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10/07/29 向田邦子「父の詫び状」

 久しぶりの雨、し かしこのベトベトとした空気はたまりません。優れぬ気分が益々優れません。
 ここまでエアコンも使わずにきましたが湿気には負けそうです。

◆政治家は誠実であるべき
 辻元衆議院議員は社民党離党の記者会見で、昨年の総選挙での自分の当選について「地元をはじめ有権者は社民党の主張だけで私を選んだのではないと理解し ている。」と発言しています。(「辻元氏離党会見詳報」産経新聞 10/07/27)

 社民党の支持者を馬鹿にした発言だと思います。民主党、国民新党のおかげで当選したのだといいたいのでしょうが、それなら何故、無所属で出馬しなかった のでしょう?
 また、小政党が小選挙区で当選できないと語っていたようですが、それなら何故、選挙制度を正すことを発言し行動しないのでしょうか?

 この変節国会議員の話題はこれくらいにしましょう。こんな輩がメディアに露出しまたぞろ選挙で当選でもされてはたまりません。

◆死刑執行
 菅内閣には首相を初めとして普天間問題の戦犯といわれる閣僚が何人も居座ったままです。そんな内閣にあって死刑廃止論者の千葉法相がまだましかと思って いましたが、とうとう死刑を執行しました。
 ※死刑制度が存在し、刑の執行は法務大臣が命じるとされた法務大臣に死刑廃止論者が就くことの矛盾はありますが。

 先の参議院議員選挙で落選し民間人大臣となった千葉氏は法務官僚の圧力に屈したのでしょうか?何らかの踏み絵だったのでしょうか?刑場まで出かけて死刑 執行を見守ったというのもパ フォーマンスのように思われてなりません。
 この政治家も「変節」してしまいました。

 二つの命と自らの良心を引き換えにしても守らなければならないものとはなんだったんでしょう。

◆思いやり予算増額を要求
 
グレグソン・アメリカ国防次官補が)は下院軍事委員会の公聴会で普天間基地の移設は、11月のオバマ訪日までに政治決着 できると先延ばしを図っている日本政府を牽制した。
 また、下院軍事委員会に提出した文書で、在日アメリカ軍基地の日本側負担(思いやり予算)や軍事費を増額すべきだと主張している。
普天間、大統領訪日までの決着可能=思いやり予算増額を−米国防次官補」(時事通信 10/07/28)

 アメリカはいつまで宗旨国面をしているのでしょう?
 敗戦後の日本政府がポチのように尻尾を振り従順に従ってきたから、1952(昭和27)年のサンフランシスコ条約発効後も占領を続けているのです。

 民主党政権にこの悪しきしがらみを断ち切ることができるのでしょうか?


  向田邦子さんの無名仮名人名簿紹介したとき(残日録 10/07/09)に、次には長編 の「父 の詫び状」などを読んでみたいと書きましたが、「父の詫び状」は長編小説ではありませんでした。
 「銀座百点」という銀座の商店 で作られた銀座百点会が発行する雑誌に1976(昭和51)年2月号より1978(昭和53)年6月号に掲載されたエッセイが「父の詫び状」として発刊さ れたものでした。


◆父の詫び状
 保険会社に勤める向田さんの父は全国の町に転勤していた。ある時期には、向田さんの父母は仙台に赴任、向田さんと弟は東京の祖母の家から学校に通い、夏 冬の休みには仙台で過ごされていた。そんなときの話です。

 保険会社の支店長だった父の元には会社の部下が度々出入りしていて、来客があると母は酒の用意をし、向田さんは玄関の雪で濡れた客の靴に新聞紙を丸めて 詰めて乾かすのが役目だったそうです。

 ある雪の朝、昨夜の客が玄関に粗相をしていた。母を押しのけ玄関戸の敷居に詰まった吐瀉物を爪楊枝で掘り出していたとき、そんな母と娘の姿を
寝 巻き姿の父が労いの言葉を掛けるでもなく黙って見ていた。 東京に帰る日、父は仙台駅まで送ってきたが小遣いをくれるでもなく「じゃあ」と言ったきりであった。

 東京に帰ったら父からの手紙が来ていた。巻紙に毛筆の手紙には、しっかり勉強をするようにと書いた後に「此の度は格別の御働き」と書き朱で傍線が引かれ た一行があったそうです。

◆卵とわたし
 最終章に卵にまつわる思い出話がいくつか書かれています。


 卵の価格は変わらないものですね。価格が変わらないということは相対的に 昔は高くて貴重なものでした。


 上のグラフは1950(昭和25)年から2008(平成20)年まで60 年弱の期間の卵の価格(M サイズの卵1kg当りの年平均値)を表したものです。
 敗戦直後より安くなっている貴重な食べ物です。「た まご博物館」というWebサイトのデータを基に作図しました。

 私は3人兄姉で1個の卵を分け合って食べる卵ご飯はたまのご馳走、向田さ んも一つの卵を兄弟で分 け合ったそうです。姉である向田さん茶碗には先に卵が注がれるのですが、十分に攪拌されていない白味がズルッと流れ込んで損な気分になったと書かれていま す。

 勤めていた会社が潰れそうになり毎朝出勤すると近くの喫茶店で対策を協議しておられたときのこと、モーニングサービスの卵が小さいのを僻んで「やっぱり 小さいとこ(会社)の人間には、小さい卵を出すんだなあ」と話していたのが女主人に聞こえ、女主人はモーニングサービスに出す卵は予算の都合で、大・中・ 小・極小の小を使ってい るのだと卵のケースを持ち出して説明したそうです。

 しばらくの間、名古屋で働いたことがあります。名古屋は喫茶店のモーニングサービスが豊富なことで有名ですが、職場の近くの大手喫茶店チェーンの店では いつもかなり小さな茹で卵であったような記憶があります。

 今ではスーパーの卵にはLL、L、M、Sぐらいの種類があるようです。因みに1個当りの重さはL:70g、M:60g、S:50g程度だそうです。

 さて、その喫茶店の茹で卵は冷たくて剥きにくく、古い卵ではと書いておられますが、卵は古いほうが剥きやすいと聞いたことがあります。真偽は不明です が。
 山小屋では夏のシーズンが終わって小屋を閉じるとき残った卵はダンボールに入れて小屋に残しておき、翌シーズンに従業員用に使うと聞きました。安い上に 長持ちするすばらしい食べ物です。

 まとまらない本の紹介となりました。

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