12/03/16 映画「医
(いや)す者として」
最近は飲酒をすると酔いのまわ
りが早く、寒さもあってすぐにベッドに潜り込み眠りこけるという生活が続いています。昨日は「17音の残日録」の更新
を久しぶりに休んでしまいました。酒毒から私を開放しなければなりません。
◆俳句会講評
現代俳句協会の
インターネット
俳句会2月に投稿した句の中の一句に俳人の大畑等さんの講評をいただきましたの紹介します。
<ふ
るさとに人は帰れず鳥帰る>
「帰れず」と「帰る」の対比は理屈っぽく感じられます。上五・中七はこの句のようにはっきりと言わず、多義的な解釈のなかで、この解釈もなりたつような書
き方が良いと思います。 |
「理屈っぽい」とは、私の元来の性格までも言い当てられたようです。
上五・中七では複数の解釈も成り立つように構成し、下五で締める?と言うことでしょうか?勉強になります。
大畑さん、ありがとうございました。
◆「きづな」=「糸¥」?
震災の復興をみんなでと、押し付
けがましく「絆」という言葉が使われていますが、よく見るとこの漢字は糸偏に「半」という字だとおもっていましたが、正しくは糸偏に「¥」のようです。
(笑)
仙台では、繁華街・国分町が大賑わい、ホテルの宴会場も中々予約できないそうです。震災特需ということでしょう。まさに絆は「¥」に化けるのです。こん
な
小さなカネより巨額な利権が暴かれなければなりません。
先
日、佐久総合病院と元院長若月俊一さんの記録映画「医
(いや)す者として」を観てきました。
佐久総合病院と若月さんについては、昨総合病院の勤務医でもある作家の南木佳士さんの「信州に上医あり―若月俊一と佐久病院」や、エッセイなどを読んで知っていました。
その病院を描いた映画と言うことで、大阪での公開を待っていました。
佐久総合病院には1950年代から30数年、出張診療、手術、患者会などの様子を16ミリフィルムで記録してきた映画部というのがありました。そのフィ
ルムを保存する運動の中で今回の映画制作へと繋がってきたのだそうです。
映画は、記録映像と関係者の証言で進んでいきます。
戦後すぐ、佐久総合病院に赴任した若き日の若月さんの目は貧しい農村に向けられました。
病院で患者を待つというスタイルだけでなく、医師と看護師がチームを作って農村に出かけ診療をしていきました。
農村を回ることで、農民の生活環境や労働環境を知ることが出来るからです。また、終戦直後の農村では死亡診断書を書いてもらうためだけ(その時だけ)に
医者にかかるような状態だったそうです。
私は滋賀県の農村に1948(昭和23)年に生れました。
牛が家の中に人間と同居していたり、人の排泄物を田畑にまくなど、幼い頃の風景があちこちに出てきました。
若月さんは医師に対して専門性を高めることと、地域に入っていくことの二足のわらじを履くようにと言われていたそうですが、年々医療の高度化が進み難
しくなってきており、二つの柱を一人の医師が追求することは困難になってきているようで、佐久総合病
院では病院の再構築がすすめられています。
映画のエンディング近くで若月さんは「医療の民主化とは『いつでも、どこでも、誰でも
必要なときに必要な医療サービスが受けられる』ことであり、医療の民主化は地域の民主化なしにはありえない」と言われていたことが大変印象に残りました。
他にも、老いと医療、福祉など興味深いテーマが語られていました。
最後に、語りが若手の山崎樹範さんがしていましたが、静かに力まず邪魔にならないいいものでした。
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