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泊3日の旅程の内、中の一日は島原へ行きました。島原のことはあとにして今日は長崎市内をブラブラとしたことを書きおきます。
長崎での数日の歩数計(携帯電話に付属)の記録では毎日3万歩近くを歩いていました。
◆三菱城下町
初日は夕刻まで平和公園界隈、その後ホテルに戻り長崎の繁華街はどこだろうと路面電車の系統図から思案橋という地名を探し当て言ってみました。
アーケードのある商店街が縦横にあり、勤め帰りや買い物客で賑わっていました。
前にも書きましたが、長崎は三菱の兵器工場の城下町だったようです。通りがかりの用品店にも「三菱・推奨店」の張り紙がありました。
インターネットのタウンページで「菱」の付く企業を検索すると、「三菱○○」以外に、菱塩、菱重、菱興、菱光、菱鋼、長菱、菱計装、菱熱、菱電、菱和、
丸菱、大菱、菱工、西菱、菱星、菱陽、新菱、菱社、菱運、五菱、菱輝、菱建、菱栄、菱幸とありました。これらはそれぞれ「長菱○○」のように大きな企業群
です。
今も昔も長崎は三菱の城下町ということでしょうか。
◆魚介類は放射能で汚れている
繁華街からホテルまでは歩いて帰れる距離ということがなんとなくわかって来ました。
昼食がビールとおつまみですませたでお腹がすいてきました。県庁通りの坂をあがる手前には大阪発の「まいどおおきに○○食堂」など飲食店が並んでいま
す。立ち飲み風の一軒に入ります。調理場は二人のオジさん、ホールも二人のオバさんという店です。
あまり肌に合わず早々に退散しました。
県庁通りを抜けてホテル近くのショッピングセンターをのぞきますが気に入らずに、近くの居酒屋・三笠という店でゴマサバと鯨の尾の身をいただきました。
美味しかったのですが、福島第一原発の垂れ流す放射能汚染水により海は汚れ、その海に住む生物は食物連鎖により放射能を溜め込んでいます。海山物を食べ
ることは内部被曝を避けるために食べないようにしなければなりません。目を瞑って食べてしまいました。
九州、瀬戸内、日本海産と言っても安心できません。昨年3月14日の福島第一原発の3号機の核爆発で放出された放射能は、関東、東北の太平洋岸から内陸
に飛散して九州北部まで汚しました。偏西風にのって太平洋を渡った放射能はアメリカ西海岸から東海岸、大西洋と広がっています。
もう地球上に被曝していないところなんてないのです。
子どもや妊娠の可能性のある女性は気をつけねばなりません。特に練り物は汚染の重い産地の物も使われている可能性があります。放射能の中には骨に溜まり
やすいものがあり骨ごと擂り潰して使うことの多い練り物は危険です。
魚から放射能汚染の話が長くなりました。
◆演歌が流れきそうな居酒屋
2日目はホテルの軽いバイキング朝食をいただき、前夜の居酒屋の女将のお薦めの島原に出かけて来ました。(後日に)
2日目の夕食も居酒屋・三笠で摂りました。
早い時刻だったので他に客もいないので女将の世間話に付き合いました。
早くに亭主を亡くしてから、この商売を始めたと。
道路の拡幅に伴って店が狭くなったこと。
魚は自分の見立てで値を考えずに仕入れていると。
魚が旨いと客は喜んでくれ、インターネットに頼みもしないのに写真やら乗っけてくれると。
実家は何とかいうところで果樹や苺を作る農家だと。
偶に里帰りをするがとても重労働で手伝えないと。
「兄さん、いくつ?私と同じくらいでしょう?」と、聞いてみると同い年。
ちあきなおみさんの歌が流れても良い雰囲気の店でした。
帰り際に「長崎の土産は何がよいか」と訊ねると、筋一本違いのところにある文明堂本店ではなく、福砂屋が一番とのことでした。
◆眼鏡橋
札幌時計台、高知はりまや橋とならんで日本三大がっかり風景と誰かが言っていた眼鏡橋を、
ほろ酔いで探します。
繁華街近くを流れる中島川を遡っていくとようやくライトアップされた眼鏡橋が見えてきました。何ショットか撮ったのですが難しくて良い写真がありませ
ん。
私にはそんなにがっかりではありませんでした。
旅先でスーパーや商店街の魚屋、八百屋を覗くのが趣味で、宵の店じまい直前のお店を覗かしてもらいました。自家製と書かれた柚子胡椒を買って帰りまし
