不自由になられたのでしょうか?私も手書きの文字は相変わらず十分でありませんがパソコンのキーボード操作はほぼ昔に戻りまし た。

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