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12/05/07 歌うキネマ「砂の器」

 夕方のニュースで関西電力の八木社長は「大飯原発を再稼働しても、この夏は電力不足 だ」と言ったと報道されていました。ただのアホなのか、深謀遠慮があるのか?
 電力を供給することを義務付けられた公共事業者の経営者の発言とは思えません。事業免許を返納すれば。。。

 外で食事をすると嫌なことを見ます。
 食事をするテーブルにバッグを乗せる馬鹿、そのバッグは地べたに置いたものでしょう。靴をテーブルに乗せているようで嫌なものです。


 大阪の下町・十三のセブンシアターパギやん(趙博さん)の歌うキネ マ「砂の器」を聴いてきましたので紹介します。
 映画をパギやん風に語りと歌で再構築するという出し物です。歌うキネマシリーズでは宮本輝原作の「泥の河」を聴いたことがあります。

 さて、今回の「砂の器」は原作松本清張、野村芳太郎監督で1974年に映画化されたものを底本としています。
 映画「砂の器」をWikipediaで配役などを見ていたら、製作年1974年、製作協力シナノ企画とあり、あれれ と思いました。
シナノ企画と 創価学会との関係は公知の事実です。
 
日本共産党と創価学会のい わゆる共創協定(日本共産党と創価学会との合意についての協定)の橋渡しをしたのは松本清張さん、時は1974年7月の参議院議員選挙の直後から始まった と言われています。
 
 「砂の器」の映画化をきっかけにシナノ企画=創価学会と松本清張さんの関係が生まれたのか、松本清張さんが共産党と創価学会の手を結ばせるために「砂の 器」の映画化への製作協力を手土産にしたのか、などと下衆の推理は楽しいものです。

 さて、パギやんの「砂の器」ですが、音響、照明などの設備が十分でないセブンシアターにも拘わらず熱演でした。

 国鉄蒲田操車場で刺殺死体が発見された。聞き込みにより事件直前に被害者は白いシャツを着た若い男と一緒に現場近くの飲み屋で話し込んでいたこと、被害 者の言葉に東北弁訛りがあったこと、「カメダ」という地名を店員が覚えていたことなどが分かった。東北各県への照会でも被害者らしい人物は浮かばなかっ た。

 迷宮入りになりそうな殺人事件の解決の端緒が思わぬところにあった。それは新聞のコラムに書かれた女の奇妙な行動をする女だった。中央線の夜行列車の窓 から白い紙切れをまく女をみた記者の書いたコラムだった。その女だというバーのホステスを訪ねたが、女は行方をくらました。

 車窓から撒かれた紙切れは血のついた布切れだった。その女は・・・
 被害者が話していたのは東北弁ではなく出雲地方の訛りだった・・・
 「カメダ」ではなく「亀嵩」だった・・・

 幼い本浦秀夫は、らい病(ハンセン病)に冒され、在所に居られなくなった父と石川県から西へ南へと 巡礼の旅をしていた。
 そんな二人に手を差し伸べたのは島根県亀嵩の巡査でした。父は岡山の療養所に強制収容され、秀夫は巡査夫婦に引き取られたのですが・・・

 空襲、戸籍消滅、戸籍復活・・・

 容疑者として
浮かんできた のは新進気鋭の音楽家・和賀英良だった。
 和賀は その才能を嘱望され、前大蔵大臣の娘と婚約をする運びになっていた。まさに人生の絶頂期に差し掛かろうとしていた。

 成長作品はメッセージ性の強いものですが、「砂の器」はハンセン病への強い告発となっています。冬の日本海の暗く重い空のように重い作品でした。

 キーボードのハルマゲンさんの演奏も相変わらず良かった。

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