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10/08/17 朝日俳壇、歌壇より

 朝の風に秋の気配 を感じるようになって来ましたが、昼はまだまだ35℃を超える暑さです。

 ビル・トッテンさんは自身のブログ(Our World)で、アメリカの保守派の政治評論家・
パット・ブキャナン 氏の新著「Churchill, Hitler, and "The Unnecessary War"(チャーチルとヒトラー、そしてしなくてよかった戦争)」を紹介しながら、政治家には「正直さ」が欠けていると言っています。

 ブキャナン氏は第2次世界大戦は不要な戦争だったと書いているそうです。
 トッテンさんは「われわれは20世紀に起きたこの悲惨な戦争から、果たして何を学んだのだろうか。
広島、長崎、沖縄を はじめ無数の日本人が犠牲になり、戦場となったヨーロッパでは文明がいかに残酷になれるかの見本のような虐殺が行われた。そのような犠牲を正当化できるど んな理由があるというのか」(引用)と。

 8月15日の敗戦の日に自民党からは元首相や谷垣総裁ら 多くの国会議員が、民主党からも10数人他にはみんなの党、たちあがれ日本、国民新党の国会議員が靖国神社に参拝しています。
 靖国参拝の政治家には先の戦争に対する反省があるようには思えません。

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核兵器を落とした国の基地を受け入れ、特に沖縄ではいまだに広大な土地が占領され、思いやり予算という名目で日本国民の税金を貢ぎ続ける日本。アメリカが 日本を守るという約束などしていないという事実を認める正直な政治家は、日本にはいないのだろうか。それとも首相交代のたびに、われわれの期待は失望に変 わるのだろうか。
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政治家に欠けた『正直さ』」(OurWorld 10/08/13)

 日本にアメリカの基地は要らない、思いやり予算などもってのほかと堂々といえる政治家が何人いるのでしょうか。
 アメリカ軍が日本の安全のための抑止力だとか、日本を守るためにアメリカは犠牲を払って日本に駐留しているのだとか心の底から思っている政治家などいな いはずです。それなのに駐留アメリカ軍は「抑止力」で必要だと国民を騙しています。
 正直になることがそんなに辛いことなのでしょうか?生きて行くためには心まで売る人しか政治家にはなれないのでしょうか?


  16日付けの朝日新聞の俳壇、歌壇より気になった句や歌を紹介します。

◆朝日俳壇
◇この道を行かねばならぬ日傘かな(東京都・松村登美子:稲畑汀子選)
 女の人の一途な決意と読みました。それは人生なのか、野暮用なのか「行かねばならぬ」道がある。
 キリっとした句です。こういう句が詠みたいものです。

◇西馬音内(にしもない)深夜に顔のなき踊(仙台市・上郡長彦:金子兜太選)
 西馬音内とは北海道の地名かと思いましたが、秋田 県雄勝郡羽後町にある地名だそうです。西馬音内で行われる盆踊りは郡上踊り、阿波踊りと合わせて三大盆踊りと呼ばれていて、目だけを出した黒い頭巾を被っ た不気味な踊り手が入って踊るそうです。YouTubeに映像がありました。http://www.youtube.com/watch?v=wVmyOysFDKg
 一度、見てみたい気もしますが、阿波踊りも郡上踊りもま だ見たことがありません。

◇捨てる妻拾う夫や秋近し(立川市・松尾軍治:金子兜太 選)
 単純に、不要なものはどんどん捨てていく妻と、未だ使えるもったいないと拾う夫の図なのでしょうか?
 選者は「相手はゴミと受け取る」と評されていますが。

炎帝の炎の中に町滾る(箕面市・楢崎真左子:長谷川櫂選)
 「滾る」は「たぎる」と読むそうです。難 しい漢字あるものです。読みも書きもできません。漢字検定の問題になりそうです。
 体温より気温が高いとはまさに燃えそうです。

