原
発反対の住民運動が闘われていた。
けれど、それは遠い土地のことだったので、私は何もしなかった。
関西電力の本店前で、鐘や太鼓を打ち鳴らし「原発は要らない!」と叫んでいる人たちがいた。
けれど、それはヒッピーやカルトのように私には見えた。だから私は関わらなかった。
故郷の60キロ圏にもいくつもの原発が建設された。
国や電力会社が「安全だ」と言っている。
無理に反対するほど私には知識も知恵もなかった。だから何もしなかった。
全国の原発立地の町では激しい反原発の住民運動が闘われた。
駆けつけて運動の輪に加わる勇気が私にはなかった。
そして、54基の原発が建設された。
そして、フクシマが起こった。
私は怯えた。
でも、もう取り返しがつかないほどにこの国は汚されてしまった。
あの時、遠い町に出かけ「原発は要らない!」と一緒に叫んでいたら。
否々、遠くの町に出かけなくても「原発は要らない!」と小さな声を挙げていたら。
私にほんの少しの勇気があったら。
気がつくのが遅すぎたけれど、私は負い目を持って抗議のデモの輪に加わっている。
先の侵略戦争に生命を賭けて反対した人たちがいた。
でも、私の父も母も侵略戦争に反対しなかった。
私が、父や母に「何故、戦争に反対しなかったの?」と詰ったように、
次世代の子どもたちから「どうして54基もの原発の建設を止められなかったの」と詰られるだろう。
胸を張ることはできないが、遅すぎたけれど二度とフクシマを繰り返さない反原発の輪に加わったと。
未だに私には知識も知恵も勇気も乏しいけれど、
生きている限り「反原発!」「原発は要らない!」と叫び続けよう。贖罪の意味を込めて。
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