11/05/17 朝日俳壇、歌壇より
昨日(16日)の
朝日新聞の「天声人語」は福島第一原発で働いていた60歳代の男性の死亡を取り上げていました。
その中で「東京電力の協力企業が
雇う60代の作業員が亡くなった」と書かれていました。「協力企業」って言い方が嫌いです。下請け企業が正しいのではないでしょうか?
今、福島第一原発で働いている人たちの中には、下請けどころではなく孫、ひ孫そのまたひ孫に雇われた労働者、騙されて連れてこられた日雇い労働者が放射
能に塗れながら闘っていてくれる。感謝。
もう一つ、16日付けの朝日新聞から気に入らない記事を拾ってみます。
「皇室と震災―『国民と共に』を胸に」という社説で天皇、皇后の被災地訪問を持ち上げています。そしてそんな天
皇の行為が「公的行為」だと言っています。
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しかし今回の放送も被災地訪問も、「公的行為」として内
閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない。
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この文章は何を言っているのでしょう?
天皇の「公的行為」とは、「私的行為」と「国事行為」の間にある行為のような、それが「内閣の補佐と責任において」行われていることがどうだというので
しょう?
天皇をはじめとする皇室を震災を機に利用しようとする輩がいるように思えてなりません。
今日は朝日新聞ネタに終始します。
16日付けの俳壇、歌壇から気になった句や歌を紹介します。
◆朝日俳壇
◇地震(ない)津波棄郷の民に花吹雪(熊谷市・時田幻椏:金子兜太選)
この句は地震や津波で故郷を棄てなければならなくなった人たちのことを詠っているのでしょう。地震や津波より原発事故で故郷を棄てなければならない人々
がいます。国から棄てられた「棄民」が多く生れ、これからもっと増えることでしょう。
◇来年は筍のやうな国であれ(大和市・澤田睦子:長谷川櫂選)
来年こそはすくすくと真っ直ぐに伸びる筍のようにという句意でしょうか。
「筍のような国」とは一体どういう国なんだろうと思いましたが、選者が「すくすくのびる玉のような筍。来年といわず、すぐにでもといいたいところだが」
と書かれているのを読んで益々分らなくなりました。
「玉のような筍」という表現も初めて見ました。
◇この墓に父の骨なし昭和の日(松山市・河村章:大串章選)
昭和の日とは昭和天皇の誕生日、昭和にはいくつ戦争があったのでしょうか?何人の命が奪われたのでしょう?
この句のように遺骨も遺品もない「戦死公報」だけで父や兄弟の死を認めなければなりませんでした。日の丸を揚げてゴールデンウィークなどと浮かれていて
良いも
のだろうか?昭和天皇の戦争責任は免罪されていません。
◇明日といふ日を疑わず種を蒔く(西宮市・吉田邦男:稲畑汀子選)
明日も生きている、明日も来ると信じないと何もできませんね。
山頭火も放浪の生活から、小郡の街を見下ろす丘の上に念願の庵(期中庵)を結んで大根の種を蒔くという句がありました。
<朝やけ雨ふる大根まかう>
◆朝日歌壇
◇原発事故が起きてからずっとヨコスカの米軍住宅の灯は灯らない(横須賀市・梅田悦子:馬場あき子選)
カネも持つ外国人は、日本から避難して帰国するなどしているらしい。
カネの無い出稼ぎ外国人は日本人と同じようにフクシマや北関東に留まっている。
◇フクシマのニュースに戦(おのの)く我もまた火遊び覚えし猿の裔なり(東京都・谷田具和男:佐佐木幸綱選)
うまいなあ、と関する歌です。「火遊び」とは言いえて妙。
原始人が火を使い始め今日の文明に繋がったように、私たちも原子力の火を使うことで新しい文明を作り出そうとしていたのだろうか?否、そこにはカネに群
がる人たちがいた。
◇大戦の前夜の如き響きもて繰り返される「強い日本」(東京都・津路野志峰:佐佐木幸綱選)
脳より筋で生きているようなスポーツ馬鹿に「強い日本」と叫ばせていますが、わたしは「強い国」という表現に「富国強兵」を連想します。
マスメディアを牛耳る連中は千載一遇のチャンスとばかりに洗脳のキャンペーンを展開しています。
◇たびたびの事故隠したる原発を想定外とは吾は認めぬ(福島市・遠藤幸子:佐佐木幸綱選)
事故も隠すし、事故が起こればデータを隠すのは国や電力会社の常套手段です。今回は「想定外」と「直ちに」という言葉をつけて。
安全だ、事故はないと地方に原発を押し付けてきた国や電力会社は「想定外」というしか言葉がないのでしょう?それに免罪符を与えてきた御用学者もまた。
◇ひと月を体育館で過したる亡骸三百体(さんびゃく)運ばれゆきぬ(久慈市・三船武子:佐佐木幸綱選)
この歌の光景はどういうのでしょうか?収容された遺体の身元が判らずに安置所だった体育館から運び出される光景でしょうか?三百体という数字にショック
を受けてしまいます。
火葬場が間に合わず仮埋葬していた数千の遺体を荼毘にする作業が16日に始まったそうです。
◇帰らざるひと、帰れざるひと、万のいのちに万の名のありしこと(福島市・美原凍子:高野公彦選)
美原さんの歌です。
「ら」と「れ」の一字違いでまったく違った意味になります。
帰らざるひと:帰らない人
帰れざるひと:帰れない人
万の命に万の名、そして万の人生が、万の夢があり、父母が、兄弟がいるのですね。犠牲者数を何万人と一括りにすることへの苛立ちがあります。
◇死してなお放射能浴び横たわる死者にも死者の尊厳がある(小樽市・吉田理恵:高野公彦選)
原発から10キロ、20キロ圏内には亡くなった方の亡骸も収容されないままで放置されているそうです。この歌のように死しても人間としての尊厳がありま
す。
◇日雇ひのうからはらから無き人の募られてゆく原発建屋(神栖市・寺崎尚:永田和宏選)
大阪あいりん地区の労働者が阪神淡路大震災の時も駆り出されていました。
今回も身寄りを持たぬ、身寄りと縁を切った人々を危険な作業に従事させてピンはね(搾取)しカネ儲けをする黒い連中が跋扈していることでしょう。い
つも貧乏くじを引くのは貧しくて弱いものです。
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