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11/03/30 朝日俳壇、歌壇より
 哀しくて腹立たし くてなりません。
 私は金持ちよりも貧しい人の言葉を、権力を持つ人よりも権力に押さえつけられている人の言葉を、マスメディアからの情報よりも個々の人たちからの 情報を信じています。

 福島第一原発事故の当事者である東京電力は相変わらず情報隠しをしているように見えます。経済産業省の原子力安全・保安院はその東電の発表を追認してい るように見えます。

 一方では、死者行方不明者の数は3万人に近くなっています。一瞬にして3万の人生を奪ったものを天変地異と言葉で片付けてよいのかと思います。

 テレビでは国民に、電気のスイッチをこまめに切れ、不要な買い物をするな、メールを控えろなどと窮乏生活を押し付けるような公共広告機構(AC)のCM が流れています。そんなことをテレビに言われることはない。節電を呼びかけるなら「もうこんな下らぬテレビのスイッチを切ってください」と自己否定を呼び かけるべきでしょう。

 哀しくて腹立たしくて、書きたいことはいっぱいあるのにうまく書けません。

  28日付け朝日新聞の歌壇には震災を詠んだ歌がたくさん選ばれていました。選者別には、

 佐佐木幸綱選:9首
 高野公彦選:4首
 永田和宏選:5首
 馬場あき子選:4首

 と、入選40首中22首が震災を詠んだ歌でした。
 対する俳壇には震災詠はゼロでした。以前より時事詠は俳句には向かないのかと思っていました。
 ところが、俳壇、歌壇とは別ページに、俳壇とは別に募集された俳句が「被災地へ希望を詠む」と見出しで掲載されていました。
 朝日俳壇の4人の選者がそれぞれ3句を選んでおられます。その中から数句を紹介します。

◇ものの芽の天地裂くとも萌え出でよ(埼玉県蓮田市・斎藤哲也:稲畑汀子選)
 地が裂けても植物の芽は時期を知って芽吹きます。しかし、放射能に汚染されればどうなるのでしょう?

◇生きていて生きてるだけで燕来る(東京都江戸川区・飯田操:金子兜太選)
 こういう風に直接的な言葉を使わなくても表現することができるのですね。

◇春の海津波の牙に変わりけり(東京都目黒区・横田貞子:長谷川櫂選)
 のたりとした春の海が突然牙を剥いて襲い掛かってきました。阿呆な人間の営みへの大きな警鐘ではないでしょうか?
 津波の押し寄せる映像は見たくありません。小さな子どもにも見せないほうがよいのではないかと思います。

◇避難所の春の暖炉の明りかな(神戸市垂水区・浜崎素粒子:大串章選)
 避難所の暖炉に火が点いたのは何日目のことだったでしょう?

 後に紹介する歌壇の震災詠とは趣が異なります。

◆朝日俳壇
◇三月十日花嫁衣裳燃えにけり(広島市・下江悦子:長谷川櫂選)
 東京大空襲の夜、結婚を間近に控えていた家庭があった。10万人も
一夜にして焼き殺されたのですから当たり前のことです が、一人二人だとその人も人生に思いをやることが、万の命には万の人生があったことを思いやるのは難しいことです。

 3月10日の大空襲忌に続いて3月11日が大震災忌と、 一度に多くの命を奪った忌日が続きます。

◇北山を隠す霞の日は呆け(京都市・岸田健:稲畑汀子選)
 選者は「霞の奥の北山の位置と太陽の姿」と評されていますが、わたしは霞が北山を隠すような日には人間も呆けてしまうものと読みました。

◇所在なく路上の手袋濡れしまま(京都市・水田貴士:金子兜太選)
 落し物の手袋ほど「所在無げ」なものはありません。

◇アネモネやもはや退屈人気歌手(東京都・矢野美与子:金子兜太選)
 選者の兜太先生は「『アネモネ』がじつに働く」と評されていますが「アネモネ」の意がよくわかりませんでした。
 「もはや退屈」したのはどんな人気歌手なのでしょう?

◆朝日俳壇
◇大地震津波の前に詠みし歌春は近くて能天気なり(東京都・夏目たかし:佐佐木幸綱選)
 そのとおりです。
 大地震前の頭の中には能天気なことばかり考えていましたが、3・11で一変しました。

◇怖れゐし原発事故の起こりたりあれほど安全と言いゐたるに(敦賀市・上田義朗:佐佐木幸綱選)
 「原発は安全」は今となっては虚しい言葉です。これだけの大事故を前に未だ「原発は必要」という人たちがいます。その人たちは原発の近くに住む覚悟があ るのでしょうか?イシハラさん。
 「原発はCO2を出さないクリーンな発電」とも言っていますが、福島第一原発の事故の復旧作業でどれほどのCO2が排出されたことでしょう。
 それ以上に大変なのは放射能漏れです。

◇二日目につながりて聞く母の声闇の一夜をしきりに語る(島田市・小田部雄次:佐佐木幸綱選)
 「哀しみは人に語れば半減する、喜びは人に語れば倍加する」と言われますが、恐怖の一夜を語ることでしか自身を落ち着かせることができないのでしょう。 語る相手を失った人は誰に語ればよいのでしょう。

◇ぐらぐらと畑がゆれる施肥をするわれは咄嗟に四つん這いになる(長野県・小林正人:佐佐木幸綱選)
 畑で地震に遭われた人は掴まるものもなく四つん這いになるしかない、ああそうかと妙に納得しました。

◇襲いくる津波の中に町一つ悲鳴聞こえず呑まれてゆけり(鳥取市・山本憲二郎:高野公彦選)
 悲鳴を挙げる間もなく、挙げた悲鳴も津波の音に消されいくつの町がいくつもの命が呑み込まれたことでしょう。

◇3・11「千年に一度」の地異の来てもうそれ以前には戻れはしない(松戸市・猪野富子:高野公彦選)
 千年に一度の天災、想定外の規模などという責任逃れは許されません。
 人の命が一番との立場に立てば沿岸部の地震、津波対策にも打っておくべき手があったのではないでしょうか?

◇ケータイはつながらないのに充電の残量気になる余震の夜に(山形市・渋間悦子:高野公彦選)
 そういうもの、繋がらないから余計に充電の残量が気になるものです。固定電話、携帯電話、公衆電話の順で繋がり難くなるそうです。自宅や職場の近くの公 衆電話の位置を確認しておくことも大事です。

◇被災地を視ては夫婦で涙ぐむ温き部屋にて熱きもの食べて(飯田市・草田礼子:馬場あき子選)
 私たち庶民は
悲惨なニュース映像をぬくぬくとした生活をしながら見ることに一種の罪悪感 のようなものを感じています。
 しかし、原発事故の当事者は体調不良を口実に庶民以上にぬくぬくとした生活をしていることでしょう。

◇甥のケータイに通じしよろこびを語る嫁はるか郡山は異国 のごとし(丸亀市・香西一江:馬場あき子選)
 遠い地で見る被災地の様子は歌のように異国のことのように見えるものです。哀しみや憤りを共有せねばなりません。

◇かなしみのなきひとはあらず弥生来て雪はみぞれにみぞれは雨に(福島市・美原凍子:馬場あき子選)
 いつも注目している福島在住の美原さんもご無事だったようです。いつもリズムのよい歌です。
 日本中に哀しみのない人はいないと思っていたら、「震災は天の恵み」など
いう大阪府議会議長のような「人非人」がいるこ とも事実です。
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