た。
◆「いつか読書する日」のロケ地探し
長崎行きの目的の一つは映画「いつか読書する日」のロケ地が長崎だと知ったことにあります。
映画を見ているときは尾道だろうか、函館だろうかと思っていましたが長崎と知ってから長崎に行って見たくなりました。
な
がさき旅ネットのロケ地を紹介するページには「いつか読書する日」はのっていませんでした。結局便りげない情報だけで、長崎の街をウロウロするこ
とになりました。
3日目はチェックアウトを済ませ、長崎駅のコインロッカーに荷物を入れ身軽になって出島の跡地から市民病院、英国領事館跡などを歩き、山手に上がり木造
洋館(今でいうアパートのようなもの)付近を歩いたり、孔子廟は入場料がいるとわかって塀越しに写真だけ写しました。
高校の修学旅行でグラバー邸の何処かで集合写真を写した記憶がかすかにあるだけなので、観光客の多いところには近づかず、寂れた唐人屋敷跡などを徘徊し
て回りました。
山手の坂道を見ていると、みな、美奈子(田中裕子)が牛乳瓶の入った重い袋を肩に駆け上がって行く坂道のように見えてしまいます。
ああ、この坂を上って行くと、昔の恋人・槐多(岸部一徳)と病床の妻容子(仁科明子)の暮らす家がある、などと妄想を逞しくしてロケ地巡りを終えまし
た。
◆洋食屋
坂道を上り下り、よく歩いたあとは美味しいお酒と美味しいご飯をと商店街の裏通りを探しますが、中々行き当たりません。
ようよう見つけがのがみずほ銀行脇の路地を入ったところにあった下から4枚目の写真のような如何にも美味しそうな店構えのレ
ストランニッキー・アースティンというお店でした。
13時前でしたがいっぱいの客で、カウンターに空いていた席に座ることができました。
日替わりランチや長崎名物トルコライスなるものまであるメニューは豊富で何を頼んでいいのかわかりません。
まずはアルコール飲料をと思いましたが缶ビールしか置いていないとのこと、仕方なしに缶ビールをいただきます。
食事は決まらずミックスコロッケになってしまいました。馴れないと苦労するものです。
待つこと10分足らず、美味しいコロッケ登場です。
ライスは小さめの丼、当然ナイフ&フォークではなくお箸でいただく洋食屋さんです。
食後に飲み物がついて1000円弱(ビールは別)でコストパフォーマンスの高いお店でした。
ただ、物足りないのはワインなどのアルコール飲料がないことです。夜も食事ができるそうですが。。
◆地名
食事を終えたあとは、乗車予定の特急の発車時刻までたっぷり時間があります。
今度は海沿いにぶらりぶらりと時間を潰しました。
長崎の街を徘徊して思うのは古い地名が残されていることでした。
例えば一番下の写真の「籠町」は元々「本籠町(ほんかごまち)」だったと表記されています。写真の左には「船大工町」とあり、昔は木船を作る船大工が住
む町だったことが思い起こされます。
他にも郵便番号簿で見ると時代小説に出てくるような名前がたくさん残されています。
「御船蔵町」「桶屋町」「蚊焼町(かやきまち)」「麹屋町」「銭座町(ぜんざまち)」「銅座町」「出来大工町」等々。
残念なことに○○丘などという地名もありましたが。
タイミングよく、長崎の旅に持っていった本は谷川健一著「日
本の地名」でした。その結語にこう書かれています。
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地名の改竄(かいざん)は歴史の改竄につながる。それは地名を通じて長年培われてきた日本人の共同感情の抹殺であり、日本の伝統に対する挑戦である。
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どこかの政治家のように効率、金儲けのために古いものや非効率なものを否定する輩は許せません。
彼らにとって老人やハンディキャップを持った人たちは効率の悪い人にしか見えないのでしょう。石原慎太郎が「女性が生殖能力を失っても生きているっての
は無駄で罪です」って誰かが言っていると引用とは言え肯定的に紹介していることなどその証明でしょう。
島原行きは別の機会に。
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