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10/03/23 朝日俳壇、歌壇より

 一昨日の久しぶり の休日は朝から家事を片付け、美術館に出かけ、その後知人たちと待ち合わせBIGNのコンサートに行き、帰りに一杯飲み、深夜に帰宅という充実した時間を 過ごしました。
 昨日は突然の休み、実家に母の顔を見てきました。その途中に電車内で携帯電話を忘れるという失態をおかしてしまいました。
 BIGINのコンサートのこと、携帯電話紛失の顛末などは明日にでも書くつもりです。

  昨22日付けの朝日新聞の俳壇、歌壇より気になったものを紹介します。相変わらず素人の読み手には十分な鑑賞はできませんでした。

◆朝日俳壇
◇耕や吾に晩酌あるかぎり(八代市・山下接穂:大串章選)
 晴耕雨読夕べに杯、というようなことでしょう。零細農家の次男坊にとって耕しは郷愁でもあります。加齢とともに畳一畳ほどの土地を耕して見たくなりま す。その土が育てた野菜をあてに一杯の酒を飲むために。

◇紙だけの重さのやうな種袋(島原市・中川萩坊子:稲畑汀子選)
 この句も土の話題、私がスーパーなどで買う種は葉書半分ほどの袋にほんの僅かな種がカサカサと乾いた音を立てています。
 ラディッシュの種でも蒔こうかと思うこの頃です。

◇石段の滑りやすさよ落椿(福知山市・松山ひとし:稲畑汀子選)
 椿の花には日陰が似合う、椿は日陰に植えられているような気がします。落椿の一、二輪は風情のあるものですが、大抵は風情もなく大量に落ちていて踏むと ヌルヌルとした感覚がします。
 私などは落椿というと苔庭の緑に赤い一輪を思ってしまいますが、よくよく見ればこの句のような側面も持っています。

◇つちふるや父の伝へし餃子食ふ(埼玉県・酒井忠正:金子兜太選)
 「つちふる」は「土降る」で黄砂で春の季語だそうです。関西地方でも先日は酷い黄砂でした。
 黄砂の元は中国大陸、大陸で暮らした父が帰国後、餃子なる食べ物を子どもたちに伝えた父の味なのでしょう。
 先の戦争と重ねるのは考えすぎでしょうか?
 兜太さんは「『
つちふる』と餃子の質感に通うものあり」と評されています。

◇億年の果てのひとりの蜆汁(糸満市・吉田八太:長谷川櫂選)
 いい句です。長い長い命の繋がりの先にいる「私」が、これまた長い長い命の繋がりにいる蜆を食べている。「億年の果て」、こういう言い方があったので す。
 選者は「『億年の果てのひとり』とは、ほかならぬ自分のこと。いましずかに蜆汁をすすっている。はるかな時の末裔(まつえい)のひとりにぴたりと焦点が あった」と評されています。

◆朝日歌壇
◇光ふるふるふる春のはなはこべははを呼ぶ子と子を呼ぶは と(福島市・美原凍子:高野公彦選)
 は行が全部かなで書かれています。
 五七五七七と正調に読めば<光降る 降る降る春の 花ハ コベ 母を呼ぶ子と 子を呼ぶ母と>となりますが、<光降る降る 降る春の花 ハコベ 母を呼ぶこと 子を呼ぶ母と>と ちょっと破調に読んでしまいました。

◇二十四年費やして得た教職に心を病みて薬飲む日々(大阪市・浅生有記:高野公彦選)
 先生と呼ばれる人にも心を病む人が多いようです。やっと教職に就いたと思うまもなく心病んでしまった無念さ、歯がゆさでしょうか?
 「二十四年費やし」とは生まれてからずっと教職を目指して来られたと読めて違和感を感じました。

◇戦死したる父に空似の自画像と向かいてゐたり無言館にて(相模原市・松並善光:高野公彦選)
 信州の無言館に行きたいと思いながら未だに行けずにいます。戦争に狩り出された画学生の遺作が集められた無言館には自画像が多いのでしょうか?

◇かえりたいと言わなくなりし母の辺にサザエさん三冊置いて帰りぬ(箕面市・吉野紀子:永田和宏選)
 施設に預けられた母、当初は「帰りたい。帰りたい」と訴えたのでしょうが、諦めか病が進んだのか帰りたいと言わなくなったことの切なさ、歌壇でも度々詠 われていますが、何度読んでも辛い歌です。

◇それぞれに人形ゆえに人形はみな寂しげな表情をもつ(大和市・水口伸生:永田和宏選)
 人形は人形ゆえにみな寂しげな表情をしている。そうですね。
 子どものおもちゃの人形でさえ、寂しそうな表情を見せています。

◇来る度に工事エリアがまた増えて東京駅に今日も迷いぬ(浜松市・桜井雅子:馬場あき子選)
 たまに上京する東京駅の工事は酷いものですが、大阪駅も同様に北には新ビル、南は増築、東隣の阪急百貨店は改築と、2週間行かないと通路が変わっていま す。
 「鉄道」会社のJRの商売熱心さにはちょっと不安も感じます。

◇六ケ月手塩にかけし我が豚も売価は費用に遠く及ばず(香取市・太田正彦:佐佐木幸綱選)
 食の安全、自給率の向上など、私たちが食べるものに関心が高くなっているようですが、外食産業の市場規模は30兆円を超えています。大手外食企業のほと んどは国内産に比べて安い外国産の食材を使っているのではないでしょうか?
 原価より安く売らなければならないとは、すでにその商売が成立しないということ、農業や畜産業を日本からなくしてよいのでしょうか?日本の食はどうなる のでしょう?

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