◆朝日歌壇
◇トンネルの通じて喪うもののありバスに越しゆく夕日の峠(群馬県・眞庭義夫:永田和宏選)
 山の頂上よりも峠が好きです。
 滋賀県東部に育った私は子どものころ家から見える鈴鹿山脈の向こうには海があるらしい、あの山の向こうに行って海を見てみたいと思っていました。伊勢と 近江、摂津と大和、越前と美濃、美濃と信濃などなど国境の峠を歩いたり自転車に乗ったりして越えてきました。
 きつい坂を上っているとトンネルへエスケープしたくなりますが、峠を越えて見る景色とトンネルを抜けて見る景色ではずいぶんと違いがあります。歌のよう に便利さと引き換えに喪ったものは多いとは実感です。

◇ベランダの菜園に水をやる朝気の向くままに胡瓜曲がれる(東京都・長谷川瞳:馬場あき子選)
 わが家のベランダにもきゅうりが1本植えてあります。やっとできた実はやはり曲がっています。
 「・・・水をやる朝、気の向くままに胡瓜曲がれる」と読むのか、「・・・水をやる、朝、気の向くままに胡瓜曲がれる」と読むのか迷いましたが、当然前者 でしょうね。
 気の向くままに生きているのは胡瓜の方のようです。

◇蕺草(どくだんべ)・蛇苺(へんびのまくら)・烏野豌豆(シービービー)・水澄まし(まいまいぎっちょ)里から消えゆく(岐阜県・棚橋久子:佐佐木幸綱 /高野公彦選)
 私も子どものころ、烏野豌豆をシービービーと呼んでいました。成熟した莢を割り種を出して鞘の片方を少し切って口に咥えて吹くとビービービーとアヒルの 鳴き声のような音をだして遊んだ記憶があります。今でもふるさとの子どもたちはシービービーと遊んでいるのでしょうか?遊びも言葉も消えてゆくことは寂し いですね。

 「どくだんべ、へんびのまくら、シービービー、まいまいぎっちょ、里から消えゆく」
 リズムのよい歌でした。

◇軽いフォントわざと明るい行間に読み取れなかった君の苦しみ(北海道・坂本しづよ:佐佐木幸綱選)
 軽いフォントとはどんなフォントなのでしょう?丸文字 フォントでしょうか?
 明るく明るく演じていたメールに深い苦しみが込められてあったのでしょうか?
 「君の苦しみ」とありましたが、「君の悲しみ」とするとずいぶん変わりますね。今の私には「悲しみ」の方がより共感できます。

◇沖縄の分母日本のその分母アメリカなるや基地還らず(岸和田市・西田防人:高野公彦選)
 一読では意味がつかめませんでした。
 「沖縄の分母が日本で、日本の分母がアメリカだから基地は帰ってこない」という意味でしょうか。
 「分母」がよく理解できませんでした。選者は「基地に関する主導権を考えればこのとおりだろう」と書かれていました。

◆戦争に協力した歌人のこと
 俳壇、歌壇と同じ紙面に「うたをよむ」という囲み記事があり16日付けでは「斎藤史の真意はどこに」と題した
中 西亮太(日本近代文学研究者)さんの文章が載っていました。

 斎藤史(さいとう・ふみ)[1909−2002]という女性の歌人の歌が文中で紹介されていました。

@言い得ざりし歌ひえざりし言葉いま高く叫ばむ撃ちてしやまむ
A
言い得ざりし歌ひえざりし言葉いま高く叫ばむC明(さやけ)く呼ばむ

 @は結句で
「撃ちてしやまむ」(敵を皆殺しにしよう)と激しい扇動の言葉が使われており、明 らかに戦意高揚、戦争に協力する歌、Aはその結句が「C 明く呼ばむ」として平板なまったく別の歌になった感じがします。

 @は
1943年に出された歌集「朱天」に載ったもの、Aは「朱天」を戦後の1977年に改訂したときのものだそうです。
 「戦争に協力した過去を隠すための改作、と批評家は見る。そして、そのような改作は『見苦しい』、と断じる」(引用)ことに中西亮太さんは異を唱えられ ています。
 77年の改訂版には多くの戦意高揚歌も残っており、斎藤さんに過去を隠すという意識はなかったのではないかと言われています。

 もし戦争に協力するようなことがあって過ちに気がついたなら、まずは過ちを認めることでしょう。文学作品は改作しないでその後の活動で具体的に表すべき ではないかと思いま す。
 口を拭って時流に合わせて生きていくのが一番卑怯だと思います。
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