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10/11/10 朝日俳壇、歌壇より

  先日、趙博(パギやん)の公演を見てきました。

 「声体文藝館」と称する映画で発表された作品を浪曲のように独り語り歌うパギやん独特の芸です。演目は宮本輝さん原作で小栗康平監督のデビュー作品「泥 の河」でした。

 公演場所は在日韓国人が多く住む大阪猪飼野の韓国キリスト教会館で近所の在日らしいおばちゃんが自転車で駆けつけるようなアットホームな公演でした。近 くの中学生も十数人が課外活動で来ていました。

 本人はブログで「出だしからどうも乗り切れず、不完全燃焼のまま最後まで−−本人は大いに反省しております」と書か れていますが初めて見る舞台はそんなことを感じさせない熱演でした。

 小学6年生の女児が自殺したというニュースは最近最も悲しい、腹立たしいことのひとつです。
 苛めがあったことをやっと認めた学校は未だに苛めと彼女の自殺の因果関係を認めようとしていません。
 のらりくらりと自分の責任を認めない企業の経営者のような校長や教育委員会、効率ばかり重視する教育政策は弱いものは死ねとばかりです。

  8日付け朝日新聞の俳壇、歌壇より気になった句や歌を紹介します。

◆朝日俳壇
◇帰郷して聞く消息の身に入みぬ(大阪市・真城藺郷:稲畑汀子選)
 月に一度は実家の母の顔を見に行くようにしていますが、母の語る町内の消息は、同級生のAさんは寝たり起きたりの独居生活、隣組の90歳になるBさんも 独居など寂しい話ばかりです。
 老いてくると身に沁みる話です。

◇鰯雲はぐれたみたいに佇つ私(福井県池田町・下向良子:金子兜太選)
 金子兜太さんの選は難しい句が多い。この句も、はぐれたような鰯雲の一片に自分を重ねて「佇つ私」とされたのでしょうか?

◇子の家を終の栖に行く秋ぞ(大村市・小谷一夫:金子兜太選)
 先日、同じような年頃の人と「老いて病んでも子どもの家に厄介になって気苦労をするのは御免だね」と話をしましたが、この句のように子どもの家を終の棲 家としなければならない時が来るのでしょうか。老人の気ままが許されることは難しいのでしょうか。

◇ながながと愚痴るへ梨をすすめけり(前橋市・中島喜乃江:長谷川櫂選)
 子どものころ、長居の常習の親戚のおじさんの撃退法は、頻繁に茶を出すとか、箒を逆さまに立てるとかしていました。話題を変えるためにもお茶請けの一品 は大事なようです。

◇柿売の地蔵に場所代供へけり(高槻市・久松久子:大串章選)
 庭に柿の木が何本かあり秋のおやつは毎日柿だったものには、
柿を売る人がいて柿を買う人がいるのが長く理解できませんで した。近郊の山間をサイクリングで訪れるとこの句のような風景に出会います。
 おばあちゃんが柿やらっきょう、糠漬け、梅干などを並べて売っています。これから紅葉のシーズンです、門前におばあちゃんたちが活躍されることでしょ う。


◆朝日歌壇
◇この坂をのぼりきれたらこの恋はかなうと信じペダル踏みゆく(大阪市・則頭美紗子:永田和宏選)
 可愛い乙女心でしょうか。
 サイクリングを始めたころは少しの坂もフウフウ言って登っていましたが、何度か登るうちに息も上がらず登れるものです。
 きっと坂も登りきれるでしょう、そして恋も叶うでしょう。

◇駅前のポストは知ってる私の報われなかった履歴書の数(東京都・平井節子:馬場あき子選)
 私の歳では履歴書を送ることもかなわないことが多かった。職安のパソコンだけが悔しさや屈辱を知っているように思います。
 早く職が見つかることを祈っています。

◇定時制高校卒の経歴が食い込んでくるもう歩けない(姫路市・波来谷史代:佐佐木幸綱選)
 1942年生れの姉は、貧しい家庭であったために高校への進学ができませんでした。その姉も3人の子どもの成人を待って定時制高校に学びました。電車を 乗り継いで1時間以上の通学、50歳に近くなってからの勉学は苦労があっただろうと思うばかりです。
 この歌はなにが「もう歩けな」くしているのでしょう。

◇母ガ逝ッタ 私ノ中ノ火ガ消エタ 気ガツカナカッタ 赤イ火ニ(埼玉県・今泉由利子:高橋公彦選)
 カタカナの持つ鋭角な雰囲気が作者の自責を現しています。
 この歌には選者の評とともに別欄にも記事がありました。まずは選者の評は「自分の中で母がどれほど大切な存在だったか、亡くなってから気づく。片かな表 記と字足らずが衝撃の深さを物語る」とあります。

 別の記事は次のように書いています。少し長いが引用します。
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 カタカナ短歌、傷伝える訥弁
 今日の高野公彦選歌欄。目に刺さるとがった文字が並ぶ今泉由利子さん(61)の歌が、10首詠の筆頭に。本欄では珍しいカタカナ短歌の入選だ。
 漢詩と見紛(みまが)う漢字の多用で複雑な意味を伝え、あるいはひらかなばかりで調べをなめらかにした秀歌の例はある。が、本作におけるように、外来語 を交える場合とは違うカタカナの使い方は「めったにない」と高野さん。
 「訥弁(とつべん)に似た印象の語感に、逆に作者の深い心の傷を感じた」とも。詞書はない。果たして。「カタカナでしか表現できなかった」と今泉さんは いう。
 10月に、同居の母が急逝した。「朝、寝室をのぞいたら・・・・・、死んでいた」。享年94。「でも気丈で介護とは無縁、天寿だったとは思えないんで す」
 「不調に気付かなかった私の落ち度」。後悔と自責。ささくれ立った内面をカタカナは確かに選者に届けたのである。
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◇朝の来てひらきて夜のきて閉じる花のようなるまぶた二枚(福島市・美原凍子:高野公彦選)
 久しぶりに読む美原さんの歌です。この人の歌はいつもよいリズムに感心しています。

 あさのきて
 ひらきてよるの
 きてとじる
 はなのようなる
 まぶたにまい

◇こめふさくくりはまあまあポチしんだ電報みたい母の手紙は(札幌市・伊藤元彦:高野公彦選)
 私の母からの手紙もご同様です。
 「佛さんにまいりにきて下さいまつています 私は元気です あしはいたいか元気にしていますから安心して下さいませ」とアナログな便りがきます。
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