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10/12/08 朝日俳壇、歌壇より

 今日は太平洋戦争 の開戦日、いまや日本はアメリカの51番目の州となりつつあります。
 軍人や団体での行進、戦闘機、戦車など見るのも嫌なことです。異国の軍隊が60数年も居座っていることに大いなる違和感を感じます。
 一日も早く日米安保条約を破棄し、軍隊にお引取り願いたいものです。


 ウィキリークス(WikiLeaks) の創始者の男性が微罪で国際手配の末に逮捕されました。権力に逆らうとこうなるという見せしめのような腑に落ちないことです。
 私たちも同じように逮捕される可能性はあります。政治的主張が書かれたビラの配布しただけで逮捕され長時間拘留された例があります。混んだ電車に乗れば 何時痴漢と叫ばれ逮捕されるかわかりません。
 もし、逮捕されたら・・・
 「冤罪に巻き込まれたら、『弁護士が来るまでは調書に一切サインしません』と通してください」と弁護士の川口創さんがツイーター でつぶやいていました。

 12月6日付けの 朝日新聞の俳壇、歌壇より気になった句や歌を紹介します。

◆朝日俳壇
◇山にまた雪来て年を重ねけり(長野市・縣展子:稲畑汀子選)
 わかりやすく感情移入しやすい俳句です。山が雪を被った、あゝまた一年が過ぎた、という思いでしょうか?自然現象を見たり聞いたり感じたりして時間の経 過を 感じます。
 最近、無為に過ごした年月を悔いることが多くなりました。

◇花八手二男の家は庭続き(尼崎市・ほりもとちか:稲畑汀子選)
 八手の花が咲く庭は二男の家と繋がっている、ということが何だろう?と思いました。私には発想できませんが。

◇突つ風吹いて背中を掻く夕べ(秩父市・浅賀信太郎:金子兜太選)
 分からなくても気になる句があります。この句がそうです。「突風が吹」くことと「背中を掻く」こと、そして「夕べ」結びつきようのないもの三つがわずか 17音しかないところに共存している。そして私のような門外漢の心に残るとはいったいなんなんでしょう。
 この句について、選者は「『突つ風』が決め手」と一言で評されています。

◇十二月八日延長線未だ(和歌山県有田川町・上門善和:長谷川櫂選)
 最初、「延長戦」と読んでしまい、日米は未だ戦いの中にあるという意味かと思いましたが、「延長線」と気がついて意味がわからなくなりました。「十二月 八日は太平洋戦争開戦の日、その延長線が今も続いている。見えないが、確かにある延長線」という選評を読んでますますわからなくなりました。

◇結局は故郷の名の林檎買う(東京都・中村康孝:大串章選)
 身贔屓であっても故郷の産品を買って密かに満足されている景でしょうか?
 その故郷の名前のついたリンゴは「つがる」でしょうか?「陸奥」でしょうか?昔は印度リンゴというものもあったような。

◇花時計針をはづして冬に入る(札幌市・岩本京子:大串章選)
 北国では積雪前に花時計の針を外すことが当然なのに今はじめて気がつきました。
 関西ではこの季節、花時計の彩りは白や赤の葉牡丹が主流のような気がします。

◇焼栗を屋台に買ひてパリを恋ふ(志摩市・田島もり:大串章選)
 パリの屋台の焼栗と聞いて、資生堂パーラーにイタリアの屋台の焼栗というものがあって、行ったこともないイタリアの街角の引き車の屋台から栗の焼けた匂 いを勝手にイメージしたことを思い出しました。
 ネットで調べてみるとイタリアのFIOCCO DI BOSCOというメーカの焼栗を資生堂パーラーで扱っていたようです。

◆朝日歌壇
◇夜勤明けの靄の県道帰るとき電信柱の数だけ淋しい(静岡市・堀田孝:永田和宏/高野公彦選)
 
歌壇でも難しい歌に出会います。車かオートバイでの帰宅でしょうか?前から後ろへと流れ る風景の中、「電信柱の数だけ淋しい」とはどういうことでしょう?わかるような、わからないような、難しい。
 その点、私の夜勤明けはわかりやすい、一日の禁酒を終えて昼前から飲める場末の居酒屋で三十分ほど過ごすことが楽しみという至って他愛無いことです。

◇チューハイでご苦労様と乾杯をした退職の夜は失業の夜(東京都・平井節子:馬場あき子選)
 こんなシチュエーションでの飲み物は、チューハイか、ホッピーに限ります。
 送別会を終えれば悠々自適の生活が出来た時代もあったけれど、今は死ぬまで働かなければ生活できない。みんなに送ってもらった翌日から仕事探しをせねば ならない人がほとんどでしょう。
 こんなに仕事がないと、労働条件が悪くても賃金が安くても労働者を雇うことができる買い手市場になっています。自衛隊に入る若者も多いのではないでしょ うか。

◇柿の実がなくなり鳥が来なくなり柿の木ひとりたそがれており(城陽市・山仲勉:馬場あき子選)
 柿の木がひとりでたそがれている風景、誰にも省みられることもなくなった老境、柿の木なら春には芽を出し、花を咲かせることもできるのに、老いた人間に はもう春はない。

◇音声のら抜き言葉がテロップに修正されて日本語となる(ひたちなか市・篠原克彦:佐佐木幸綱選)
 間抜けた風景ですね。ら抜き言葉を平然と話しているのは街頭インタビューに答える若者でしょうか、事件にコメントする「識者」でしょうか?
 ら抜き言葉がテレビでも横行しています。あまりにも常態化しているので「ら付」の言葉の方が間違いかなと思うほどです。

◆増田明美さんと俳句
 俳壇、歌壇のページにある「うたをよむ」というコラム欄に元マラソンランナーの増田明美
(今の肩書きはスポーツジャーナ リストと言うそうな)さんの「コースターの一句に誘われ」と題する文章が載っていました。

 現役時代に活躍したスポーツ選手が引退をすると馬鹿丸出しの芸人もどきになるか、利口ぶって評論家もどきになるなど碌なものではありませんが、増田明美 さんの現役引退後の生活は女子マラソンの解説などから知る限りとても好ましく思っていました。

 さて、記事によると、増田さんが黛まどかさんと初めて食事をされた時、黛まどかさんが白いコースターに<ゴールして白詰草に倒れ込む>と認められた。 「その瞬間私は俳句に興味を持った」そうです。それから黛まどか門下?で百夜句会に参加されて俳句を詠んでおられるとのこと。

◇郭公の声響く朝はやる足
 野口みずきさんを取材に行った時のものだそうですが、句会では点が入らなかったそうです。

◇菜の花の群れから離れひとり咲く
 こちらは句会で評判の句だったそうです。私も好きですね。

 増田さんは、句会では坂東三津五郎さんの句を良く選ばれるそうです。「体に強い稲妻が走るようだった」といわれる三津五郎さんの句。

◇水仙や小さき白と生きること
 いい句ですね。こんな風に対象をキチンと捉えて詠みたいものです。酒に酔って喧嘩をするような下司な役者とは大違いです。

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 選手の頃は、試合という舞台があったから一生懸命練習した。いまは句会という発表会があるから俳句作りに精が出る。自分の句が選ばれた時はうれしくて 2、3日は気分がいい。選ばれなくても人の句に感動の扉が大きく開く。何だか最近は俳句のために走っているみたい。
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 と締めておられます。増田明美さんの句をもっと読みたくなりました。

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