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11/04/18 映画「再会の食卓」
 馬鹿は風邪を引か ぬという格言?に逆らって何年振りかで風邪を引いてしまいました。風邪を引いている身で電車に乗って職場に行くのも憚られるものですが、ポカ休などできる 身分 でもなく他人の迷惑顧みず皆さんに迷惑をかけたお陰か小康を得ました。
 咳は残るものの昨日(17日)は篠山界隈にお花見ポタリングをしてきました。様子は別の機会に。

 さて、最近の世の中の風潮を息苦しく感じるのは私だけでしょうか?私が変わっているのでしょうか?

 未だに街頭、テレビ、ラジオ、ネットで「被災者のために義援金を」と呼びかけています。募金というものにどうしても馴染めません。隣のおばさんが集めに くる赤い羽根共同募金と同様に気の弱い私は脅迫感を感じます。
 「みんなと一緒」と脅迫してくるものに対して「私は私」と反発を感じています。

 「がんばろう日本」、スポーツチームの応援メッセージのような言葉が溢れています。
 うつ気味の状態に陥ってから「あまり頑張らない」を信条に生きてきた私には受け入れられない言葉です。
 震災や原発事故の被災者に向かって言っているのだとしたら酷な言葉です。

 世の中が寄って集って弱いものを苛めるような、みんなと一緒でなければだめと言っているように思えます。心にまでを鋳型に嵌めようとしているのではない か、それは危険なことです。

  久しぶりに映画の話題です。中国映画「再 会の 食卓」を観てきました。

 ストーリーはごく単純なものです。

 愛し合いながら、愛する人の子どもを身ごもっていながらも、戦争のために別れなければならなかった男女の40年後の物語。
 息子と二人の娘、孫二人を得て、心優しい夫(
シャンミン)とともに平穏に暮らす老女 (ユィアー)の元に40年前に別れた元夫(イェンション)が現れて一波乱が起こります。

 1989年、経済発展目覚しい上海の旧住宅街での出来事です。

 40年前に国民党軍の兵士であったイェンションは
妻の身重の妻ユィアーを残して国民党軍とともに台湾へ退却していった。
 一方、ユィアーは共産党軍の兵士であったシャンミンに援けられて新しい家庭を持っていた。シャンミンは敵軍・国民党軍兵士の妻と結婚したことから出世も できず、文化大革命の時には批判の対象ともなり、3人の子どもを育てるため造船所の工員として働いてきたのでした。

 そんな平穏な家庭に台湾からの一時帰国団の一員としてイェンションが訪れます。シャンミンは「折角ふるさとに帰ったのだからホテルに泊まらず我が家に泊 まれ」と特別の客としてもてなしていますが、イェンションの帰国の目的はユィアーを台湾に連れて帰ることでした。
 ユィアーも家を棄ててイェンションについていく決心をします。娘らの反対にも拘らずシャンミンはユィアーを自由にしてやろとするのですが。。。

 終盤近くにどんでん返しがあるのですが、私には安心できる結末でした。

◇女心
 わからないものです。
 40年経ってもなお「愛」の力を信じて家族を棄てるという女心が理解できませんでした。男女が入れ替わって新しい家庭を持つ男の元に引き裂かれた妻が現 れたとしたらこの物語は成立するのでしょうか?

◇キャスト
 ユィアーを演じていたリサ・ルー (盧燕)はきれいな役者で、静かで芯の強い中国のお母さんを知的に演じていました。また、ユィアーの孫娘ナナ役のモニカ・モー(莫小棋)は中国の現代女性 はこんな女性かと思わせました。
 二人の女優が目に付いて映画でした。

◇マンション
 旧住宅街の家の立ち退きの金と蓄えで高層マンションの一室を買ったシャンミン一家は平均的な上海市民の象徴でしょうか?
 きれいで広い家に越して来たら子どもたちが寄り付かなくなるとは、どちらも同じことです。
 四十を過ぎて結婚できない長男、カネカネカネと金の亡者のような次女夫婦、アメリカに赴任する恋人を持つ孫娘、上海の新旧市街の映像とともに現代中国の 姿の一端を見たような気になりました。

◇中国人の食卓
 たくさんの料理を食べろ食べろともてなす光景は、
知り合いの華僑の家族と食事をしたことを思い出しました。
 食べ物の種や魚の骨は口から食卓の上に吐き出すシャンミンの食事作法は日 本人には少々行儀悪く見えますがごく普通のことのようです。
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