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12/04/08 映画「核 の傷」

 大阪市の橋下市長は、地下鉄駅 構内で54歳の助役が喫煙していたことを理由にこの助役 を懲戒免職処分とするよう指示をだしたそうです。
 橋下市長は狡猾です。タバコを吸った本人には色んな理由(言い訳)があるでしょうが、禁煙の職場で喫煙した一点では何も抗うことができない事実です。

 橋下市長は、誰も否定できない事実で個人を攻撃します。こうして彼は彼のしていることの正当性を強調しているのです。
 橋下維新一派が大阪市交通局の解体に牙を剥いている時になんとものんびりした助役がいるものです。

 右のイラストを見てください。
 これはこの事件を報道したFNNのニュース番組(関西テレビ制作)内で使われたイラストです。
 このイラストには悪意を感じます。テレビ局とはここまでしても許されるのでしょうか?
橋下大阪市長、たばこで列車に遅れを出した市営地下鉄助役について懲戒免職を検討」関西テレビ 12/04/06)

 在阪のマスメディアはこんな番組(報道番組)に使うイラストでさえ、維新橋下に迎合しています。

 大 阪・十三のシアターセブンで広島での原爆投下時に軍医として 被曝者治療にあたってから、ず映画『核の傷』っと現在まで反核、反原子力運動の先頭にたっておられる肥田舜太郎さんを描いた「核の傷 肥田舜太郎医師と 内部被曝」の先行上映会に参加してきました。

 シアターセブンは七藝(第七藝術劇場と同じビル、昔はワンフロアーで映画や演芸を臨時の催し会場として使っていましたが、今は3つの小部屋に仕切られた ミニシアターとなっていました。音響など映写環境は今一つでしたが、色んな映画が上映されることは喜ばしいことです。

 プログラムは「核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝」(06年、フランス、監督:マーク・プティジャン)に続いて「311以降を生きる:肥田舜太郎医師講 演より」(12年、日本、制作:アップリンク)の上映の後、東京での肥田さんの講演をUSTREAMで中継と長時間の催し物でした。

 本編の「核の傷」はフランスでテレビ番組として放送されたそうで、モスクワに留学していた肥田さんの孫が現地の女性と結婚するというので両親がモスクワ まで挨拶に行かれたそうですが、先方の両親はテレビ番組を見て肥田さんのことを知っていたというエピソードが小冊子「311以降を生きるためのハンドブッ ク」に書かれていました。

 広島、長崎に原爆を落としたアメリカはABCC(原爆傷害調査委員会)で日本人の被曝状況を調べましたが「軍事機密」ということで公表されませんでし た。また「独立」後は、日本はアメリカの核の傘の下で庇護されているからという理由で研究も許されていませんでした。
 未だに日本は独立していません。

 45年8月当時、肥田さんは広島陸軍病院の軍医少尉でした。8月6日の朝、自転車で往診途中だった肥田さんは爆心地から6キロの場所で被曝をされまし た。原爆投下後に肥田さんが見聞きしたものはあの「はだしのゲン」で描かれた「地獄」そのものでした。原爆投下直後からの毎日は、直接被曝(外部被曝:火傷)を 負った人々の死に立ち会うことでした。

 ところが、直接被曝をしていない原爆投下後に広島に来た人たちも同じように死んでいくことが何故なのかわからなかったそうです。1975年にアーネス ト・スターングラス博士の体内に入った放射能が原因(内部被曝)だとの研究を知り、長年の疑問が解決したそうです。

 311後、福島の人たちに「遠くへ逃げろ」「被曝していない物を食べろ」とか言う人がいるが、日本中放射能で汚されてしまった今は身体の中から放射能を つまみ出すこともできない、薬を飲んでも体内に出せない放射能と付き合っていくしかないと言われていました。勿論、被爆弱者の子どもたちは国の責任で疎開 させなければならないと各政党に陳情をされたそうですが、どの政党も相手にしなかったそうです。

 おもしろい話をされていました。
 昔、私たちの先祖は水の中から地上へと移っていく過程で、自然放射能や紫外線に対する免疫力を徐々に身に付けてきました。そんな時代の人類は、太陽が上 ると起き、太陽が沈むと寝る生活をしていた。こんな愚直な生活を取り戻すことが、被曝しても発病しない唯一の道ではないかと言われていました。

 肥田さんは耳障りの良いことばかり話されていたわけではありません。地道な活動を長く続けてこられた方です。その言葉は重い。反原発、反核の運動をする のは生半可な気持ちではダメだ。本腰を入れてやりきらなければならないと。
 昨日の続きでない今日を生きなければなりません。とても厳しいことです。決意せよと迫る映画と講演でした。

 最後に、ハンドブックから肥田さんの311以降を生きるための7箇条を転載しておきます。

〜 肥田舜太郎医師による311以降を生きるための7箇条〜
1.内部被曝は避けられないと腹を決める
2.生まれ持った免疫力を保つ努力をする
3.いちばん大事なのは早寝早起き
4.毎日3回、規則正しく食事をする
5.腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる
6.身体に悪いといわれている事はやらない
7.あなたの命は世界でたったひとつの大事な命
  自分を大切にして生きる

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