13/01/14 朝日俳壇、歌壇より
1月14日付けの朝日新聞の俳壇、歌
壇より気になった句や歌を紹介します。
◆朝日俳壇
◇悴(かじか)みて別れのことばつながらず(荒尾市・鶴田幾美:大串章選)
別れの言葉が繋がらないのは寒さの所為ばかりではないでしょう。切ないなあ。
◇縄文の丘と呼ばれて冬ざるる(相馬市・根岸浩一:大串章選)
何とかの丘が好きなようです。新興住宅外から学校など行政までが「○○の丘」「○○ヶ丘」などと言う名前を恥ずかしげもなくしています。
そんな現状と冬ざれの取り合わせがいいですね。
◇颯爽と来て雪道に転びけり(米子市・中村襄介:稲畑汀子選)
颯爽としていればいるほど、転んだりするのは面白いものです。コメディの基本でしょうか?
◇狐狸(こり)よ去(い)ねここは被曝地人住まず(福津市・松崎佐:金子兜太選)
ここは被曝地、もう人も住めなくなった、狐も狸も早く帰れと。
「帰れ」という言葉を私の生まれた地方でも「イネ、イネ」と言っていました。芭蕉門下の誰かの句にも「去ね」という言葉が使われていたような。古い言葉
なのですね。
◇難聴も神の恵みや初日の出(四街道市・根本フサ:金子兜太選)
不自由になった身体を神の恵みというポジティブな生き方。
◇鬱の子の蒲団薄くはないだろか(高崎市・菊池妙女:金子兜太選)
良くわかりません。子を想う親の気持ちなんぞ解るものかと思うこともあります。
どうして、蒲団は「軽く」ではなくて「薄く」なのでしょうか?
◆朝日歌壇
◇ひとときの賑はひ嬉し寒村を駆くる選手に母と旗振る(藤岡市・丸山直樹:佐佐木幸綱選)
東日本じt業団駅伝のコースにある町でのことでしょうか?
◇旧道に昔ながらの本屋生き川俣(かわまた)鉄砲町に雪降る(福島市・三原凍子:高野公彦選)
川俣鉄砲町がどこなのか知りません。福島の被曝した町でしょうか?そんな町に本屋が「生き」ている。
◇十四年飼われて犬は尊大に食べては眠りたまに尾を振る(八千代市・大倉タヲ:永田和宏選)
「飼われて」を「住んで」とか「犬」を「妻」とかに置き換えたい衝動にかられます。たまに振られる尻尾でごまかされているような。
◇二十年経ちて馴染みし我が名前一年生で習ふ字ばかり(群馬県・山本三千代:永田和宏選)
可愛い歌です。こちらは20年経ってやっと馴染んできた自分の名前です。私は六十数年経っても自分の名前に馴染めません。
◇「来るものが来た」と言ひ行く人に付き説明会場に入る(水戸市・檜山佳与子:馬場あき子選)
「来るものが来た」と聞いて連想するのは召集令状です。今では退職勧告状でしょうか。
作者はどういう立場の人なのでえしょう?
「来るものが・・・」と退職者への説明会に入る人を誘導する人でしょうか?「・・・人に『付き』」が分かりません。
選者は「退職説明会ではその後の便宜のための知識なども話されるらしい。とはいえ高齢者の仲間入りも近い。初句の言葉に深みがある」と評されています。
あまりにものんびりした評です。
◆第29回朝日俳壇賞
先週は歌壇賞、今週は俳壇賞です。またまた昨年一年の俳壇で私が取り上げたものは入賞していませんでした。
◇金子兜太選
三月十一日去年(こぞ)となす初明り(横浜市・猪狩鳳保)
<選者評>俳句形式ならではの力強い韻律で支えられていて、想の工夫など二の次。
<筆者感想>憎むべきか忌むべきか3月11日、「去年となす」が良いですね。選者の評の意味が分かりません。
◇長谷川櫂選
猿二匹樹上に座して花喰らふ(東京都大島町・大村森美)
<選者評>楽園のようで現実の風景。南の島の俳人の登場を歓迎したい。
<筆者感想>大島で花といえば連想するのは椿ですが、作品の猿が食べていたのは何の花でしょう?
◇大串章選
叩きたる焚火形相変へにけり(東京都・望月清彦)
<選者評>「形相変へ」の擬人化が秀抜。炎が立ち上がり、火の粉が飛んだのだ。
<筆者感想>「火」もまた生きていると思います。人に御せるものではないような。特に原子力の火は。
◇稲畑汀子選
百歳に三千日の初日かな(奈良市・吉田淳)
<選者評>日本では百歳も夢ではない。「あと三千日」と初日の出に願うめでたさ。
<筆者感想>作者の言葉によれば「今年九十二歳」のようです。3000日、凡そ10年で百歳、おめでとうございます。
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