11/12/22 大島博光記念館
今日は冬至、と
いっても南瓜を食べることもなく柚子湯に入るわけでもありません。
原発事故に関して、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは、この国の政治を動かしている人たち「全員刑務所に入れたいですね」と言われています。「12月15日 上関の町長選挙、の結果については、私の感想は痛ましいということです」
法治国家なら他にも入れなければならない人たちがいます。
今日も東電は、原発が止まって火力発電に頼ったから電力料金を値上げすると言っているそうです。
相変わらず、原発がないと電力が不足する、原発は安いと世迷いごとを並べています。
関西のテレビは天気予報の時に「今日は、関西電力が電気○%が不足すると言っている」と電力会社の広報紛いに成り下がっています。
電力は余っている。原子力発電のコストは今回の事故で高く付くことは分かったのに何故でしょう。
原子力発電の技術は原子力爆弾の製造技術と共通するだからでしょう。原爆の悲惨さ、非人道性を世界に訴えなければならない国が「核の抑止力」を行使して
いる。
哀しいこと。
長
野への旅の2日目は上田市から松代し移動し、客は作業服を着た人たちがほとんどで人気がうかがえます。噂どおりに品数も多
く味も素朴で大満足でした。
食事を終えれば出発です。宿にある資料を見ると「無言館」は火曜日が休館日
とのこと、北上市松代に向かうことにします。
行きがけに上田城址に寄ることにします。出勤、登校の人の流れが疎らにあ
る静かな街です。駅前通りの坂を登りきると市役所や裁判所が並ぶ官庁街です。城址公園の中には眞田一族を祀る眞田神社があ
ります。案外小さな社でした。
千曲川右岸を移動していて目立つのは「六文銭」と「眞田」の文字、「眞田幸村公を大河ドラマに」などという眞田家にあやかろうしたものでした。眞田人気
絶大です。
千曲川左岸に出て千曲川サイ
クリングロードを走ります。
土手のサイクリングコースは交差する道路、流入する支流をどうするかによって良くも悪くもなるようです。
交差する道路(つまり橋)の下を迂回路があると便利ですが、無いと酷いときには交通量の多い道路の信号もないところを必死で渡らなければなりません。ま
た、支流が合流する部分では支流沿いに大きく迂回したり、対岸に渡るようになっていたりします。
千曲川サイクリングロードはそういう点では中の下でしょうか?冬の時期に北西に向いて走る方が悪いような気もします。
寒さ対策の今日の服装は、サイクルインナーパンツ、ヒートテックのタイツ、オーバーズボン、靴下の上にインナーシューズ、上はヒートテックのTシャツ、
アームウォーマー、サイクルジャージー、ウィンドブレーカー、頭はヘルメットに防風カバー、インナーキャップ、ネックウォーマー、手袋はフリース製のサイ
クルグローブといったところです。
これだけ着込んでいましたが、手足の末端は冷えました。
右岸に戻って松代を目指していると、「松代はこの橋を渡れ」とあります。自分を信じて右岸を行くか、道路標識を信じるかと思案しているところに高校生が
通りがかりました。道を訊くと「よくわからない。遠回り
になってもよければ途中まで一緒に行きましょう」と言ってくれたので、これも縁と同行することにしました。
風で聞き取れない会話をしていると朝寝坊してこれか
ら学校に行くとのこ
と、既に9時30分は過ぎていました。コートも着ずに薄ペラな学生服だけで毎日自転車通学をしているそうです。
「松代に何をしに行くのか?」と訊ねられ、「地下壕とオオシマハッコウ記
念館に行く」と答えると、地下壕は分かったようですが、オオシマハッコウは分からなかったようです。[松代→]の標識のと
ころでお礼を言って別れました。
彼の自転車の泥除けには「長野南高校0324」のシールが貼ってありまし
た。帰宅後調べると長野南高校は川中島の古戦場の近くのようでした。あの日、0324君の登校時刻は10時をはるかに超えたことでしょう。ありがとう
0324君。
高校生と別れて橋を渡ったところの電柱に「大島博光記念館」の案内が取り
付けられていました。R403が上越自動車道の高架を潜ってすぐのところに記念館は有りました。
公営の博物館、美術館を想像していましたが、木造平屋の建物が記念館でした。開館前か直後のようで女性に声をかけると「どうぞ入ってくれ」とのこと、
「今、ストーブを付けるから・・・」と。慌ただしく動いてくれます。
自転車を漕いで来た体には手足が冷たいだけでそう寒くはありませんでしたが。
ストーブに火を点けてくれた女性は「ストーブの前に座って暖まれ」と言いながら、壁に掛けられた大島博光さんの詩を朗読してくれ、人となりを説明もして
くれます。ゆっくり座るまもなく彼女について部屋の中を順に移動していきます。
私が大島博光さんを知ったのはチリのクーデーターで、アジェンデ大統領が殺され、詩人のネルーダーも殺されるというような時期に労働組合運動をしてい
て、チリ人民に連帯するという運動の中でネルーダーの詩を訳されていたのが大島博光さんでした。
そんな私のことなども話しながらネルーダーのこともいろいろお聞きしました。
滞在およそ1時間余、お茶の接待も受けたのに入館料は無料とのこと、詩集を買っていくらかのカンパもしてバラの咲く頃また来ますと言って辞去しました。
そうそう、お土産に大きな林檎を二つもいただきました。
大島記念館のことは、お話を聞いたことなどもっと書きたいですがこのくらいで。
旅の続きも次回に持ち越しとします。
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