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12/11/01 映画「あ の日 あの時 愛の記憶」

 コラムニストの小田嶋隆(@tako_ashi)さんは都内の移動に自転車を使って おられるサイクリストでもあります。その小田嶋さんが半月ほど前にこんなことを呟いておられました。

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自転車用の薄手のアウターは、軽さと防水性を期待する以上、どんなものを求めても必ず安っぽくなる。なので、高級感はブランドのマークに頼らざるをえな い。つまり「安っぽい素材のチープな衣服ですが高い料金を払っています」という告知としてのブランドのロゴが活躍するわけですね。
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若い人は安物を着ていてもOK。中身で勝負。でも、50歳を過ぎた男が安物のカジュアルを着るとまっすぐにホームレスになる。なのでブランドのロゴは不可 欠。結論:おっさんの持ち物において重要なのは、洋服でもバッグでも、機能性やファッション性ではなくて、「高そうに見えること」だぞ。くそ。
-----------------------12/10/17のツイート

 そのとおりと同感。ブランドものは買えませんがチャンとした格好で自転車に跨りたいと思っています。

 先日、同じようなスキンヘッドの老年の方と話をした時も、頭を剃るのも時間を掛けてどこかに1、2本でも残ることのないように心がけているとか、チビで 貧相な顔つきは虚(うつ)けられるから、少しでも身奇麗にしておかないとなあ、などと話したものです。

 私は老人のダンディズムだと思っています。
 気を張って生きても高がしれていますが、生きている以上はそれなりにダンディでありたいと願っています。

 「あの日 あの時 愛の記憶」というドイツ映画を観て きました。
 大雑把なストーリーは、アウシュビッツ収容所で出会ったベルリンから連れて来られたユダヤ人の女性と、レジスタンスのポーランド人の男性のラブストー リーです。
 ぼんくらな私には、ポーランド人の政治犯などもユダヤ人と同じようにアウシュビッツなどの収容所に入れられていたことを初めて知りました。第二次世界大 戦の末期にはナチスとソヴィエトと両面の戦いを強いられたようです。

 一つの流れは1944年のアウシュビッツ収容所から始まります。ポーランド人の青年トマッシュは収容所の雑用係をさされている政治犯、片やユダヤ人のハ ンナは見るからに憎らしい看守から虐められている女性収容者の中で酷使されています。
 ユダヤ人収容者よりいくらか監視の目の緩いトマッシュは組織の使命を受け秘かに脱走を企てています。その脱走にハンナを連れて行こうとも考えています。
 二人は看守や兵士の目を盗んで逢引きをするのですが、そんなことができるのだ?と思う反面ドキドキのラブシーンです。

 もう一つの流れは1976年のニューヨークのハンナの家庭、学者の夫と娘の生活は豊かで幸せそうです。夫の受賞記念のパーティのための準備にクリーニン グ店に立ち寄ったハンナが見たのはテレビから聞こえるトマッシュの声でした。
 トマッシュは生きていたと確信したハンナは、ホームパーティの客で賑やかな中、自室から赤十字に電話し消息を調べ直して欲しいと懇願するのです。

 二つの流れが工作しながら話が進んでいきます。

 トマッシュの兄弟らはレジスタンスの闘士、ナチスに家屋敷も息子も取られ、挙句は難を逃れた息子をソヴィエト軍に連れ去られるという境遇の一家、混乱の 中離れ離れになったハンナはトマッシュは、トマッシュはハンナはもう生きていることはないと思ってそれぞれの人生を歩んで来た時に訪れたできごと。

 トマッシュの現在は教員、別れた妻との娘と二人の生活、未だソヴィエトの影響下にあったポーランドの田舎町に住んでいます。娘が今の政治体制を非難する ことを嗜めるようなところもありました。
 一方のハンナは、夫と娘に愛されトマッシュに会いに行くことを躊躇しますが、その背中を押したのは夫でした。

 歴史をもっと勉強しておくべきでした。そうすれば、この映画も、人生ももっと深いものにできたのにと思わずにはいれれません。
 過ぎた時間は仕方ないこと、読書の秋です小銭で買い込んだ本を読み通すことにします。

 戦争はイヤ!
 戦争をしたい人たちは戦場に行かない。
 戦争で犠牲になるのは弱い人たち。
 戦争をしない国である最後の砦、憲法九条を守る勢力を伸ばさねば。
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