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10/02/09 松本清張、向田邦子「駅路 最後の自画像」

 国が少子化、少子 化と騒ぐことに疑問を持っています。国が子どもを増やせと言っているのは「労働者の所得や消費に課税して税収を増やすこと、または大量生産された物を購入 してくれる数多くの消費者が欲しいから」(引用)なのです。

 「人口を増やし、生産を増やし、消費を増やし、そのために使われる資源や エネルギーを増やす『経済成長』から、住む場所や食べ物、仕事など、真に必要とするものが 満たされていない人々のいない社会を築くこと、これこそが私たちが目指すべき目標であると私は信じる」(「目指すは人間中心の社会Our World 10/02/08

 ビル・トッテンさんはこう言われています。
私たちの進むべき道は「住む場所や食べ物、仕 事など、真に必要とするものが満たされていない人々のいない社会」でなければならないと思います。

  松本清張さんの短編小説「駅路」を向田邦子さんがテレビドラマ用に脚色した「最後の自画像」を一冊の本にした「駅路 最後の自画像」を紹介 します。

 松本清張さんの「駅路」のおおよそのストーリーは以下のような内容です。

 小塚貞一は
地方の学校(旧制高等商業学校)しか出ていないにも関わらず最後は某銀行の本店営業部長を勤め、定 年を迎えるにあたって関連会社の重役を勧められるほどに出世もし仕事一筋で生きてきた。貞一は定年退職した翌日、いつもの ようにふらりと 一人旅に出かけてが一ヶ月経っても何の便りもないまま帰宅しなかった。
 妻の百合子から家出人捜索願が出され、所轄署のベテランの呼野と若い北尾のふたりの刑事が百合子や元同僚などに事情を聞きに
行 きますが、貞一には家庭にも職場にも問題がなく女の影もなく失踪の原因らしきものが見当たりません。旅と写真が趣味だったという貞一のアルバムを見て閃い た呼野らは広島支店長時代に女の影があるのでは目星をつけ広島に出張し、銀行に1年ほど前まで勤めていた女(福村慶子)に辿りつきますが、彼女は急病で亡 くなっていました。彼女の始末をしたという従妹を追い再び東京へ。

 この小説は
1960年に「サンデー毎日」に連載されています。その当時の定年は55歳だったようです。今考えると退職後 の長い生活をどう生きていたのでしょう?小塚貞一の事件も残りの人生をどう生きるかということを考えさせられるものでした。
 事件解決後に二人の刑事に呑み屋でこんなやり取りをさせています。

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「ぼくなんかにはまだよく分かりませんね」
 と若い同僚刑事は言った。
「いや、小塚氏の例ですよ。小塚氏には何の不足もなかった。静かな家庭だし、これからやっと楽な仕事をしたりして平和な余生を楽しむという時じゃなかった ですか。それが自ら家出して、愛人と別な人生を持つという考え方はどうでしょう?」
「君は独身だから」
 と五十近い刑事は言った。
「そんなことを考える。ゴーガンが言ったじゃないか。人間は絶えず子供の犠牲になる。それを繰り返してゆく、とね。それでどこに新しい芸術が出来、どこに 創造があるかと彼は言うのだが、芸術の世界は別として、普通の人間にも平凡な永い人生を歩き、或(あ)る駅路に到着したとき、今まで耐え忍んだ人生を、こ こらで解放してもらいたい、気儘な旅に出直したいということにならないかね。まあ、いちがいには言えないが、家庭というものは、男にとって忍耐のしどおし の場所だからね。小塚氏の気持はぼくなんかにはよく分かるよ」
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 私はもう少し若いときの一時期、駅路を外れた経験をしています。後付けすれば何かから解放されたかったという男の独善でしょうか。

 この小説で気になるのは、家出人捜索願が出たくらいで刑 事が出張って捜査するのかということでした。二人の刑事は根拠も薄いままに広島までの出張をしています。端緒に疑問を持ったので謎解きが薄っぺらく感じら れました。「最後の自画像」では最初に小塚家を訪問するときに「部長の親戚の親戚」だからしようがないという設定になっていました。

 向田邦子さんの脚色になる「最後の自画像」は
1977年にNHKでドラマ化(呼野刑事役に内藤武敏さん、百合子役を加藤 治子さん、慶子役をいしだあゆみさん)されています。
 また、清張生誕百年の09年にはフジテレビでリメーク(
呼野刑事役に役所広司さん、百合子役を十朱幸代さん、慶子役を深 津絵里さん)されています。再びドラマ化されています。

 向田邦子さんは他者の作品を脚色するの「自分に向かな い」からと断ってこられ10作にも満たないそうです。こうした形で原作と脚本を同時に読むことがないので、向田邦子さんの筆力には驚きました。400字原 稿用紙45枚ほどの原作を70分のテレビドラマにするにはほぼ倍のボリュームに膨らませる必要があるそうです。
 そのため、慶子を死なせずに百合子の周辺にまで姿を現すように脚色されています。清張さんはこの脚本を下読みして、タイトルの「最後の自画像」への変更 も含めて「いいよ、わかったよ」とふたつ返事で快諾されたそうです。

 30数年前のドラマをはっきりと見た記憶はありませんが、
貞一の動静を探るために化粧品 の販売員として百合子に近づいた慶子から化粧品を買った百合子が、刑事から夫の愛人ではないかと慶子の写真を見せられたと き、その化粧品を投げつけるシーンは見たような記憶がありました。上品な百合子の女の性が出た凄い場面でした。

 また、松本清張さんは自作の映像化には必ずどこかに出演されるのが常で、この作品でも慶子の間借り先の雑貨屋の恍惚の老人を好演されたそうです。

 この本には、NHKで清張作品の映像化を担当してこられた元プロデューサー近藤晋さんの「清張先生と『駅路』のドラマ化、向田邦子さんのこと」と、向田 さんの本の編集に携わってこられた烏兎沼佳代(うとぬま・かよ)さんの「向田邦子とドラマ『最後の自画像』」という二つの文章がそれぞれの立場からエピ ソードなどが語られています。

 原作でもゴーギャンの絵や生き方が伏線となっていますが、「最後の自画像」では一歩進めた形で関わってきています。

 また、清張作品が読みたくなってきました。
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