12/01/29 長野行完結篇
昨年
末に自転車を担いで長野に旅した時のことが最後まで書けていませんでした。
青春18切符を使って、京都、米原、名古屋、中津川、松本と乗り継いで聖高原で下車、修那羅峠を越えて戦没画学生の遺作を展示する無言館を訪ねる予定が
時間切れでかないませんでした。
上田駅前のビジネスホテルに1泊、2日目は松代の大島博光記念館を訪ね色々の話を伺い、松代地下壕を見学して松代の国民宿舎で温泉を思う存分楽しみまし
た。
と、ここまでが残日録11/12/18、残日録11/12/22、残日録11/12/24で書いた部分です。
3日目の朝の気温は氷点下、耳が痛く指の感覚がありませ
ん。
小布施に
向かうために国道403線を北に進みます。良い天気で千曲川の向うに北アルプスが遠望できます。近景には林檎畑、木守のように何個かの林檎が取り残され
ている畑もありました。
須坂市内を迂回するつもりで入った道がどんどん細くなるという相変わらずの迷子状態となってしまいました。
何度かの紆余曲折を繰り返して出たのは長野刑務所の前、多くの中年男女が門をでて右左に別れて行きました。元受刑者の人たちでしょうか?労働者でしょう
か?ちょっと異様な風景でした。
小布施の町は10時過ぎと言うのに観光バスが町中の広場に2、3台駐車しており、半ば開きかけた土産物屋を物色しています。自転車で街中を流して酒屋と
和菓子店の店先を覗いて退散しました。
小布施からは上越自動車道に並行する県道343号線とその西にある千曲川の土手上の道を南下し、国道(406号線)と鉄道(長野電鉄長野線)が同じ橋上
に走っている珍しい橋を渡ってひたすら長野市街を目指します。
前に来たことのある善光寺門前の蕎麦屋・大善で蕎麦をいただきます。店内の職人(主人)は若い人に変わっていて少し心配しましたが、味は相変わらず美味
しい蕎麦でした。こんな美味しい蕎麦が550円とはありがたいことです。観光地のその場限りの蕎麦屋でない証
しのように年越蕎麦の予約に来る人もいました。
虫の知らせというのでしょうか、疲れていたせいでしょうか、12時前
でしたが善光寺にお参りもせずに帰るにしました。
長野駅で自転車をパッキングして長野12時33分発の茅野行きに乗車します。この時刻に乗車すれば22時までには帰宅できると思っていましたが、松本駅に
到着すると地震があり中央西線の電車が止まっているとのことです。
明日は仕事があり今日中に帰らなければなりません。取り敢えず一駅でも前に進もうと14時25分発の高尾行きに乗車します。駅員が勧めるように、このま
ま東京経由で帰るのも一案ですが、塩尻で判断することにします。
塩尻駅に着くとしなの14号(本来は14時03分発)名古屋行きが停車しています。東京周り案を捨てて予定どおり名古屋
経由で帰ります。しかし、列車が動き出したのは15時22分、途中何度も長く停車して名古屋に着いたのは20時40分でした。
名古屋から普通電車を乗り継いで帰ることもできましたが、長時間の移動で疲れ果てていましたので奮発して新幹線で帰宅することにしました。新幹線の速さ
に感動しました。時は金也。
那修羅峠の石仏群、大島博光記念館、松代の国民宿舎、大善の蕎麦、、、いい旅でした。
長い旅のことを書くのに長いこと掛かってしまいました。
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